第28話 旅立ちの汽笛
戦いは終わり、選択の時が訪れます。 アリアからの契約延長の申し出。 しかし、サクヤが選んだのは「日常」でした。 別れの時。二つの空が、再び分かたれます。
戦闘は唐突に終わった。上空を覆っていた『赤道』の無人機部隊は、指揮官機である『風の妖精』の撤退に呼応するように、潮が引くように去っていった。残されたのは、硝煙の匂いと、あちこちで上がる黒煙。そして、生き残ったルーストの住人たちの安堵のため息だった。
「……終わった、のか?」
誰かが呟いた。その声を皮切りに、街中から歓声が沸き起こった。正規軍の襲撃を退けたのだ。ゴミ溜めの住人たちが、最新鋭の軍隊を追い返した。それは小さな奇跡であり、彼らのプライドを満たす大きな勝利だった。
第五ブロック、地下ハンガー。サクヤは『黒鳶』のコクピットから這い出し、コンクリートの床に大の字になって寝転がっていた。全身が痛い。アドレナリンが切れ、鉛のような疲労感が襲ってくる。愛機からは、過負荷で悲鳴を上げていた古代エンジン『ヴァルカン・プライム』の排熱音が、まだ唸るように響いている。
「……まったく。寿命が縮むぜ」
サクヤが天井を見上げて独りごちると、視界に紫色の影が割り込んだ。
「サクヤ!」
レイファ・シェン・ヴァレンタインだ。彼女はなりふり構わずサクヤに覆いかかり、その胸に顔を埋めた。ドレスは煤け、美しい顔にも汚れがついているが、今の彼女はそんなことを気にも留めていない。
「馬鹿! 大馬鹿野郎! ……死んだかと思ったじゃない!」
「……悪かったよ。だが、約束通り守ったぞ。お前の街も、この機体もな」
サクヤは背後に佇む『黒鳶』を親指で指した。左腕を失い、装甲はボロボロだが、心臓部は無事だ。レイファは涙目で機体を睨み、それからサクヤの頬を強くつねった。
「どこがよ! ボロボロじゃない! 左腕の『圧砕鉄顎』、使い捨てにするなんて聞いてないわよ!」
「ああしなきゃ死んでた。……請求書はアリアに回しといてくれ」
サクヤが苦笑すると、レイファは力が抜けたように笑い、彼の額にキスを落とした。
「……生きててよかった。本当に」
その時、ハンガーのスピーカーからリベットの声が響いた。
『旦那! オリエンス号から通信だ! アリア姫とヴィグナ団長が無事に戻ったってさ!』
モニターにアリアの顔が映し出された。王宮の椅子に座り、凛とした表情をしているが、その目は少し赤くなっているように見えた。
『サクヤさん! ご無事ですか!?』
「ああ。五体満足だ。そっちのエンジンはどうだ?」
『はい。リベットさんの調整のおかげで、『星導炉』の出力は安定しています。バリアの展開も完了しました』
アリアは胸に手を当て、深く頭を下げた。
『ありがとうございました。あなたのおかげで、この船も、私も、そしてルーストの方々も助かりました』
「礼には及ばねえ。契約通りの仕事をしただけだ」
『……契約、ですね』
アリアの表情が少し曇る。オリエンス号の修理完了。それは即ち、サクヤとの契約終了を意味する。 彼女たちは旅を続け、サクヤはこの街に残る。ここで別れだ。
『あの……サクヤさん』
「ん?」
『契約の……延長をお願いできませんか?』
アリアの言葉に、サクヤは目を見開いた。
『私たちはこれから、さらに過酷な空域へと進みます。今回のような敵……『風の妖精』のような脅威が、また襲ってくるかもしれません。今の私たちには、あなたの力が必要なのです』
モニター越しのアリアの瞳は真剣だった。王女としての立場を超え、一人の少女として縋るような視線。
『報酬はお望みのままに。……どうか、私の「剣」となり、この先も旅に付き合っていただけませんか?』
