第7話 硝子越しの距離
第6話からの続きです。
船内に入ることを拒み、極寒の甲板で野営を始めたサクヤ。
アリアは硝子越しに彼へ語りかけます。
中立浮遊港を出航して数時間。オリエンス号は、白夜航路のさらに深淵、地図にない空域へと舳先を向けていた。
艦橋空気は張り詰めている。アラート音が鳴り響き、オペレーターたちが悲鳴のような報告を上げている。
「機関出力、安定しません! 第三シリンダーにノイズ確認!」
「騙し騙し回せ! 止めるなよ、止まったら墜ちるぞ!」
怒号を飛ばしているのは、中央指揮席に座る初老の男だ。
バラスト艦長。白髪交じりの髭を蓄え、かつては猛将として鳴らした古参軍人だが、今は心労で深く皺を刻んでいる。彼はコンソールの前で目を閉じているアリアを、気遣わしげに見つめた。
「姫様、無理をなさらないでください。……本来なら、このような過酷な航海に御身を晒すなど」
バラストは悔しげに拳を握りしめた。
アリアは今、艦の心臓部にある巨大星導石と『感応』し、暴走寸前のエンジンを精神感応で宥め続けているのだ。額にはじっとりと脂汗が滲んでいる。
「……大丈夫よ、艦長。いい子だから、落ち着いて……」
アリアはうわ言のように呟く。だが、その顔色は蒼白だ。見かねたヴィグナが歩み寄る。
「姫様、少し休憩を。このままでは倒れてしまいます」
「……ありがとう、ヴィグナ。少し、風に当たってくるわ」
アリアはよろめく足取りで席を立ち、艦橋を後にした。
†
長い廊下を抜け、強化ガラス張りの展望通路へ出る。アリアは窓枠に手を突き、眼下の第三甲板を覗き込んだ。
「……いた」
分厚い多層ガラスの向こう。吹きっさらしの鉄の甲板に、異様なシルエットが鎮座していた。
サクヤの愛機、『黒鳶』だ。
全高はおよそ八メートル。胴体にはパイロットが乗り込むコクピットブロックがあり、そこから伸びる手足は、人型でありながら航空機のような流線型の装甲に覆われている。背中には、身の丈ほどもある巨大な可動式スラスター・バインダー。 それは、この鈍重な鉄塊を無理やり空へと叩き上げるためだけの、暴力的な推力装置だ。脚部は鳥類を思わせる「逆関節」構造になっており、鋼鉄の爪が甲板を深く鷲掴みにしている。 人型というよりは、翼を休める「鉄の怪鳥」。優美な騎士の鎧とは違う。生きるために、空を飛ぶために、必要な機能だけを突き詰めた、泥臭い「極限の実用美」。継ぎ接ぎだらけの黒い装甲は、この過酷な空で彼が生き延びてきた証そのものに見えた。
その翼の下。携帯用コンロの青い火を頼りに、毛布にくるまって座り込んでいる人影があった。サクヤだ。彼は震える手でカップを握り、何か固形物のようなものを齧っている。ここからでは声も届かないし、風の冷たさも分からない。
けれど、その背中が拒絶していることだけは分かった。この暖かな世界を。アリアは胸元の通信端末を取り出し、深呼吸をしてからスイッチを入れた。
『……なんだ』
呼び出し音も鳴らず、即座に不機嫌な声が返ってきた。直通回線だ。
「……寒くはありませんか、サクヤさん」
『寒いな。コーヒーが淹れた先から凍っていくくらいには』
「なら、中へ入ってください。ゲストルームを用意させています」
『断る』
サクヤの返答は、氷のように冷たかった。
『契約書を忘れたか? 俺の生活圏は外だ。そっちの空気を吸うつもりはねえ』
「どうして……どうして、そんなに頑ななのですか」
アリアは硝子に額を押し当てた。物理的な距離は、わずか数メートル。なのに、この透明な壁が、数千キロの断絶のように感じられる。
「あなたは私の命の恩人です。なのに、どうして自分をそこまで貶めるような真似を……」
『勘違いすんな、お姫様』
サクヤが、ようやく顔を上げた。
フードの下の、紫色の瞳。
それが、ガラス越しにアリアの碧眼と交差する。
『俺は卑屈になってるわけじゃねえ。区別してるだけだ』
彼はカップの中身――黒く濁った安いコーヒーを甲板にぶちまけた。液体は一瞬で凍りつき、黒いシミを作る。
『水と油は混ざらねえ。無理に混ぜれば、両方とも使い物にならなくなる。……あんたの世界と、俺の世界は違うんだよ』
俺は油と鉄屑にまみれたスカベンジャー。あんたは清潔な塔の中の王女様。その一線を超えて踏み込めば、きっと何かが壊れる。かつて、一族の誇りを失った自分のように。
「……それでも」
アリアはガラスに掌を当てた。
冷たい。指先の熱など、分厚い装甲ガラスの前では無意味だ。
「私は、あなたと話がしたい。あなたのことをもっと知りたい。……それは、王女としての命令ではありません」
『…………』
「ただの、アリア・オリエンス個人の願いです」
通信機の向こうで、サクヤが息を呑む気配がした。
窓の外。サクヤはアリアの小さな掌を見つめ……やがて、自分の手を伸ばしかけた。
ゴツゴツとした、油汚れの落ちない手袋。それをガラスに重ねようとして――寸前で止めた。
『……仕事の時間だ』
彼は視線を逸らし、立ち上がった。
『そろそろ『墓場』に入るぞ。感傷に浸ってる暇があったら、しっかり石の機嫌を取っとけ。……頼りにしてるぜ、オペレーター様』
プツン。
一方的に通信が切れる。
サクヤはもう一度も見上げることなく、『黒鳶』のコクピットへと乗り込んでいった。
「……意地悪な人」
アリアは、ガラスに残った自分の掌の跡を、そっと撫でた。
拒絶された。
けれど、最後の「頼りにしてる」という言葉だけが、耳の奥で微かに熱を持っていた。
「総員、第一戦闘配備! 『墓場空域』へ突入する!」
艦内放送が響き渡る。アリアは涙を拭うように一度だけ瞬きをすると、王女の顔に戻って踵を返した。今はまだ、この硝子の壁を壊せない。けれど、いつか必ず。
オリエンス号が、分厚い積乱雲を突き破る。その先には、無数の鉄屑が亡霊のように漂う、死の海が広がっていた。
お読みいただきありがとうございます!
物理的な距離はわずか数メートル。でも、その間には分厚い装甲ガラスと、身分の差という壁があります。「水と油は混ざらない」と言い切るサクヤと、それでも歩み寄ろうとするアリア。このもどかしい距離感が、今後の冒険でどう変化していくのか、見守っていただければ幸いです。
そして今回、サクヤの愛機『黒鳶』の全貌が明らかになりました。
騎士の鎧のような綺麗な機体ではなく、生存に特化した継ぎ接ぎだらけの可変機。
こういう無骨な相棒こそが、過酷な空には似合います。
さて、静かな会話劇はここまで。
次回、第8話「亡霊たちの海」。
鉄屑が漂う死の空域で、ついに敵の影が迫ります。
【読者の皆様へ】
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それでは、また次回の更新でお会いしましょう。




