第31話 氷点下の独奏
サクヤが「夜」の中を駆け抜ける、孤独な航海の幕間です。
なぜ彼らは空を飛べるのか。この世界の根幹にある「星の石」の力について。
世界から、光と音が消えた。
ルーストを飛び立ち、東の空――『夜』の帳へと突入した瞬間、キャノピーの外は漆黒の闇に塗り潰された。
キィィィィン……。
聞こえるのは、座席の背後で唸りを上げるジェネレーターの駆動音と、自身の心臓の鼓動だけ。
外気温はマイナス九〇度。さらに低下を続けている。
装甲の隙間から染み入る冷気が、コクピット内の湿気を瞬時に凍らせ、計器盤に白い霜の花を咲かせていく。
「……寒いな。地獄の釜の方がまだマシだ」
サクヤはガチガチと震える歯を食いしばり、スロットルレバーを握る手に力を込めた。
『黒鳶』の心臓部には、この世界を支える動力源――高純度の『星の石』が搭載されている。
この石は、惑星のコアと反応し、強烈な「斥力」を生み出す性質を持つ。
人類はその反発力を利用して、重力に逆らって大地を浮遊し、あるいはその力を後方へ爆発させることで推進力を得てきた。
だが、その力には代償がある。
「熱」だ。
星の石から強大な斥力を引き出せば引き出すほど、炉心は太陽のような高熱を発し、機体そのものを溶解させてしまう。だからこそ、通常の航空機は安全装置によって出力を制限されている。
「だが、ここなら関係ねえ……!」
サクヤは震える指で、リミッター解除のスイッチを弾いた。
『警告:炉心温度上昇。冷却システム、強制駆動』
無機質なアラートと共に、背中のエンジンが咆哮を上げた。
「冷却弁、全開放! 外気を取り込め! 星の髄まで凍てついた夜を、全部飲み込んで燃やし尽くせ!」
インテークが大きく開き、マイナス一〇〇度の暴風を飲み込む。
極寒の大気は、炉心の灼熱を瞬時に奪い去り、沸騰した蒸気となって排気口から吐き出される。
熱と冷気の相殺。
そのギリギリの均衡の上で、星の石はかつてない輝きを放ち始めた。
ドォォォォォン!!
惑星のコアを蹴りつけるような、凄まじい反発力。機体が悲鳴を上げ、加速Gがサクヤの視界を歪ませる。
速い。
音速の壁など、紙切れのように突き破っていく。
「……へへっ、すげえ。世界が……置き去りだ」
サクヤは意識が遠のくのを感じた。
低体温症と、強烈なGによるブラックアウト。
暗闇の中で、孤独だけが募っていく。
誰もいない。何も見えない。
ただ、東へ。夜の深淵へ。
このまま永遠に闇の中を彷徨うことになるのではないかという恐怖が、冷気と共に這い上がってくる。
――なんで、俺はこんな所にいるんだ?
ふと、疑問が浮かぶ。
金のため? 違う。今回の報酬じゃ、この機体の修理費すら賄えない。
義理? 契約期間はとっくに終わっている。
なら、なぜ命を削ってまで飛んでいる。
『……あ、美味しい』
脳裏に、ふわりと温かい記憶が蘇った。
薄暗いハンガーの片隅。
オイルの匂いと、不味いコーヒーの湯気。
そして、白磁のように白い肌をした少女の、花が咲くような笑顔。
ああ、そうだ。
俺は、あの顔をもう一度見たかったんだ。
冷たく澄んだ硝子細工のような彼女が、俺みたいな泥だらけの男の隣で、体温のある「人間」として笑ってくれた。
それが、どうしようもなく嬉しかったのだと、今更ながらに気づく。
「……待ってろよ。今行く」
サクヤは薄れゆく意識をねじ伏せ、操縦桿を引き絞った。
エンジンが、惑星の悲鳴のような轟音を奏でる。
それは、凍てつく夜空に響く、たった一つの命の独奏だった。
†
一方その頃。
遥か西、『天の梯子』空域。
そこでは、絶望的な防衛戦が続いていた。
「くっ……! 数が、減らない……!」
近衛騎士ヴィグナは、血の気が引いた顔でトリガーを引き続けていた。
彼女の愛機『緋蜂』は、すでに満身創痍だった。
シールド出力は低下し、装甲はあちこちが剥がれ落ち、内部フレームが露出している。
対する『赤道』軍の無人機部隊は、感情を持たない蜂の群れのように、正確無比な統率で襲いかかってくる。
「警告します。貴機の生存確率は一%未満。直ちに降伏を」
敵のオペレーターからの冷淡な通信が入る。
だが、ヴィグナは口元の血を拭い、獰猛に笑った。
「一%あれば十分だ……! 我らが姫の命運を、貴様らの確率論ごときで測るな!」
ヴィグナはスラスターを逆噴射させ、強引な急制動をかけた。
追尾してきたミサイルを紙一重でかわし、すれ違いざまにビーム・ランスで敵機を串刺しにする。
だが、その隙を突かれた。
ズガァァァン!!
死角からの狙撃。
『緋蜂』の右主翼が根元から吹き飛ばされた。
姿勢制御を失い、機体が大きく傾ぐ。
「しまっ……!?」
スピンしながら落下していく視界の中で、彼女は見た。
敵旗艦『シルフィード』が、悠然とオリエンス号へ照準を合わせている姿を。
間に合わない。
私の誇りも、命も、ここまでか。
†
再び、東の空――いや、今は「西」を目指す闇の中。
サクヤの『黒鳶』は、限界点に達していた。
キャノピーの内側は完全に氷結し、視界はゼロ。頼りになるのはレーダーと、己の体内時計だけ。
「……あと、少し」
計算上では、もう地球の裏側へ達しているはずだ。
夜の領域を突き抜け、太陽が沈んだばかりの「西の空」の、さらに西側へ。
ピピッ。
凍りついたコンソールで、高度計のアラームが鳴った。
前方に、微かな光の反応。
それは、夜明けの光ではない。
戦火の光だ。
「……見つけた」
サクヤは渾身の力で、凍りついたキャノピーを内側から拳で殴りつけた。
ガガンッ!
ヒビが入り、そこから氷が砕け落ちる。
開けた視界の先に広がっていたのは、分厚い雲海と、それを焼き尽くすような爆発の閃光。
そして、傷つきながらも必死に空にしがみつく、白い船の姿だった。
「間に合った……!」
サクヤの全身に、熱い血が巡った。
エンジンの斥力制御を「巡航」から「戦闘」へと切り替える。
後方へ噴射していたコアとの反発力を、今度は全方位の機動制御へと叩き込む。
長い、長い夜は終わった。
ここからは、反撃の時間だ。
「――全速前進!!」
『黒鳶』は、夜の闇を突き破り、まばゆい光の戦場へと躍り出た。
全身に氷の鎧を纏い、青白い鬼火を引くその姿は、まさしく夜空を切り裂く『彗星』そのものだった。
この世界の航空機は、「星の石」と「惑星のコア」が反発し合う『斥力』を利用して飛んでいます。
普段は機体が溶けないようにリミッターをかけていますが、極寒の「夜」の中なら冷却し放題なので、コアを蹴り飛ばす勢いで加速できる……というロジックです。
さて、長い夜を抜け、ついに舞台は整いました。
次回、第32話。
ついに「あの男」が戦場に帰ってきます。
タイトル回収回です。お見逃しなく!




