第35話 堕ちる天使、翔ける鳶
サクヤとフェリオン。
空を「自由な場所」と見るか、「管理する場所」と見るか。
二つの信念が、嵐の中で激突します。
バリバリバリバリッ!!
世界が紫色の閃光に包まれた。
『嵐の壁』の内部。そこは、大気が物理的な暴力となって吹き荒れる、混沌の坩堝だった。
無数の稲妻が龍のようにのたうち回り、風速二〇〇メートルの乱気流が、侵入者を粉々に砕こうと襲いかかる。
『ぐぅぅぅッ……! きっついなおいッ!』
サクヤは歯を食いしばり、暴れる操縦桿を両手で抑え込んだ。
『黒鳶』の機体フレームが悲鳴を上げている。装甲の継ぎ目から火花が散り、警報音が絶え間なく鳴り響く。
だが、今のサクヤにとって、この嵐は敵ではない。
「武器」だ。
「貴様ァァァッ!! 放せ! この薄汚い屑鉄がッ!」
通信機から、フェリオンの絶叫が聞こえてくる。
鋼鉄のアンカーワイヤーで『黒鳶』に繋がれたまま引きずり回されている『風の妖精』は、まさに地獄を見ていた。
人型であるがゆえの関節の多さが、この乱気流の中では仇となっている。手足があらぬ方向へねじ曲げられそうになり、姿勢制御システムが完全に暴走しているのだ。
『暴れんなよ、エリート様! お前さんの頑丈な機体が、一番いい「盾」になるんだよ!』
サクヤはスロットルを操作し、わざと乱気流の激しい方向へ機首を向けた。
巨大な雹の塊や、雷撃が襲ってくるルートだ。
『オラァッ! 右舷、障害物あり! 頼んだぞ相棒!』
サクヤは機体を急旋回させ、遠心力でフェリオンを振り回した。
「なっ……やめろォッ!!」
ドゴォォォォォン!!
迫りくる巨大な氷塊に、『シルフィード』が叩きつけられる。
美しい流線型の白い装甲が砕け、内部メカが露出する。
フェリオンの悲鳴にも似た怒号が響くが、サクヤは意に介さない。
「貴様……! 私の『妖精』を、デブリ除けに使っているというのか!?」
『スカベンジャーは使えるもんは何でも使うんだよ! 感謝しな、お前のおかげで道が開ける!』
サクヤの言う通り、二機のエネルギー干渉と、フェリオンを盾にした強行突破によって、分厚い積乱雲の中に一本の「トンネル」が穿たれつつあった。
†
嵐の外縁部。
開いていく風穴へ向かって、都市艦オリエンス号が全速前進していた。
「シールド出力最大! 総員、衝撃に備えろ! あの穴へ突っ込むぞ!」
バラスト艦長の号令が飛ぶ。
その直上を、深紅の戦闘艇『緋蜂』が並走していた。
『姫様! 私が殿を務めます! 追ってくる無人機は一機も通しません!』
ヴィグナの声は決意に満ちていた。
彼女の機体は右翼を失い、ボロボロだ。それでも、残った左舷スラスターと姿勢制御バーニアを駆使し、オリエンス号に群がろうとする敵ドローンを次々と撃ち落としていく。
「ヴィグナ……無理はしないで!」
ブリッジのアリアが祈るように叫ぶ。
前方を見れば、黒い雲の中に、青白いエンジン光と、爆発の光が明滅しているのが見える。
サクヤが戦っている。
あの中には、理不尽な死と、それをねじ伏せる生の輝きがある。
「……信じましょう。彼が切り開いてくれた道を」
オリエンス号の巨体が、嵐の壁へと突入した。
轟音。振動。
だが、船は進む。
その先導をするように、遥か前方で黒い機体が雷光を切り裂いて飛んでいる。
†
嵐の中心部。
フェリオンの怒りは頂点に達していた。
「認めん……認めんぞ! このような戦い方など!」
彼は『感応者』としての能力を全開にした。
脳波で機体と完全同調し、ねじ切れそうな関節を強制的に制御する。
「私は選ばれた人間だ! 世界を管理し、秩序をもたらす者だ! 貴様のようなゴミに、振り回されてたまるかァァッ!」
『シルフィード』の瞳が赤く発光した。
拘束されている右腕ではなく、自由な左腕でビームサーベルを引き抜く。
狙うはサクヤではない。
自分たちを繋ぐ、この忌々しいワイヤーだ。
『おっ、やっと本気か?』
サクヤは背後の殺気を感じ取った。
ワイヤーを切られれば、盾を失うことになる。だが、ここまで来れば十分だ。
嵐の出口は、もう目の前に見えている。
「消えろォォォッ!!」
フェリオンがサーベルを一閃させた。
バチィィィンッ!!
