第21話 錆びとオイルと、愛すべきクズたち
命がけの仕事を終え、サクヤが帰ってきたのは中立浮遊港『ルースト』。
そこには、彼を待つ「騒がしい日常」と、危険な香りのする仲間たちがいました。
白夜航路。
惑星の極地付近に位置するこの空域は、夜の追撃が緩やかだ。ゆえに、ここは空の掃き溜めとなった。その一角に、不格好な鉄の塊が浮いていた。
中立浮遊港『錆びた止まり木』。
無数の廃棄船や小惑星を太いワイヤーで無理やり繋ぎ合わせた、この空で最も自由で、最も危険な吹き溜まりだ。
ズゥゥゥン……。
サクヤの愛機『黒鳶』が、第五居住ブロックの地下深く、隠蔽された専用ハンガーへと滑り込んだ。
プシュゥゥゥ……。
機体の各所から、冷却用の白煙が噴き出す。それは長い狩りを終え、巣に戻った獣の安堵の吐息に似ていた。
「……帰ってきたな」
サクヤはコクピットハッチを開放し、外の空気を肺一杯に吸い込んだ。
鼻孔を突くのは、焦げた絶縁体、安酒、そしてスパイスの混じった猥雑な匂い。
オリエンス号のような、管理された清浄すぎる空気はどうも肌に合わない。喉に引っかかるこの埃っぽさこそが、自分が生きるべき場所の味だと実感させられる。
サクヤはラダーを降り、コンクリートの床に足をつけた。
全身の筋肉が鉛のように重い。あの「墓場」での死闘は、心身共に限界まで彼を削っていた。
「よぉ、お帰り。随分と派手に壊してきたじゃねえか」
ハンガーの奥、薄暗い休憩スペースから男の声がかかった。
積み上げられた古タイヤの山に王様のように腰掛け、指先でコインを弾いている男――ジンだ。
サクヤと同じ年頃の悪友。ボサボサの黒髪に、眠たげな三白眼。痩せた体躯は猫のようにしなやかだが、その腰には身の丈ほどもある長銃身の対物ライフルが無造作に立てかけられている。
このルーストで一、二を争う腕利きのスナイパーだ。
「ジンか。……私の留守中に勝手に冷蔵庫を漁るなと言ったはずだぞ。ビールが減ってる」
「ケチくせぇこと言うなよ。お前が生きて戻ってくる方に、なけなしの『今日の晩飯代』を賭けてたんだ。祝杯くらい上げさせろ」
ジンは指先で弾いたコインをパシッと掴み取り、ニヤリと笑った。
「で、戦果は? まさか手ぶらじゃねえだろうな?」
「……大赤字だ。左腕のパイル射出機構が溶け落ちたし、ブースターも過負荷で焼き付いた。今回の報酬は、全部修理代で消えるな」
「うわ、マジかよ。こりゃあ『奥方様』が発狂するぜ。あれ市場には出回ってない試作パーツだろ?」
ジンが肩をすくめて天井を指差した、その時だった。
カツ、カツ、カツ……。
鉄骨の階段を、ヒールの音が降りてくる。
ジンが「おっと、お出ましだ」と小さく呟き、気まずそうに顔を背けた。サクヤも身構える。だが、それは敵意ではない。もっと厄介で、甘い緊張感だ。
「――おかえりなさい、サクヤ」
鈴を転がすような、それでいて艶のある声。
階段の踊り場に、一人の女が立っていた。
大胆なスリットが入った、深い紫のチャイナドレス。その上に、無骨なフライトジャケットを羽織っている。
このブロックの裏マーケットを取り仕切る女帝、レイファだ。闇に溶ける紫色は、彼女の持つ大人の色香と、底知れぬ深さを象徴しているようだった。
「……ただいま、レイファ」
サクヤが言いかけた瞬間、彼女は階段の手すりを軽く飛び越えた。
ふわりと舞う紫の裾。着地と同時に、甘い香水の匂いがサクヤを包み込んだ。
「遅い!」
レイファはサクヤの首に腕を回し、勢いよく抱きついた。
豊かな胸の感触が押し付けられる。
「3日よ。3日と6時間も連絡なしか。……浮気にしては長すぎるんじゃない?」
「悪い。電波が届かない深層にいたんだ」
「ふふ、知ってるわよ。無事でよかった」
彼女はサクヤの胸板に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。まるで出張帰りの夫を迎える妻のように、その仕草はあまりに自然で、堂々としていた。
サクヤもまた、観念したように彼女の腰に手を回し、その体を支えた。
彼女は「大家」でも「母親」でもない。勝手にサクヤの『第一夫人』を自称し、彼の帰る場所を守り続けている女だ。
数秒後、レイファは顔を上げ、サクヤの瞳を覗き込んだ。
「……ねえ、あなた?」
「なんだ」
「いつもの鉄と硝煙の匂いに混じって、ちょっとだけ『知らない女』の匂いがするわね?」
サクヤの心臓が早鐘を打つ。
彼女の勘は、最新鋭の分析センサーよりも鋭い。
