表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【続編執筆中!】銀灰の掠夜彗星(ナイトグレイザー)~「夜」に追いつかれたら即死する世界で、深窓の姫君を拾いました~  作者: 吉良織彦
第4章:追走の翼、夜を越えて

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/38

第36話 夕暮れの逃避行

『銀灰の掠夜彗星』、シーズン1最終話です。

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

嵐を越えた二人の、再会の景色です。

嵐が、遠ざかっていく。

 『黒鳶(ブラックカイト)』が分厚い雲海を突き抜けた瞬間、コクピットを満たしていた轟音と振動が、嘘のように消え失せた。

 そこに広がっていたのは、突き抜けるような群青色の空だった。

 『白夜航路(グレイ・レーン)』の澱んだ空とは違う。太陽の光が直接降り注ぎ、空気さえも澄んで見える高高度の世界。

 眼下には、さきほどまで死闘を繰り広げていた『嵐の壁(ストーム・ウォール)』が、巨大な灰色の絨毯のように広がっている。


「……眩しすぎらあ」


 サクヤは目を細め、バイザーを上げた。

 燃料計の針は「エンプティ」を指して震えている。エンジンの排気温度は限界を超え、冷却システムも焼き切れる寸前だ。

 文字通り、最後の一滴まで絞り尽くしての帰還だった。


『こちらオリエンス号、ブリッジ。……サクヤさん、聞こえますか?』


 ノイズ混じりの通信機から、震える声が響く。

 アリアの声だ。


「ああ、感度良好だ。……そっちはどうだ、お姫様。船酔いはしてないか?」

『ふふっ……ええ。おかげさまで。……道を作ってくれて、ありがとうございました』


 彼女の泣き笑いのような声を聞いて、サクヤはようやく肩の力を抜いた。

 生き残ったのだ。

 あの絶対的な死の領域である「夜」を突き抜け、嵐をこじ開けて。


『サクヤ殿。……見事だった』


 右翼へ、深紅の機体『緋蜂(カーディナル)』が並ぶ。

 右翼を失い、装甲はボロボロだが、その飛び方は威厳に満ちていた。ヴィグナだ。


『貴公がいなければ、我々は全滅していた。……騎士として、いや一人のパイロットとして、心からの敬意を』

「よしてくれ。俺はただ、生き汚く逃げ回っただけだ」


 サクヤは苦笑し、操縦桿を軽く倒した。

 『黒鳶』がゆっくりと高度を下げる。

 その先には、傷つきながらも悠然と航行する、白き箱船――オリエンス号の広大な甲板が待っていた。



   †



 ズゥゥゥン……

 降着装置ランディング・ギアが甲板に接地し、機体の重量が鋼鉄の床に沈み込む。

 サクヤはエンジンのカットオフ・スイッチを弾いた。

 キィィィン……ヒュゥゥゥ……と、タービンの回転音が下がり、やがて完全な静寂が訪れる。

 後に残ったのは、過熱した装甲が収縮するキン、キン、という金属音だけ。

 サクヤはヘルメットを脱ぎ、身を乗り出してタラップを降りた。

 そこには、多くの整備員や船員たちが集まっていた。

 そして、人垣が割れる。

 その向こうから、一人の少女が駆け寄ってきた。


「サクヤさん!」


 アリアだ。

 純白のドレスは煤で汚れ、綺麗に整えられていた銀髪も乱れている。

 王女としての威厳などかなぐり捨てて、彼女は息を切らせてサクヤの目の前で立ち止まった。


「……よう。ひどい顔だぜ、お姫様」


 サクヤは憎まれ口を叩きながら、自分の頬についた油を拭った。


「あなたこそ……。真っ黒じゃないですか」


 アリアは涙を堪えて笑った。

 サクヤの姿は酷いものだった。フライトスーツは汗と油で汚れ、顔にはゴーグルの跡がくっきりと残り、髪はボサボサだ。

 けれど、アリアにとって、それはどんな王子様よりも輝いて見えた。


「……どうして」


 アリアが一歩近づく。


「どうして、戻ってきてくれたんですか? あなたは自由になれたのに。安全な街で、生きていけたのに」


