第13話 腐食の回廊
サクヤの嘘によって足を踏み入れたのは、酸の霧が立ち込める地獄。
そこで輝いたのは、一人の小さな整備士でした。
プーッ!プーッ!プーッ!
扉を蹴り開けた瞬間、ヴィグナとリベットの防護服から、けたたましい警告音が鳴り響いた。
「な、何ですかこの音は!?バイタルサインに異常!?」
「警告だ!マスクの密閉を確認しろ!隙間があったら肺が溶けるぞ!」
サクヤが叫びながら、慌てて二人を壁際へ押しやる。目の前に広がる通路には、毒々しい緑色の霧が立ち込めていた。
シューッ……ジュワワワ……。霧が触れた床の鉄板が、音を立てて泡立ち、溶解していく。強酸性のガスだ。それも、ただのガスじゃない。
「……『竜の吐息』か。最悪だ」
サクヤが忌々しげに呟く。これは古代艦艇に使われていた冷却液が気化したものだ。吸えば即死、皮膚に触れれば化学熱傷。おまけに装備の金属すら腐食させる。
「ど、どうしましょうサクヤ殿!私の剣の鞘が……!」
ヴィグナが悲鳴を上げる。腰の星導剣の鞘が、霧に少し触れただけで白煙を上げ、ボロボロと崩れ始めていた。このままでは、防護服のフィルターが食い破られるのも時間の問題だ。
「引き返しますか!?」
「無理だ。後ろの扉はもうロックされた。……突っ切るしかねえ」
サクヤはゴーグルの数値を睨む。この回廊は全長約二〇〇メートル。駆け抜けるには長すぎる。途中で防護服が限界を迎えるだろう。
「詰みかよ……」
サクヤが舌打ちをした、その時だった。
「――待ちな、旦那」
リベットが前に出た。彼女は背中の巨大なツールバッグから、携帯用の分析端末を取り出し、緑色の霧にかざした。ピピピッ。
「やっぱりだ。こいつは『タイプC冷却液』の成れの果てだ。主成分は強酸性のフッ化水素化合物。……だったら、中和できる」
「中和だと?」
「ああ。この船の構造なら、近くに必ず対になるタンクがあるはずなんだ」
リベットはライトを天井の配管群に向け、目を皿のようにして探し始めた。黄色、赤、青……複雑に絡み合うパイプの迷路。
「……あった!あそこだ!」
彼女が指差したのは、天井付近を通る太い白いパイプだった。所々にアルカリを示す古い識別帯が巻かれている。
「あれは中和剤の緊急散布ラインだ!生きてる保証はねえが、あれをぶち撒ければ、この霧をただの『塩水』に変えられる!」
「マジか。……やってみる価値はあるな」
サクヤはニヤリと笑い、腰の『双嘴』を抜いた。
「俺があのパイプに穴を開けりゃいいんだな?」
「馬鹿!そんな乱暴なことしたら、中和反応の爆発でアタシらが吹っ飛ぶぞ!」
リベットは呆れたように怒鳴ると、バッグからレンチと携帯用の小型ポンプを取り出した。
「アタシがバイパスを作る。旦那はアタシをあそこまで担いでくれ!ヴィグナ姉ちゃんは、風上で盾を構えてアタシらを守って!」
「承知しました!」
役割分担が決まる。サクヤはリベットの腰を抱えると、重力制御ブーツの出力を調整した。
「しっかり捕まってろよ、ヤブ医者!」
「誰がヤブだ!飛べッ!」
キィィィン!サクヤが跳躍する。酸の霧が渦巻く空中を翔け、天井の配管にしがみつく。
ジュッ!ブーツのソールが酸に触れて煙を上げるが、構わず体を固定する。
「急げ!」
「分かってる!」
リベットはサクヤの肩に乗った状態で、器用にパイプのメンテナンスハッチへレンチをかけた。ガチン!固着したバルブを強引に回す。プシューッ!白い粉末が噴き出す。
「よし、圧は残ってる!……混合比率調整、スプリンクラーへ直結……!」
彼女の手際は魔法のようだった。複雑なバルブ操作と、持参した触媒カートリッジの接続を数秒でこなす。足元では、ヴィグナが盾を構え、漂ってくる酸の波を防いでいるが、盾の表面がみるみる溶けていく。
「くっ……!まだですか!」
「あと少し……!接続完了)!――食らいな、特製中和シャワーだ!」
リベットがレバーを引く。
ボシュゥゥゥッ!!
天井のスプリンクラーが一斉に火を噴き、白い泡状の薬剤が回廊全体に降り注いだ。ジュワワワワワワッ!!激しい化学反応の音が轟き、大量の蒸気が発生する。視界が真っ白に染まる。
「うわっ!?」
「伏せろ!」
サクヤはリベットを抱えて床へ着地し、ヴィグナの盾の陰に滑り込んだ。熱い蒸気が彼らを包む。だが、肌を刺すような痛みはもうなかった。
数分後。蒸気が晴れると、そこには水浸しになった床だけが残っていた。毒々しい緑色の霧は消え去り、少し酸っぱい匂いが残るだけだ。
「……ふぅ。一丁あがり」
リベットがゴーグルをずらし、鼻の下を親指で擦った。防護服のアラートも停止している。
「やるじゃねえか、リベット」
サクヤは立ち上がり、素直に称賛した。今の危機は、サクヤの戦闘力だけでも、ヴィグナの剣でも突破できなかった。この小柄な整備士の知識がなければ、全員ここで溶けていただろう。
「へへっ、伊達に毎日油まみれになってないさ!機械のことなら任せときな!」
リベットは誇らしげに胸を張る。ヴィグナも、ドロドロに溶けた盾を見つめながら、深々と頭を下げた。
「助かりました、リベット殿。貴女がいなければ危なかった」
「よせやい、照れるだろ……」
和やかな空気が流れる。だが、サクヤの胸中だけは複雑だった。
(……俺が嘘をついてこっちへ来なければ、こんな危険な目に遭わせずに済んだ)
仲間が優秀であればあるほど、彼らを騙している罪悪感が重くのしかかる。
ト・ト・ト・ツ・ト……。
だが、耳奥に響く「リズム」は、さらに大きく、強く彼を呼んでいた。この奥だ。この先に、間違いなく「それ」がある。
「……休憩は終わりだ。行くぞ」
サクヤは罪悪感を振り払うように歩き出した。水浸しの回廊の奥。そこは、音を立ててはいけない「静寂の領域」へと続いていた。
お読みいただきありがとうございます!
今回はリベットのターン!
戦闘力はありませんが、こういう環境的危機において、彼女のようなエンジニアは最強の戦力になります。
サクヤが運び、ヴィグナが守り、リベットが解く。即席パーティーですが、いいチームワークになってきましたね。
……サクヤが嘘さえついていなければ、そもそもこんな目に遭わなかったわけですが(笑)。
その嘘の代償、そして目的の「音」の正体とは。
このあと19:00に、第14話「見えざる追跡者」を投稿します!
ついに「音」の主と対面……?お楽しみに!
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それでは、また夜の更新でお会いしましょう。




