第32話 掠夜彗星
お待たせいたしました。
絶望的な戦場に、一番速い男が到着します。
上空八〇〇〇メートル、『天の梯子』空域。
そこは、一方的な処刑場と化していた。
行く手を塞ぐのは、天を突くほど巨大な『磁気嵐の壁』。
そして、逃げ場を失った都市艦オリエンス号を取り囲むのは、『赤道』軍第七特務師団の精鋭艦隊だ。
無数の砲門から放たれるビームと実体弾の雨が、オリエンス号のシールドを容赦なく削り取っていく。
爆発の光が、灰色の雲海を禍々しく照らしていた。
「――ッ! くぅ……ッ! まだだ、まだ沈ませない!」
オリエンス号の護衛として孤軍奮闘するのは、近衛騎士ヴィグナの駆る深紅の機体『緋蜂』だ。
彼女は高機動スラスターを吹かし、弾幕を紙一重で回避しながら、敵の無人機を次々と撃ち落としていく。
だが、多勢に無勢だ。
すでにフェリオンの『風の妖精』の攻撃で、機体のそこら中からスパークを散らしている。
「チェックメイトだ、騎士殿。……美しい終わり方ではないがね」
冷徹な通信と共に、純白の機体が音もなく『緋蜂』の背後を取った。
フェリオンだ。
彼が駆る『風の妖精』が、トドメの一撃を放つべくライフルを構える。
その背後には、西の空が広がっている。本来ならオリエンス号が目指すべき、自由への空。だが今は、そこには絶望的な厚い雲と、敵の艦隊が壁となって立ちはだかっていた。
†
オリエンス号ブリッジ。
衝撃で天井材が崩落し、艦内は真っ赤な非常灯とサイレンの音に支配されていた。
「シールド出力、低下! もう持ちません!」
「第三区画、火災発生! 消火システム作動しません!」
オペレーターたちの悲鳴が交錯する。
バラスト艦長は血の滲む拳をコンソールに叩きつけた。
終わった。
前方の嵐、周囲の敵、そして後方からは「夜」が迫っている。完全に「詰み」だ。
「……ここまで、ですか」
アリアは、震える手で胸元のペンダントを握りしめた。
サクヤがくれた、不格好な金属片。
彼に会いたい。もう一度、あのぶっきらぼうな声を聞きたい。
でも、それはもう叶わない。彼は安全な街にいる。それでいい。彼をこの地獄に巻き添えにせずに済んだのだから。
アリアは静かに目を閉じた。
「……艦長、高エネルギー反応!」
その時、レーダー手が叫んだ。
「敵の増援か!?」
「いえ、違います! 反応は……西の空! 敵艦隊のさらに向こう側からです!」
「なんだと? 西だと!?」
バラスト艦長が驚愕する。
西側は『赤道』の制空権内だ。そこから来るということは、敵の本隊か?
だが、レーダー手の声は震えていた。恐怖ではない。あり得ないものを見た驚愕に。
「速い……! 異常な速度です! 計測不能!? こ、これは……惑星規模の周回軌道から、大気圏スレスレを直進してきています!」
その報告に、フェリオンもまた、トドメを刺す手を止めて西の空を振り返った。
西の水平線。
分厚い雲の切れ間から、一点の光が見えた。それは太陽の光ではない。もっと鋭く、もっと凶暴な、銀色の閃光。
空が割れた。
文字通り、西の雲海が衝撃波によって真っ二つに引き裂かれたのだ。
音速を遥かに超える速度で飛来した「それ」は、フェリオンの艦隊の真上を通過――いや、蹂躙した。
通過する際の衝撃波だけで、隊列を組んでいた無人機たちが吹き飛び、きりもみ回転して墜落していく。
「なっ……!?」
フェリオンが体勢を崩す。
その目の前に、黒い機体が急制動をかけ、大気を軋ませながらドリフトするように滑り込んできた。
全長六メートル。
全身に『夜』の氷をびっしりと纏い、過熱したエンジンからは青白い鬼火を噴き上げている。
まるで地獄の底から這い上がってきたかのような、凄まじい熱量と冷気を同時に放つ鉄塊。
東の夜へ飛び込み、世界を一周して、西の空から帰ってきた規格外の男。
『――よう。お楽しみのところ悪いな』
全回線に、聞き覚えのある、ふてぶてしい声が響き渡った。
アリアがカッ、と目を見開く。
涙が溢れて、視界が滲んだ。幻聴ではない。
「サクヤ、さん……!」
モニターに映るのは、『黒鳶』。
ボロボロの翼を広げた、空のハイエナ。
『遅くなって悪かったな、お姫様。……ちょっと世界一周してきたもんでね』
サクヤはコクピットの中で、凍りついたキャノピーを内側から拳で叩き割り、視界を確保した。
吹き込む暴風。凍りつくまつ毛。
だが、その口元には不敵な笑みが張り付いていた。
『特急便だ。受領印はいらねえよ』
黒い機体が咆哮を上げる。
左翼に吊るされた巨大な複合兵装ポッド『赤熱』が展開し、三〇ミリカノンの銃口が鎌首をもたげる。
「馬鹿な……! 東の夜へ消えたはずの貴様が、なぜ西から現れる!? 本当に惑星を一周したとでも言うのか!?」
フェリオンの驚愕の声が響く。
サクヤは鼻で笑った。
『一番速い道を選んだだけだ。……さあ、ダンスの時間だぜ、エリート様!』
西の空を背負って現れた黒い機体が、太陽よりも眩しく輝いて見えた。
夜を掠め、星を巡り、約束の場所へ辿り着いた一筋の光。
伝説の『掠夜彗星』が、今、戦場に降臨した
『掠夜彗星』。
夜を恐れず、夜を掠めて飛ぶ者。
サクヤの二つ名と、タイトルの意味をここで回収させていただきました。
「後ろ(東)の壁から敵が現れる」なんて、常識的な軍人のフェリオンには想像もつかなかったはずです。
次回、泥臭いスカベンジャーと、綺麗なエリートのドッグファイト!
ヴィグナも再起します!