鋼鉄のワイヤーが切断される。
物理的な繋がりが絶たれた瞬間、『シルフィード』は自由を取り戻し――そして、乱気流によって後方へと吹き飛ばされた。
『あばよ、エリート様! お前さんのダンス、悪くなかったぜ!』
サクヤは解放された機体の推力を、すべて前進力へと変えた。
軽くなった機体が、弾丸のように加速する。
「逃がすかッ! 貴様だけは……貴様だけは絶対に許さんッ!」
フェリオンは体勢を立て直し、スラスターを吹かした。
執念の追撃。
嵐の中で、黒と白の機体が再び交錯しようとした、その瞬間だった。
バリバリバリバリドォォォンッ!!
『ストーム・ウォール』最大級の落雷が、二機の間を直撃した。
自然の猛威。
数億ボルトのエネルギーが空間を焼き尽くす。
『うおっ!?』
サクヤは紙一重で回避したが、衝撃波で大きく揺さぶられた。
一方、フェリオンの『シルフィード』は、運悪く雷撃の直撃コースにいた。
白い装甲が焼け焦げ、センサー類がショートする。
「ぐああああああッ!?」
フェリオンの絶叫と共に、白き機体はコントロールを失い、嵐の渦の中へと飲み込まれていった。
それは、空を汚した者への、星からのしっぺ返しのようにも見えた。
『……へっ。日頃の行いが悪いからだ』
サクヤは吐き捨てるように言い、前方の光を目指した。
雲が薄れていく。
紫色の雷光が遠ざかり、代わりに眩しい陽光が差し込んでくる。
ズボォォォォォッ!!
『黒鳶』が雲海を突き破り、静寂の成層圏へと飛び出した。
その直後。
巨大な白い影――オリエンス号もまた、サクヤが開けた風穴を通って、嵐の向こう側へと躍り出てきた。
『こちら『緋蜂』! オリエンス号、全艦離脱成功! 敵影、なし!』
ヴィグナの歓喜の声が響く。
抜け出したのだ。
死の包囲網を、夜を、そして嵐を。
サクヤはコクピットの中で深く息を吐き、震える手で煙草を取り出した。
まだ火をつける余裕はないが、口にくわえるだけで心が落ち着く。
キャノピー越しに見える空は、いつもの黄昏色ではなかった。
遥か高高度、『赤道航路』に近い場所から見る空は、目が痛くなるほど鮮やかな青色をしていた。
『……よう、お姫様。無事か?』
サクヤが通信を開くと、モニターには涙と煤で汚れた、けれど最高に美しい笑顔のアリアが映っていた。
『はい……! はい、サクヤさん! 無事です……! 本当に、本当に……!』
言葉にならない彼女の声を聞きながら、サクヤは小さく笑った。
帰ってきた。
金にもならない、命がけの戦場へ。
だが、この胸の奥にある充足感は、どんな高額報酬よりも悪くなかった。
しかし、戦いはまだ終わっていない。
フェリオンは落ちたが、死んではいないだろう。あのしぶとい男のことだ、必ず這い上がってくる。
そして何より、オリエンス号は傷ついている。
完全に安全な場所まで、送り届けなければならない。
『感傷に浸るのは後だ。……行くぞ、次の空へ』
『黒鳶』が翼を翻す。
その先には、見たこともない新しい地平線が広がっていた。
敵を盾にして嵐に突っ込む。
最後までサクヤらしい、無茶苦茶な突破方法でした。
これにて、長い戦闘は決着です。
嵐を抜けた先には、どんな空が待っているのか。
次回、いよいよ最終話となります。
二人の旅路の「一区切り」を、どうか見届けてやってください。




