9.新人教師
「アスト先生……授業でわからないところがあるんですが教えていただけますか?」
朝の授業が終わり、一人の女子生徒……テレサがこちらの机に駆け寄ってきた。彼女は俺の受け持つ初級クラスの中でも特に熱心な生徒で、いつも授業後に質問をしてくるのだ。
「この呪文をもっとスムーズに使えるようにしたいんです。上級クラスのイザベラをぎゃふんといわせてやりたいんです!!」
「なるほど……そろそろ試験もちかくなってきたしね、じゃあ、実際に試してみようか?」
俺の言葉に少し緊張しながらも頷くテレサ。そして、そのまま詠唱を始める。
「聖なる光よ……我が手元を照らし標とならん 光球!!
「テレサ、もう少しだ。集中して」
俺は優しく微笑みながら、目の前の少女を励ました。テレサは眉間にしわを寄せ、両手を前に伸ばしたまま必死に魔力を集中させようとしていた。
「はい、アスト先生!」
テレサの声には緊張と期待が混ざっていた。彼女の指先から微かな光が漏れ始める。
「そうだ、その調子だ。魔力の流れを感じて……」
こちらの声に導かれるように、テレサの手の中に小さな光の球が形成され始めた。それは徐々に大きくなり、やがて拳大の光球となった。
「やりました!アスト先生、見てください!」
テレサは歓喜の声を上げ、輝く瞳でこちらを見上げた。彼女の頬は興奮で紅潮していた。
「よくできたぞ、テレサ。君の努力が実を結んだんだ」
「えへへ、ありがとうございます」
彼女の魔力の制御が上手くなってきている。最初は全く形にならなかった魔法が、今では立派な光球になっている。これを見ていると、昔エルトリンデに魔法を教えていた頃を思い出す。
「でも、これは先生のおかげですよ。お忙しいのに落ちこぼれの私に付き合っていつも遅くまで練習に付き合ってくれたからです」
「いや、これは君自身の才能だよ。俺は少し手助けしただけさ。頑張ったね、テレサ」
テレサの頭を撫でると顔を赤らめて幸せそうにほほえむ。
「えへへ、幸せです……ずっとこの時間が続けばいいのに……」
「え? それっとどういう」
「いえ、アスト先生は優しいですし、教え方も他の先生より断然わかりやすいので可愛がってもらえてうれしいっていったんです。特にアーノルド先生の授業は難しすぎて……」
「あはは、それは本人には言わない方がいいよ」
苦笑いしながらノートに彼女へのアドバイスを丁寧に書き込み、手渡す。こういう風に生徒に感謝されるのが嬉しいから教師になってよかったと思う。
そして、一生懸命な彼女を見ていると思い出す。かつて自分がエルトリンデに魔法を教えていた日々を。
彼女は今頃どうしているだろうか? いや、今は目の前の生徒の事を考えるのを優先すべきだろう。
「今回の要点をまとめておいたから暇なときに読んでね」
「ありがとうございます! あの、アスト先生……今度の休日に開かれる魔法祭なんですが、よかったらご一緒に……どうしました?」
一瞬だった……何者かのすさまじい視線を感じたようだったが気のせいのだろうか?
いきなり窓の方を睨んだ俺に驚いている女生徒に謝罪する。
「ごめん、ちょっと変なものが見えた気がしてさ。ごめん、それで何の話をしてたっけ?」
「そ、それでですね……」
「アスト先生、職員会議の時間ですよ」
再度何かを伝えようとした女生徒の声を同僚のケイオス先生が遮った。温厚そうな笑顔が特徴の三十歳くらいの青年である。
彼は学年主任をかなりのベテラン教師だ。
「もう、そんな時間か……また今度相談してくれるかな」
「はい、わかりました。また来ますから!!」
俺が女子生徒に微笑みかけると彼女はなぜか息を荒くして頷く。そのようすをきょとんした顔で見送って、ケイオス先生の方へ向かうと小声でささやいてくる。
「アスト先生は人気者ですね。女子生徒たちの間では『優しい先生ランキング』の不動の一位だそうですよ」
「そんなランキングがあるなんて知らなかったです。でも、光栄ですね」
照れくさそうに頭をかきながら思う。あの年頃は年上の頼りになる男性に無条件で好感を持つものだ。
かつてのエルトリンデもそうだったしね……
「ふふ、まあ二位は私なんですけどね。ふふふ」
ケイオス先生も俺と同様になつかれているようだ。確かに彼が怒ったことは一度も見たことない。
そんなことを思い出しながら職員室に入ると、アーノルド先生が高圧的な態度で新任教師を叱りつけていた。
「まったく、基本的な魔法理論も教えられないのか? 私のようなエリートではないにしろ、わが学校の教師がこんな程度では生徒たちの未来が心配だ」
「も、申し訳ありません」
「アーノルド先生、それ以上はさすがにかわいそうですよ」
「私はあくまで教育をしていただけです」
大袈裟に嘆くアーノルドをケイオス先生がたしなめると不満そうな顔をしているとの見て、思わず笑みを浮かべてしまった。傲慢な彼も上司には強く出れないらしい。
すると目があって……
「おや、アスト先生。今日も生徒に囲まれていましたね。教師としての本分を忘れて人気取りに励んでいるようで何よりです」
「アーノルド先生、俺はただ…」
「冗談ですよ。ところで、明日の高等魔法理論の資料集めを代わってもらえませんか? 貴族会議に出席する必要があるもので」
「え、ちょっと……」
断る間もなく、アーノルドは資料の束を俺の机に置くと用は済んだとばかりに自分の席へと戻っていく。
そして、ため息をついた時だった。全身にぞくりと寒気がする。
「これは殺気……? しかも、俺にじゃない。アーノルド先生に……」