 その問いに、サクヤは視線を逸らした。

 なんと答えるべきか。


「……忘れ物があったんだよ」

「忘れ物?」

「ああ。……あんたに貰ったコーヒーの味が、忘れられなくてな」


 それは、あまりにも下手な言い訳だった。

 だが、アリアにはその意味が痛いほど伝わった。

 あの不味い、泥水のようなコーヒー。それを「美味しい」と笑い合った時間。

 彼は、その「温度」を取り戻すために、世界を一周して帰ってきたのだ。


「……馬鹿な人」


 アリアの瞳から、ついに涙が溢れ出した。

 彼女は衝動のままに、サクヤの胸に飛び込んだ。

 油の匂いと、微かな香水の香りが混じり合う。サクヤは困ったように両手を泳がせたが、やがて観念したように、少女の華奢な背中に手を回した。



   †



 数時間後。オリエンス号、大食堂。

 そこは、ささやかながらも熱気のある「祝勝会」の会場となっていた。

 長テーブルには、備蓄されていた食料や酒が並べられ、生き残ったクルーたちが互いの無事を祝って杯を交わしている。


「……なんだこりゃ。夢か?」


 サクヤは、目の前に置かれた皿を見て目を丸くした。

 そこにあるのは、合成肉のパテではなく、本物の「肉」のステーキ。そして、新鮮な野菜のサラダ。

 ルーストのドブ板横丁で食べていたネズミ肉のシチューとは、次元が違う。


「オリエンス号の冷凍保存庫にあった特級品だ。……遠慮なく食え、英雄殿」


 隣に座ったヴィグナが、ワイングラスを傾けながら言った。

 彼女も戦闘服を脱ぎ、騎士団の制服に着替えている。右腕には包帯が巻かれているが、その表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。


「英雄なんて柄じゃねえよ。……いただきます」


 サクヤはナイフを入れた。肉汁が溢れる。口に運ぶと、暴力的なまでの旨味が脳を揺さぶった。

 生きている。

 その実感が、胃袋から湧き上がってくる。


「サクヤ! ちょっと、これどうなってんのさ!」


 背後から、油汚れのついたツナギを着た少女が飛び込んできた。

 オリエンス号の整備班長、リベットだ。

 彼女は挨拶もそこそこに、興奮した様子で一枚のデータパッドをサクヤの目の前に突き出した。


「飯くらいゆっくり食わせろよ。……で、何が壊れてた? 全部か?」

「壊れてるどころじゃないよ! あんたの機体……『黒鳶』の心臓部を見て腰抜かしたんだ!」


 リベットは目をキラキラさせながら、データパッドの数値を指差した。

「通常、炉心温度があそこまで上がれば、斥力制御装置リパルサーがドロドロに溶け落ちてオシャカだ。でも、あんたの機体の『星の石』を見てみなよ。……真っ赤だった石が、透き通るような『青銀色』に変色してるんだ」

「あぁ? 焦げたのか?」

「違うってば! 『変質』したんだよ! 極限の冷却と、限界突破した熱量オーバーロード。相反する負荷を同時にかけ続けたせいで、石の分子構造が組み変わって、『覚醒状態』になってる!」


 リベットの鼻息が荒い。周囲の整備兵たちも、伝説の聖剣でも見るような目で頷いている。


「いわば、あんたの無茶な操縦に機体が適応進化したんだ。今の『黒鳶』なら、以前より少ない燃料で、倍以上の斥力パワーを引き出せる。……こんな現象、理論書の中でしか見たことないよ」

「へぇ、高く売れそうだな」

「馬鹿! 売ってたまるかい! こいつはもう、世界に一つだけのエンジンだ。あたし以外に触らせないからね!」


 リベットはサクヤの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。


「オリエンス号の備蓄パーツと工作機械、全部使っていい許可はもらった。あたしに任せな。……やるからには、徹底的にやるよ。歪んだフレームはオリエンス特製の高張力鋼で補強する。焼きついた伝導パイプは、全部クリスタル・ファイバーに交換だ。それに、装甲の表面には耐熱コーティングを三重に施して……ああもう、考えただけで涎が出そう! あんたの『黒鳶』を、風さえも置き去りにする化け物に作り変えてやるから覚悟しな!」

