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【続編執筆中!】銀灰の掠夜彗星(ナイトグレイザー)~「夜」に追いつかれたら即死する世界で、深窓の姫君を拾いました~  作者: 吉良織彦
第4章:追走の翼、夜を越えて

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第29話 灰色の残り火

お待たせしました、サクヤ視点です。

別れたはずの日常。しかし、飯は不味く、空は狭い。

男が再び空へ還るには、少しのきっかけと、手痛い「一撃」が必要なようです。

 中立浮遊都市『錆びた止まり木(ルースト)』、第五居住区画。

 配管が迷路のように絡み合う天井からは、絶え間なく汚れた水滴が滴り落ちている。路地裏には、正体不明の露店が立ち並び、人工タンパク質を焼く香ばしい匂いと、粗悪なエタノール燃料の刺激臭が混じり合っていた。

 そこは、世界から見捨てられた者たちが集う吹き溜まりであり、サクヤにとっては勝手知ったる「庭」だった。

 はずだった。


「……味がしねえな」


 サクヤは、馴染みの酒場のカウンターで、スプーンを皿に投げ出した。

 琥珀色のどろりとした液体――「特製ラット・シチュー」が、半分以上残ったまま冷え固まっている。普段なら、この塩気の強いスープと、決して柔らかくはない合成肉を流し込み、安酒で喉を焼くのが至福の時間だった。

