9話
ついでにふそう型嚮導護衛艦6隻は船体に75㎜、艦橋に40㎜、甲板24㎜の複合素材性の優れた強度の装甲を施しています。次級のやまと型は87㎜+51㎜+32㎜です。
(米海軍の統合打撃巡洋艦の焼き直し)
9話 南北の戦士達
1992年3月1日
湾岸戦争はイラク政府が休戦に合意。が、各国海軍による掃海は続いていた。一応、大規模作戦はなさそうなので空母キティホークや戦艦むさしやミズーリなど多国籍軍の艦艇はそれぞれの国へと帰国していったのである。
1992年5月12日
南北両日本陸軍司令官が同時に訪仏。仏国防大臣を介して歴史的な会談を実現し、世界各国で雪解けの象徴と報じられた。
反面、海空軍は互いを意識した大規模艦隊演習や意図的な領空侵犯などが行われていた。
1992年5月27日早朝
横須賀、むさし艦上
俺ことむさし砲術長の宮原和義大尉はヘリ甲板上の昇降機の上でラジオ体操を終えると、ぼんやりと隣の埠頭に並んで停泊する最新鋭の重装甲嚮導護衛艦やまとと並んで停泊する改やましろ型嚮導装甲護衛艦のながとを眺めていた。
すると江田島の同級生の川井敏大尉が俺に声をかけてきた。
「宮原、そう言えば、お前は来週からながと砲雷長に転任だったな?俺もこんごうの2代目砲雷長に転任だよ」彼はそう言うと俺は「その通りだ。佐世保のあんたと違って相変わらずここの勤務だから家族には迷惑かかりそうにないけどな」と言うと「ははは。その通りだな…………」と続いた。
俺と川井は話を終えると出港命令が下り、修理後最初の演習を行うべくむさしはタグボートに引っ張られたあとに僚艦であるやまと、ながと、ふそうと共に多数の護衛艦を率いて外洋への入り口である東京湾へ向かう。
今回の海上自衛隊演習では新田原の飛行教導隊による模擬対艦攻撃や、システム上での飽和攻撃への対処が予定されている。
これに対して北日本も同じような演習を実施していた。
さて、今後はどうなるのだろうか…………俺はそう思いつつも指揮所のディスプレーを睨む。
同日9時過ぎ、石狩湾内
戦艦札幌艦上
艦隊訓練の最中、俺は甲板上でタバコを吸っていた。
「はぁ…………」俺こと艦隊政治将校長風間春夫中佐が溜め息を吐くと砲雷長の新村宗二少佐が「どうしましたか、政治士官同志?」と聞いてきたので、「いや、稚内大教授の妻から田舎で母と住んでる息子の豊原大学の見学が決まったと電報が届いたからさ、夏休み中に帰らなきゃなぁと思っててさ…………」と言うと「普段、冷静沈着な政治将校殿もそんな悩みがあるんですねぇ…………」と新村が続き、「当たり前だろ。俺だって人間だ」と続き、新村は「帰ったらどうですか?」と続く。それに対して俺は「そうするよ………ありがとうな」と続き、俺は新村と共に艦内へ入るとすぐに自らの配置に戻ったのである。
さて、この国も一哉の未来もどうなるのやら………………
1992年7月1日
津軽海峡上空
秋田空港に配備された俺、村上信太大尉は愛機、F-15Jに装備された国際無線で北日本の偵察機と戦闘機に対して「ここは日本国上空だ。すみやかに立ち去れ!」と警告し、それをスルーされたので警戒を継続すると言ういつものスクランブル任務に就いていた。無論、翼下に1発ずつ計2発装備しているAAM-3の射撃管制装置は常に稼働させて万が一の事態に備えていた。もっとも俺は偵察機より厄介なSu-27に目がいっていたが…………
とは言え、相手もすぐに上空を去ったので衝突には至らなかったが。もし両国が衝突するとしたら俺はアイツによって撃墜、もしくは俺がアイツを撃墜するかも知れないと思いつつも津軽海峡の上空から飛び去る敵機を見つめる。陸軍同士の和解の話は聞いているが、空と海は和解などしていない。
常に互いへ銃口を向けあっている。そして俺はそのトリガーを握る1人だ。
同時刻、北日本領空
「…………こちらは日本人民空軍だ。貴機は我が国領空を侵犯している!速やかに立ち去れ!」
俺、村上金司少尉は愛機Su-27Jの操縦席で国際無線を使って米海軍の偵察機に対してそう警告する。すると偵察機は旋回したかと思うと後ろで護衛していた日米海軍のF-14Bがこちらにカメラを構え、こちらもカメラを構えて互いの機を撮影すると相手は旋回して空域を去ったので、基地へこちらも帰還すると申請した。ともかく俺は最近の上層部のアホさ加減にうんざりしつつも今日もこの国の空を護るのであった………
噂に聞いている南のトップパイロット、村上信太の話を聞いた俺は内心、彼を恐れる反面、彼との対決もありうると踏んでいた。南北に空が分かれている限り……
時は流れて1995年。
某月某日
護衛艦むさし戦闘指揮所
「DE湧別からの応答途絶!!」
通信担当の兵曹長がそう言うと第1護衛隊群司令の三好健太少将は「了解!対潜、対空、水上警戒を厳となせ!鳳翔へ艦載機発艦を急がせろ」と言うと「了解!」と通信員が言い、鳳翔へ艦載機発艦命令が下る
その日、南北日本が再び戦火に包まれようとしていた。
余談
お気付きだと思われますが、村上信太と金司は従兄弟で、同い年で中学時代の1978年に会っていると言う設定です。