「……仕事相手だ。オリエンスの騎士と、整備士が女だっただけだ。やましいことは何もない」
「ふーん。騎士? あの上品ぶった都市艦の、お堅い女?」
レイファは一瞬だけ目を細めたが、すぐに余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
嫉妬? まさか。彼女の表情にあるのは、圧倒的な「本妻の余裕」だ。
「ま、いいわ。男の甲斐性ってやつよね。……外で多少つまみ食いをしたとしても、最後に帰ってくるのは『ここ』だもの」
彼女はサクヤの襟元を整え、胸元に赤いキスマークを残すように指でなぞった。
「遊び相手なら何人いても構わないわ。でも、忘れないでね? あなたの『一番』は私よ。……その席だけは、誰にも譲らないから」
「……はいはい。肝に銘じとくよ」
サクヤが苦笑して答えると、レイファは満足げに微笑み、パッと体を離した。
その態度は洗練されていて、自信に満ちている。
「私は愛されている」という確信があるからこそ、少々のことでは動じない。
「さて、と。『黒鳶』の修理だったわよね?」
レイファはボロボロになった愛機を見上げた。その瞬間、恋する女の顔から、頼れるバイヤーの顔へと変わる。
「酷い有様ね。左腕のフレーム、完全にイカれてるわ。……でも、任せておきなさい。西側のルートから、極上のパーツを仕入れてあるの」
「助かる。支払いは……」
「出世払い、でしょ? もう耳にタコができるくらい聞いたわ」
レイファはクスクスと笑い、サクヤの頬を指先で突いた。
「金なんて、夫婦の間で水くさいこと言わないの。……その代わり、今夜は私の部屋に来なさい。マッサージしてあげる。……朝まで、たっぷりとね?」
「……お手柔らかに頼む」
サクヤが答えると、レイファは嬉しそうに目を細めた。横で見ていたジンが、わざとらしく大きな咳払いをする。
「あのー、ご両人。俺の存在、忘れてません?」
「あら、いたの? 負け犬ジン」
レイファは冷たく言い放ち、すぐにサクヤへと向き直る。その落差が激しい。
「サクヤ、シャワー浴びてきなさい。お湯、沸かしておいたから。着替えもいつもの場所に置いてあるわよ」
「ああ、借りる」
サクヤはレイファの頭を一度だけポンと撫でてから、居住スペースへと歩き出した。
その背中を見送りながら、レイファは嬉しそうに扇子で口元を隠していた。
「……まったく。いつまで経っても手のかかる旦那様なんだから」
サクヤが消えた後、ハンガーにはジンとレイファが残された。
ジンは手にしていたコインを強く握りしめ、表情を引き締めた。
「おい、姉さん。いいのか? あのこと、言わなくて」
「……今はいいわ。せっかく帰ってきたんだもの、ゆっくり休ませてあげなさい」
レイファの声から甘さが消える。そこにあるのは、街を統べる女帝の冷徹な響きだ。
「最近、街に変な連中が入り込んでる」
「ああ。『赤道』の方角から来た、プロの掃除屋だろ?」
「ええ。……サクヤが関わった『オリエンス号』を嗅ぎ回ってるわ」
レイファは『黒鳶』の機体を撫でながら、鋭い視線を闇に向けた。
「私の男に手を出そうなんて、いい度胸よ。……徹底的に調べて、私が始末をつけるわ」
日常が戻ってきた。
だが、その日常のすぐ裏側で、新たな火種が燻り始めていることを、彼らは肌で感じていた。
お読みいただきありがとうございます!
サクヤのホームグラウンド、中立都市船『錆びた止まり木』へ帰還。
そこで彼を待っていたのは、二人の強烈な腐れ縁でした。
ジン:
悪友のスナイパー。女好きでギャンブル好き。
普段はふざけていますが、銃の腕と、裏社会の異変を嗅ぎ取る嗅覚は超一流です。
レイファ:
この街の裏マーケットを取り仕切る女帝。
そして、サクヤの「自称・第一夫人」。
「他の女と遊んでもいいけど、最後に帰ってくるのは私でしょ?」という、圧倒的な本妻ムーブをかましてくる大人の女性です。
イメージカラーは「紫」。アリア(白)やヴィグナ(赤)とは違う、夜の街が似合う第4のヒロインです。
次回、第22話「境界線を越えて」。
そんなサクヤの元へ、アリアたちが「お忍び」でやって来ます。
王女様、初めてのスラム街。
そしてレイファとの遭遇……一触即発の予感しかしません。
【読者の皆様へ】
「レイファ姉さんの余裕、かっこいい!」「サクヤ、愛されてるなぁ」と思っていただけましたら、
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それでは、また次回の更新でお会いしましょう。




