1. インテロバングの衝撃
言葉はなかった。
何とか絞り出したのは「ここは……異世界ですか」という頭が沸いたかのような戯言で、それに対しあっさり返ってきたのは「厳密に言うならパラレルワールドです」との言葉だった。
よくわからなかったのでお伺いを立てたなら、彼は特に面倒くさがるふうもなく、淡々と解説してくれた。
いわく、パラレルワールドとは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指すのだそうで、わたし達の────つまりこの場合わたしだが、わたしのいた宇宙と同一の次元を持つそうだ。
一般的に並行世界・平行世界と訳される。
並行宇宙や並行時空といった呼称もよく使われるらしい。
なるほど、異世界ではなく並行世界。
確かに、似て非なるものだ。
「そうですか。通りで……納得はいきました」
「何とも頭が柔軟な方ですね」
決してそういうわけではないが、そうでもないと説明のつかないことが多々あるからに過ぎない。
例えば、一見して日本とよく似ていること。
例えば、言語が同じであること。
例えば、空は青く雲は白く、太陽と真昼の月は共に一つであること。
例えば、そこの屋台からする腹の虫を誘う匂いが唐揚げのそれであること。
例えば、多少の違いはあれど見知った新宿ビル群が視界にあること。
例えば、こちらに来たとき、たまたま隣にいた彼が黒髪黒目の日本人(ここは予想)であることなどだ。
それだけで信じるのかと言われたなら難しいところではあるが、現にわたしはさきほど死にかけていたのだ。
何故かはさておき、朦朧としつつ意識を保ったまま、視界が不自然にぐにゃりと歪んだことは間違いなく、目を開けたままにここへやってきた。
途端、死の淵から回復してしまったのだから、信じる以外にどうにも出来ない。
「世界を行き来すると、体が作り変わるそうです」
男性にしては線の細い彼は理知的な目を優しく細め、落ち着いた説明をしてくれている。
お陰でわたしも、取り乱すことはなかった……のか、一回りした故の妙な冷静さなのかはわからないが。
「便利なものですね」
「必要なことなのだと竹千代が言っていました」
「そうなんで……どちら様が?」
「竹千代です。おや、パラレルワールドからいらっしゃる方は、大抵がご存知なのだと伺っておりますが」
首を傾げた彼に対するわたしの言葉はなかった。
それをどう捉えたのか、彼は補足を口にする。
「AICHIは松平氏の第8代当主・松平広忠の嫡男です。ええと……そう、東照大権現とそちらでは言われるそうですね。成人後の異名それで行くと大いに張り切っていました」
それは神号であって死後戴く名ではないのか。
何故、幼名竹千代の時点で異名などを決定してしまっているのだろう。
そもそも異名って。
それは自ら名乗っていいものなのか。
東を照らす神の化身とか……幼児の考えることはすごい。
わたしならそんな大それた異名は例え知ったとしても名乗らない。
というか、やはりその竹千代か。
他にもその幼名だった人物が何人かいたと思ったが、一番の有名どころがストレートに来るとは思わなんだ。
いや、それより何より、違和感が拭えない。
「あの、どこのどちら様の竹千代さんと仰いました?」
「立ち話も何ですね。ああ、あそこに入りましょう」
「はあ……」
彼が指差した先には“喫茶店 La Grande Illusion”の看板が……これはやはり巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール由来なのだろうか。
もう何も言うまい、ここはパラレルワールドだ。
取り乱すことこそなかったが、わたしはこの時点で、やはり、かなり混乱していたのだろう。
何から何まで違和感が拭えないこの世界で、あっさりと“そうである”ことを受け入れてしまっていたのだから。
落ち着いた店内は広めのスペースにゆったりとソファとテーブルが配置されており、ようやく見知った空間に身を置けたことに、思わず安堵の吐息が漏れる。
ウェイトレスに案内され席に腰を下ろしたところで、ピピピピッと聞き慣れた電子音が鳴った。
もしや、パラレルワールドであっても元の世界から電子の信号はキャッチ出来るのか!?────勢い勇んでポケットに手を突っ込んだなら、目の前の彼もまた、同じ動作をしていた。
結果、どうやらわたしの期待は期待で終わってしまったらしい。
ピッとスマートフォンをタッチして、彼は電話に出た。
「あ、もしもし、僕、第六天魔王だけど。ああ、今SHINJUKU」
「!?」
何事かを手短に話した彼は、すぐ電話を切った。
しかし、気になるのはそこではなく。
「失礼しました。部下からの電話でして。僕もたまたま神号を耳にする機会がありましてね、箔がつきそうなものだったので、使わせてもらっています」
「!?」
「ああ、光秀ってご存知ですか?何でも、そちらの世界だと僕を裏切るそうなんですが、こちらでもそうなってしまうのでしょうか」
「!?」
「僕としては彼はなかなかに使える人物だと踏んでいるので、そうはなって欲しくないのですが。どう思われますか?」
「……どう……と、言われましても……」
戸惑いを隠せないわたしに、彼は「ああ」と微笑んだ。
「ようこそ、JAPONへ」
やはりこの世界は、わたしの知る世界ではないようである。