 だが、今日はまるで砂を噛んでいるようだ。


「あぁ? 文句あるなら食うなよ。今日の肉は上等だぞ。昨日捕れたばかりの新鮮なやつだ」


 義眼の店主が、磨いていたグラスを置いて不機嫌そうに言った。


「文句じゃねえよ。……ただ、腹が減ってねえだけだ」


 サクヤは気のない返事をし、胸ポケットから煙草を取り出した。火をつけるが、その紫煙さえもどこか苦く感じる。

 数日前、あの巨大な都市艦のハンガーで飲んだコーヒーを思い出した。泥水のように濁っていて、酸味が強く、粉っぽかった。

 けれど、隣には不釣り合いなドレスを着た少女がいて、彼女はそれを「美味しい」と言って笑った。

 あの時の温度。

 オイルの匂いと、彼女のかすかな香水の香り。

 それが今も、鼻腔の奥にこびりついて離れない。


「……重症ね」


 隣の席から、呆れたような、それでいて艶のある声が響いた。

 紫煙をくゆらせていたのは、レイファだ。

 彼女は深いスリットの入ったチャイナドレスの上に、豪奢な毛皮のコートを羽織っている。薄暗い酒場の中で、彼女の周りだけ空気が華やいで見えた。

 『赤道』軍の襲撃による被害の算定と、復興指揮。その激務の合間の、束の間の休息なのだろう。


「何がだ」

「あなたよ。……体はここにあるけど、魂はどっかに置き忘れてきたみたい」


 レイファは長いキセルを指先で回しながら、サクヤの横顔を覗き込んだ。その鋭い視線は、サクヤの心の奥底にある空洞を完全に見透かしていた。


「スカベンジャーが空を見上げるのは商売上の癖だろ」

「いいえ。あなたが探しているのは『獲物』じゃないわ。……西の空に消えた、白い船を探しているんでしょう?」


 図星だった。

 仕事に出ても、瓦礫の山を漁っていても、ふとした瞬間に西の空を見てしまう。そこにあるのは、茜色の夕暮れと、迫りくる漆黒の夜だけだ。もう、あの船の影はない。

 契約は終わった。報酬は受け取った。

 俺は部外者だ。そう何度も自分に言い聞かせているのに、胸のざわめきが収まらない。まるで、重要なパーツを一つ付け忘れたまま離陸してしまったような、致命的な欠落感。


「……くだらねえ。俺は、いつもの日常に戻っただけだ」


 サクヤは吐き捨てるように言い、冷めたシチューを無理やり口に運んだ。

その時だった。

 酒場の重い鉄扉が、静かに、しかし重々しく開かれた。


「――邪魔するぜ」


 入ってきたのは、情報屋のジンだ。

 いつもの気だるげな様子はない。その目は鋭く、手には一枚のデータパッドが握られている。


「ジンか。珍しいな、お前がここに来るなんて」

「緊急ネタだ。……サクヤ、お前の『忘れ物』がピンチらしいぞ」


 ジンは黙ってデータパッドをカウンターに滑らせた。

 空中にホログラムが展開される。映し出されたのは、広域気象図だ。ルーストから遥か西、オリエンス号が進んでいるはずの『白夜航路』上に、どす黒い渦が壁のように立ち塞がっていた。


「……なんだこりゃ。嵐か?」

「ただの嵐じゃない。『磁気嵐の壁(ストーム・ウォール)』だ。寒暖差による気流の衝突に、地磁気の乱れが重なって発生する、物理的な断絶壁だよ」


 ジンの説明に、サクヤの目が険しくなった。

 風速一五〇メートル。雷雲の厚さは一万メートル以上。

 そんなものが航路上に居座っている。それはもはや気象現象ではない。


「オリエンス号の現在位置はここだ。このままだと、真正面から嵐にぶつかる。……あんな老朽艦じゃ、突入した瞬間に空中分解だ」

「迂回は?」

「無理だ。壁の範囲が広すぎる。南へ逃げれば『夜』に追いつかれて凍結するし、北へ逃げれば『赤道』の防衛圏だ。……完全に詰んでる」


 サクヤの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

 脳裏に、あのブリッジで指揮を執る老艦長と、不安げに窓の外を見つめるアリアの顔が浮かぶ。

 彼らは今、逃げ場のない死の檻に閉じ込められている。


「……でも、一つだけ道がある」


 ジンが指先で地図を拡大した。


「『天の梯子(ジェイコブス・ラダー)』だ。上昇気流を利用して高度を一気に上げ、嵐の壁を飛び越えて『赤道航路』へ合流するルート。……そこしか生き残る道はない」

「なら、そこを通ればいいじゃねえか」

「それが罠だと言っているんだ、サクヤ」


 ジンは愛用の大型拳銃を取り出し、布で磨きながら冷徹に告げた。


「俺の情報網に引っかかった。数時間前から、その『天の梯子』の出口付近に、『赤道』軍の艦隊が集結している。……旗艦は、あの『風の妖精(シルフィード)』だ」


 カチャン、と銃のスライドが戻る音が、酒場に冷たく響いた。


「待ち伏せだよ。奴らは最初から、オリエンス号をあの『磁気嵐の壁(ストーム・ウォール)』で追い込み、逃げ場をなくしたところを狩るつもりだったんだ」


 全てが繋がった。

 あの白い機体――フェリオンが、ルーストからあっさりと撤退した理由。

 あれは敗走ではなかった。猟犬が獲物を追い込むように、オリエンス号を死地へと誘導するための布石だったのだ。

 前には鉄壁の包囲網。後ろには絶対的な死である「夜」。そして逃げ道であるはずの空は、嵐に閉ざされている。

 ――助けに行かねば。

 衝動が、身体の奥底から湧き上がった。

 だが、次の瞬間、冷徹な理性がそれを押し留める。

 間に合うのか? ここからあそこまでは数千キロある。今の『黒鳶』は修理中だ。左腕の武装も失っている。それに、俺が行ったところで何ができる? 相手は正規軍の艦隊だ。

 俺はただのスカベンジャーだ。英雄じゃない。契約も終わった。義理はない。

 サクヤは拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。行かない理由なら、いくらでも思いつく。

 だが、その全ての理屈をねじ伏せるように、アリアの声が蘇る。

 『あなたの声だけは、道しるべみたいに響くんです』

 あの信頼に満ちた瞳が、絶望に染まるのを想像した瞬間、サクヤの中の何かが焼き切れた。


「……クソッ!」


 サクヤはカウンターを殴りつけた。

 迷っている時間などない。分かっている。分かっているが、足がすくむ。それは死への恐怖か、それとも再び何かを背負うことへの恐怖か。

 ドゴォッ!!