サクヤは黙り込んだ。悪い話ではない。あの『風の妖精』には借りを返したいと思っているし、アリアたちのことも嫌いではない。だが。彼は視線を巡らせた。煤だらけになったハンガー。心配そうに見つめるリベット。そして、隣で不安そうに自分の袖を掴んでいるレイファ。
ここが、俺の居場所だ。 泥と油と、錆にまみれたこの街こそが。
「……悪いな、お姫様」
サクヤは静かに首を横に振った。
「俺はスカベンジャーだ。根無しの渡り鳥だが、帰る巣がなきゃ生きていけねえ。……俺の空は、ここにある」
アリアの瞳が揺れた。だが、彼女はすぐに気丈な笑みを浮かべ、頷いた。
『……そう、ですね。分かっていました。あなたは、誰かに縛られるような方ではありませんから』
「すまねえな」
『謝らないでください。……短い間でしたが、あなたに守っていただけて光栄でした。この御恩は一生忘れません』
アリアはスカートの裾を掴み、王族の最敬礼をした。
『さようなら、サクヤさん。……どうか、お元気で』
「あんたもな。達者でやれよ」
通信が切れた。 プツン、という音と共に、モニターが暗転する。 それは、日常への帰還の合図だった。
「……いいの?」
レイファが小さな声で尋ねた。
「行かなくて、よかったの? あんな可愛い子に頼まれたのに」
「ああ。……俺には、口うるさい大家がいるからな」
サクヤが肩をすくめると、レイファは顔を真っ赤にして、彼の胸を拳で叩いた。
「馬鹿っ! ……馬鹿サクヤ!」
彼女は嬉しそうに、何度も何度も叩いた。その痛みすらも、サクヤには心地よかった。
†
数時間後。ルーストの港から、一隻の白い巨船が離岸した。都市艦オリエンス号。修復された『星導炉』が青い光の粒子を撒き散らし、重力アンカーを解き放つ。
サクヤは『黒鳶』の肩の上に座り、その光景を眺めていた。隣にはジンがいる。彼もまた、愛銃の手入れをしながら見送りに来ていた。
「……行っちまったな」
「ああ」
「惜しいことしたんじゃねえか? 王宮専属の騎士になれば、食いっぱぐれはなかったぜ」
「性に合わねえよ。俺は泥水すすってる方が落ち着くんだ」
サクヤは強がりを言い、胸ポケットからタバコを取り出した。火をつける。紫煙が空へと昇り、オリエンス号の航跡と重なった。
ヴォォォォォォ……。低い汽笛が鳴り響く。それは別れの挨拶であり、新たな孤独な旅路への決意の音だった。
巨船はゆっくりと雲海の中へ沈み、やがて見えなくなった。サクヤは吸い殻を弾き飛ばし、立ち上がった。
「さて、と。……仕事に戻るか」
日常が戻ってきた。騒がしく、汚く、けれど愛すべき日常が。だが、サクヤはまだ知らなかった。 一度交わった運命の糸は、そう簡単には切れないということを。そして、あの白い船が向かう先に、想像を絶する嵐が待ち受けていることを。
お読みいただきありがとうございます!
これにて第一章「ルースト防衛編」、完結です! サクヤはオリエンス号の旅には同行せず、ルーストに残ることを選びました。 レイファやジン、そしてこの街への愛着。 何より、「自分はスカベンジャー(ゴミ漁り)だ」という矜持が、彼をここに留まらせました。 アリアとの別れはあっさりとしていましたが、互いに認め合っているからこその、清々しい別離だったと思います。
……ですが。 これで終わりではありません。 むしろ、ここからが本当の物語の始まりです。
次回からは「間話」を挟みつつ、新章へ突入します。 サクヤが撃退した『赤道』の動き。 そして、一人で旅立ったアリアたちを待ち受ける危機。 離れ離れになった二人が、再び巡り合う日は来るのか?
次回、間話「赤の玉座」。 ついに敵の本拠地、その深淵が描かれます。 お楽しみに!
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それでは、新章でお会いしましょう。




