プロローグ
1990年11月某日、アリ・フセイン率いる中東の軍事大国イラクが隣国クウェートへ侵攻。
米国は戦艦ウィスコンシンや空母数隻と多数の巡洋艦や駆逐艦をペルシャ湾へ向かわせ、I国との関係が良好なソ連もイラク軍のクウェートからの撤兵を迫った。
そして南日本も米国に同調して出兵を決定したのである。
1990年クリスマスイブ
きらびやかな電飾が輝く街から歓声と罵声の中、横須賀を船の上にまるで城郭を乗せた様な船が3隻を随伴艦と共に出港しようとしていた。
その船の名は武蔵。東京の旧国名として知られるその名を冠する史上最大、そして最強の戦艦だ。
彼女は1942年に長崎で完成し、様々な作戦へ参加した大和型戦艦の2番艦だ。
戦争を生き残り、その後1947年に米海軍の戦艦、モンタナとして2年間所属したのち、1950年の海上警備隊設立に伴い返還、警備隊が海上自衛隊となった後に装甲警備艦から装甲護衛艦に改められ、護衛艦”むさし”となった。そしてその後も試練が続き、仁川や越国へ出兵している。
そして今、むさしは自衛隊の中東派遣艦隊の旗艦として旅立とうとしていた。
その随伴はキティーホーク級空母を日本仕様に改めた空母ほうしょうにスリガオに散った超弩級戦艦の名を冠する最新鋭のイージス護衛艦やましろにこんごう及びやましろの発注で2隻のみの建造打ち切られた最後のターター搭載型のはたかぜ型ミサイル護衛艦しまかぜと海上自衛隊最初のミサイル護衛艦であるあまつかぜとその次世代艦さわかぜに新鋭護衛艦あさぎり、うみぎりの7隻である。
むさし艦内・士官室
テレビ
『たった今、海上自衛隊の~が横須賀から市民団体の抗議も虚しく~』
むさしの砲術士で大尉の俺、宮原和義はテレビを見ていたら突如、後から「宮原大尉、不愉快ですから変えてください!」と沢本造一中尉が言ってきた。
それもその通りだが、どのチャンネルも似た番組ばかりだ。
取り敢えず気晴らしとして家庭用ゲーム機でも繋いで、みんなでプレイしますか……………
それにしても双子の息子と娘にクリスマス・プレゼントを買っといて正解だったな。
妻にはまた怒られてしまうな。何で子供と最低でもケーキを食べてあげなかったのとか。
仕方ない。家に電話しますか。
俺はそう思い電話室へ向かい、自宅に電話をかけたのである。
結局、艦長の野崎正大佐の気転で士官なら士官、兵や下士官なら彼ら同士でクリスマス会を開き、緊張していた乗員皆が和やかな雰囲気になったのである。
それはさておき、佐世保からも正規空母ほうしょうとその護衛が出港したと言うらしいので、後はそれらと合流するだけだな。
1992年元旦
艦長の人心掌握術はこの日も冴えていた。そう彼は横須賀補給部に無理を言ってクリスマス以外にお正月の用意をしていたのだ。流石に収賄に問われかねないお年玉やクリスマスのプレゼントは断念したが、クリスマス会以外にも正月は新年会を当直乗員の回数開くなど乗員の緊張を解そうと必死であった。
クリスマスとお正月が終り、インド洋へと艦隊は入った。
この頃になるとユーモラスな艦長も険しい顔付きになった。
隣を航行するほうしょうから要撃戦闘機F-14DJと最新鋭の戦闘攻撃機F/A-18AJ/BJの発着艦訓練を始めていた。
むさし戦闘指揮所
「友軍航空機以外に対空目標異常なし!」
SPY-1CJレーダーのレーダーマンがそう言うとソナーマンが水中に異常が無いのを伝える。
俺と川井水雷長は報告を聞くと大野砲雷長と共にMk-41VLSや68式短魚雷の稼働状況を確認する。
この頃、気分転換の為に甲板に出ると外気も高く、如何にも灼熱の地に来たのだな、と感じたのであるになる。
バーレーンへ入港したのは1月21日だ。入港直後に甲板へ上がると上空から聞き慣れたエンジン音が聞こえて来た。俺は空を見上げると複数のクリップド・デルタ翼の大型戦闘機が北西の方から飛来したのである。
主翼には日の丸、間違いない空自所属のF-15J戦闘機だ。
どうやら明日にはこのむさし以下海上自衛隊の任務部隊も出港し、多国籍軍の上陸援護を行うみたいだ。
翌日、暁前に8隻の海上自衛隊艦船は出港し北上する。
いよいよ決戦。どうなるのであろうか…………………
やましろ型護衛艦
全長180m、全幅20m、満載排水量1万2000t
ガスタービン推進4基2軸、速力30kt、航続距離 防衛機密
イージスシステム装備一式、ミサイル誘導装置3基
Mk-41VLS計122セル(61セル型2基)
12.7㎝速射砲2基、20㎜CIWS2基、SSM発射機2基
同型艦 ながと(76)、かが(77)、きい(78)
準同型艦 ふそう(74)
(違いはVLSかランチャー式かで、1993年にVLSに変更、やましろ型改めふそう型に変更、統一戦争では獅子奮迅の活躍を見せ、空母部隊に対する北日本海軍のミサイル攻撃をむさし及びこんごう型と協力して防ぎ切った。)
予定では2027年まで運用されると言う。