 鈍く、重い衝撃が横っ腹に走った。

 サクヤの視界が揺れ、椅子ごと床に転げ落ちた。

 何が起きたのか理解するより先に、激痛が脳を駆け巡る。


「……いってぇな! 何しやがる!」


 床を這いながら怒鳴り上げると、そこには鬼のような形相のレイファが立っていた。

 彼女はドレスの裾を捲り上げ、その長い脚でサクヤを蹴り飛ばしたのだ。

 だが、彼女の瞳に宿っていたのは、軽蔑ではなく、燃えるような怒りと――深い愛情だった。


「うるさいッ!!」


 レイファの一喝が、酒場の空気を凍りつかせた。


「うじうじと言い訳ばっかり並べて……。私が惚れたサクヤは、そんな腑抜けた男だった!?」

「レイファ……」

「行きたいんでしょ? 助けたいんでしょ? だったら、四の五の言わずに行きなさいよ!」


 彼女は胸元から、一枚の古びたカードキーを取り出し、倒れているサクヤに投げつけた。カラン、と乾いた音が床に響く。


「……地下の第3倉庫を開けなさい。そこに、あんたへの『餞別』を用意してあるわ」

「餞別?」

「『黒鳶』の新しい左腕。それに、私がヘソクリで買い集めた、軍用規格の最高純度液体燃料よ。……あんたがいつか、この狭い街を飛び出して、遠くへ行っちまう日のために準備してたのよ。馬鹿野郎」


 レイファの声が、僅かに震えていた。

 彼女はずっと分かっていたのだ。サクヤという男が、いつか自分のもとを去り、もっと広い空へ飛び立っていくことを。

 だからこそ、その翼を折るのではなく、誰よりも高く、速く飛べるように、密かに準備を続けていたのだ。それは、彼女なりの愛の形であり、決別への覚悟だった。

 サクヤは床からカードキーを拾い上げ、埃を払った。

 腹の痛みと共に、迷いは消し飛んでいた。心の中にあるのは、熱く燃え上がる灰色の残り火。いや、それはもう残り火ではない。

 業火だ。


「……いい女だな、お前は」


 サクヤは立ち上がり、ニヤリと笑った。

 その顔つきは、もう倦怠にまみれた敗北者のものではない。獲物を狙う、飢えた狼の顔だ。


「行ってくる。……必ず、生きて帰ってくるから」

「当たり前でしょ! これまでのツケと投資分、体で返してもらうまで死ぬことは許さないわよ!」


 レイファは涙を堪えるように顔を背け、手を振った。

 サクヤはジンに向き直り、指を鳴らした。


「ジン、情報感謝する。……整備班を叩き起こせ! 『黒鳶』の最終調整だ!」

「へっ、人使いの荒いこった。……もう手配してある。急げよ」


 ジンは呆れたように肩を竦めたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。

 サクヤは酒場の扉を蹴り開けた。外の空気は冷たく、鉄錆とオイルの匂いがした。だが、今はその空気が美味い。

 見上げれば、頭上には分厚い雲。だが、その向こうには無限の空が広がっている。

 

 待ってろ、お姫様。忘れ物を届けに行く。

 そして、あの気取った「妖精」に教えてやるんだ。

 この空で一番速いのが誰なのかを。

 サクヤはハンガーへと続く階段を、一段飛ばしで駆け下りた。その背中には、見えない翼が広がっているようだった。

レイファ姐さん、男前すぎます……!

「惚れた男には、最高の翼を与えて送り出す」

これぞイイ女の矜持ですね。

新しい左腕、そして限界突破の燃料。準備は整いました。


次回――第30話『死線への跳躍ナイト・ダイブ』。

いよいよタイトル回収、そして『銀灰の掠夜彗星』の本領発揮です。

「夜」を利用して加速する、狂気のドッグファイトにご期待ください!

この展開にワクワクしていただけたら、ぜひ【評価・ブクマ】でサクヤたちのブーストをお願いします!

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