「……へっ、頼もしいねえ」


 サクヤがニヤリと笑うと、リベットも油まみれの顔でニカっと笑い返した。

 かつては「野良犬」と蔑まれていた機体が、今や宝石のような輝きを放ち、最高の整備士に愛されている。

 その光景を、ヴィグナは眩しそうに見つめていた。


「……変わるものだな。空も、人も、機械さえも」


 ヴィグナはそう言うと、手にしたグラスをサクヤに向けた。

 中に入っているのは、オリエンス王家秘蔵の年代物の赤ワインだ。その芳醇な香りが、オイルと火薬の匂いに満ちたサクヤの鼻腔をくすぐる。


「……乾杯だ、英雄殿。我々の勝利と、これからの航海に」

「ああ。……あんたのその堅苦しい挨拶も、悪くないツマミだ」


カチン、と澄んだ音が鳴り、二人はグラスを合わせた。


   †



 宴もたけなわとなった頃。

 サクヤは喧騒を抜け出し、一人で上甲板へと出た。

 夜風が心地よい。

 頭上には満天の星空。そして眼下には、見渡す限りの雲海が月光に照らされて輝いている。


「……ここにいましたか」


 鈴を転がすような声。

 アリアだ。彼女は二つのマグカップを手に、歩み寄ってきた。

 湯気が、甘く香ばしい香りを漂わせている。


「コーヒーです。……今度は、ちゃんとした豆ですよ」


 差し出されたカップを受け取る。

 一口啜る。

 苦味の中に、深いコクと酸味が広がる。あの時の泥水とは大違いだ。

 だが、不思議とあの時の味も悪くなかったと思えるのは、隣に彼女がいるからだろうか。


「……美味いな」

「ええ。とても」


 二人は並んで手すりに寄りかかり、同じ空を見上げた。


「これから、どうするつもりだ?」


 サクヤが尋ねた。

 フェリオンは退けたが、オリエンス号の旅は終わっていない。


「目指します。『約束の地』を」


 アリアは真っ直ぐに北の空を指差した。


「この『白夜航路』を抜けた先、北極点に近い場所に、かつて人類が住んでいたという伝説の大地があるそうです。そこなら、『夜』の影響を受けずに、太陽が沈まない『常若とこわか』の世界が広がっていると」

「……おとぎ話だな」

「ええ。でも、信じる価値はあると思いませんか?」


 アリアはサクヤを見つめた。その瞳には、星の光よりも強い意志が宿っていた。


「私、思うんです。夜は怖いけれど、夜があるからこそ、私たちはこうして寄り添い、前に進もうと思えるんじゃないかって」


 アリアの視線は、満天の星空から、その下にある漆黒の雲海へと注がれていた。

 そこは死の世界だ。けれど、今は月光を受けて、静かな銀色の海原のように見えた。


「夜は、ただ怖いだけじゃない。こうして見ていると、世界を優しく包み込んでいるようにも見えます。……私たちは必死に逃げるあまり、暗闇の隣にある美しさを忘れていたのかもしれません」

「……ロマンチストだな、お姫様は」


 サクヤは苦笑し、カップの中の黒い液体を見つめた。

 約束の地。常若の世界。

 スカベンジャーとして生きてきた自分には、縁のない話だと思っていた。

 だが。


「……悪くねえかもな」

「え?」

「俺の『黒鳶』はボロボロだ。修理代だけで、今回の報酬が吹っ飛ぶ計算だ。……それに、借金もある」


 サクヤは空になったカップを置き、アリアに向き直った。


「雇ってくれよ、お姫様。……その『約束の地』まで、あんたを送り届けてやる」


 アリアは目を丸くし、やがて花が咲くように破顔した。


「……高いですよ? 私の護衛は」

「知ってるさ。命がけだからな」


 アリアは右手を差し出した。

 サクヤはその手を取り、強く握り返した。

 華奢で、柔らかい手。だが、その中には確かな熱があった。


「よろしくお願いします。……私の、騎士様」

「よせよ。俺はただの『掠夜彗星ナイトグレイザー』だ」


 二人の笑い声が、星空に溶けていく。

 オリエンス号は進む。

 夜を越え、嵐を抜け、まだ見ぬ明日へ。

 逃避行は終わらない。

 だが、もう孤独な逃走ではない。

 夜を恐れず、夜を掠めて飛ぶ翼がある限り、彼らはどこまでも飛んでいける。

 サクヤは大きく背伸びをした。

 心地よい風が、新しい旅の始まりを告げていた。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

これにて、サクヤとアリアの「ルースト脱出編」は完結となります。

ただの逃避行だった旅が、信頼できる仲間との旅に変わりました。

彼らの空の旅はまだまだ続きますが、まずはここで幕を下ろしたいと思います。

もし「楽しかった!」「サクヤかっこよかった!」と思っていただけましたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると、作者が成層圏まで飛び上がるほど喜びます!

感想もお待ちしております。

それでは、また次の空でお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