間話 籠の中の鳥、空を思う
前話に続き、今回はアリア視点の間話です。
前門の虎、後門の狼。そして行く手には自然の猛威。
追い詰められた姫君が下す、決断とは。
都市艦オリエンス号、第一艦橋。修復されたばかりのブリッジは、不気味なほど静まり返っていた。モニターに映し出されているのは、進行方向の西の空を塞ぐ、絶望的な光景だった。
「……ひどい荒れ模様ですね」
アリア・セレス・オリエンスは、玉座のような艦長席の隣で、震える声を押し殺して呟いた。そこには、天地を繋ぐほどの巨大な黒雲の壁がそびえ立っていた。紫色の稲妻が龍のようにのたうち回り、大気を引き裂いている。通常の気象現象ではない。昼の熱気と夜の冷気が衝突し、さらに地磁気の乱れが重なって発生した、数十年に一度の『磁気嵐の壁』だ。
「報告します、姫様」
バラスト艦長が、苦渋に満ちた顔で口を開いた。 彼は古傷の痛む膝をさすりながら、厳しい現実を突きつける。
「この嵐は、現在の『白夜航路』全域を遮断しています。幅は数千キロ。……今の本艦の足では、迂回する前に背後の『夜』に追いつかれます」
「突っ切ることは、できませんか?」
「不可能です。サクヤ殿が案内してくれたような『デブリの隙間』も、この規模の嵐では存在しません。無理に進めば、船体が空中分解します」
詰みだ。前に進めば嵐に砕かれ、足を止めれば氷漬けになる。アリアは胸元のドレスをギュッと握りしめた。サクヤたちが命がけで直してくれたこの船を、こんな自然の気まぐれで終わらせるわけにはいかない。
「……道は、あるのでしょう? 艦長」
アリアは顔を上げ、歴戦の老人を見据えた。バラストは一瞬躊躇したが、意を決して航路図の一点を指し示した。
「……唯一の生存ルートがあります。現在の低空域を捨て、上昇気流に乗って高度を上げ、『嵐の壁』の上を飛び越えるのです」
「それは……『赤道航路』へ出るということですね?」
「はい。通称『天の梯子』。そこを通れば、嵐の影響を受けない高高度へ脱出できます」
だが、ブリッジの空気は重いままだ。そこに何が待ち受けているか、全員が理解しているからだ。
「しかし姫様! それは自殺行為です!」
控えていたヴィグナが悲鳴のような声を上げた。
「『天の梯子』は、白夜と赤道を繋ぐ要衝……。あのような襲撃を仕掛けてきた『赤道』軍が、そこを見張っていないはずがありません! 間違いなく、伏兵がいます!」
「分かっています、ヴィグナ」
アリアは静かに頷いた。フェリオン。あの純白の機体を駆る死神。彼がルーストから撤退したのは、諦めたからではない。このルートへ追い込むための「狩りの布石」だったのだ。後ろには確実な死。前には敵の罠。どちらを選んでも地獄。ならば――。
「……進路を『天の梯子』へ向けてください」
アリアの声が、凛と響いた。
「姫様!?」
「座して死を待つより、可能性に賭けましょう。……それに、あの人は言っていました」
アリアの脳裏に、ボロボロのコートを羽織った青年の背中が浮かんだ。泥と油の匂い。ぶっきらぼうだけど温かい言葉。『生き残るために、必要なことは全部やる』彼はそうやって、あの「墓場」から生還したのだ。
「私たちがここで足を止めたら、彼がくれた『明日』が無駄になってしまいます。……突破しましょう。どのような敵が待っていようとも」
その言葉に、バラスト艦長が深く頭を下げた。
「……御意。総員、第一戦闘配備! 本艦はこれより上昇し、『天の梯子』へ突入する!」
艦内にサイレンが鳴り響く。アリアは窓の外、遠ざかっていく雲海の下を見下ろした。そこには、もう見えないけれど、あの錆びついた街があるはずだ。
(サクヤさん……)
彼なら、こんな時どうするだろうか。きっと、不敵に笑って「賭けの時間だ」と言うに違いない。会いたい。その声を聞きたい。王女としての仮面の下で、一人の少女としての本音が疼く。あのハンガーで飲んだ、泥のように苦いコーヒーの味が、忘れられない。 彼が隣にいない不安が、鋭い棘となって胸を刺す。
(……いいえ。弱音を吐いてはダメ)
アリアは首を振り、その不安を強引に飲み込んだ。 彼を巻き込むわけにはいかない。彼は彼の空で生きると決めたのだから。これは、私たちが自力で越えなければならない試練だ。
「行きましょう。……夜明けの彼方へ」
白い巨船が、ゆっくりと艦首を持ち上げる。目指すは頭上の厚い雲。その向こう側で、白き断罪者が笑っているとも知らずに。
アリア様、強くなりました。
ただ守られるだけの姫ではなく、民の命を背負って死地へ踏み出す覚悟。
しかし、その心の内にはやはりサクヤへの想いが……。
「会いたい」と願う彼女の声は、果たして彼に届くのか。
次回、視点は再び『ルースト』へ。
燻っているあの男の背中を、最強の女帝が蹴り飛ばします。
ここから一気に加速します!
引き続き、応援よろしくお願いいたします!