慌てて周囲を見回すも気配を完全に消しているからか殺気の主は見当たらず、警戒しているとロザリーが小声で話しかけてくる。
「そんな難しい顔しないでください。アーノルド先生は誰にでもあんな調子なんです。特に人気のある先生には……」
「あー。確かに生徒からはあまり良い評判を聞きませんからね……」
「そのくせ貴族のお気に入りだから誰もさからえないんですよね。やはり、呪いましょう。最近エルトリンデ様が新しい呪いを生み出していたので、試したかったんです。何でも大切なものに近づく害虫に不幸がおきる呪いだとか……」
「ばれたら大事になりますって……」
苦笑しながら、ロザリー先生が義妹の熱狂的なファンであることを思い出す。というか、エルトリンデはなにやっているんだろうか……。
そして、俺が職員室で仕事をしていると、校長先生が見慣れない顔の女性を連れてきた。
「ご紹介します。新しい教育実習生のアンビー=シャドウさんです。学校を優秀な成績で卒業してとある貴族推薦を受けてこちらにいらしたんですよ」
アンビーは長い黒髪と鋭い目つきを持つ若い女性だった。彼女はこちらを見るなり、一瞬目を見開いたが、すぐに表情を元に戻した。
「はじめまして、アンビー・シャドウと申します。これから一ヶ月間、実習させていただきます」
「それで……誰かに指導係としてついてほしいんですがどなたかいませんか?」
彼女は深々と頭を下げたが、その動きはどこか機械的だった。そんな中一人の男が立ち上がる。アーノルドである。
「ほう、貴族の推薦を……アンビー先生、よかったらエリート同士仲良くしましょう。我らこそがこの学校の未来をになっているのですから!!」
コネになると思ったのか意気揚々と手を差し出すアーノルドだったが……アンビーはそのまま彼を無視して通り過ぎる。
「……」
「えーと、何かな……アンビー先生?」
なぜか俺の席の前で立ち止まったアンビーは感情の籠っていない瞳で見つめてくる。この気配……しっている。テレサと話していた時に感じた謎の気配に似ている様な……
「アスト先生の首の動脈はとても美しいですね。一撃で切断できそうです」
「は?」
俺の間の抜けたと同時に職員室が一瞬静まり返った。無視されて顔を真っ赤にしていたアーノルドすらも唖然としている。
「褒め言葉ですよ。私の故郷では、健康的な血管を持つ人は長生きするという言い伝えがあります」
「あ、はは……そうなんですか。個性的な言い伝えですね」
「はい、そして、私の故郷では健康的な血管を持つ人に指導してもらえと教えがあるんです。指導係をおねがいできますか?」
「もちろん、構いませんが……」
「ありがとうございます。私に関しては敬語を使わなくて大丈夫ですよ、そのかわりアスト先輩と呼ばせていただきますね」
俺は困惑しながらも笑顔を作って話を合わせるが、奇妙な違和感を覚える。こんな感じで本当に貴族社会で育ったのかなと……
その日の授業で、アンビーは後ろの席に座って観察しているのが見える。彼女の鋭い視線がアストの一挙一動を追っている。まるで監視でもしているように……だが、女子生徒たちとの会話の際には、メモを取る手が速くなるようだった。
「アスト先生、この問題がわかりません」
授業を終えると今朝の女子生徒……テレサが再び質問に来た。アストが彼女の魔法陣を覗き込むと、アンビーが素早く席を立ち、二人の間に割り込んできた。
「私が説明しましょう。ここが間違っています。このままでは魔力が暴走して、最悪の場合は指が吹き飛びます。もっとも、それは痛みを感じる前に意識を失うので心配はいりませんが……」
「え?」
「は?」
テレサの顔が青ざめ俺も間の抜けた声をあげる。
「アスト先生……この魔法ってそんなに危険なんですか?」
「大丈夫だよ。ちょっと勘違いをしているんだろう」
俺は女生徒に安心させるように微笑み、アンビーに指導する。
「そこまで極端な例えは必要ないよ。それに、これは初級魔法だからね、魔法陣が暴走してもそんなに大けがはしないよ」
「そうですか? 私の故郷では、魔法の失敗は命取りになると教わりました。現に私の友は魔法陣を一本間違えただけで……」
「それはおそらく戦場か何かでの出来事かな? この学校には結界もあるし、生徒も補助装置のある杖を持っているから大丈夫なんだよ」
安心させるように微笑みかけると、テレサはほっとした表情を見せる。そして、アンビーを見て思う。この子一体何者だろう、天然ちゃんなのかな?
しかし、アンビーの不思議な言動は、その日一日中続いた。
授業中、彼女は突然立ち上がって「この教室の防御魔法は弱すぎます。暗殺者が侵入したら、アスト先生を守れません」と宣言したり、授業中に「この魔法陣は敵の心臓を止めるのに最適です」などと実用的すぎる例を挙げたり、休み時間には女子生徒たちに俺との関係を詳しく尋ねたりしていたのだ。
そして、放課後、俺が職員室で仕事を終えると、アンビーが廊下で待っていた。
「アスト先生、お疲れ様です。今日一日大変勉強になりました」
「ありがとう、それはよかった……先生をやってどうだったかな、何か質問はある?」
なんで待っていたのか突っ込むと面倒になりそうだったので世間話をする。まさか、彼女は俺の正体を探る監視役かと思ったがこんなポンコツなはずはないだろうと、苦笑する。
「はい」
アンビーは真剣な表情で言った。
「アスト先輩は、なぜあんなに多くの女性に囲まれているのですか? 特にロザリー先生とテレサという女生徒との関係がきになります」
「え? ロザリー先生は先輩で、テレサはただの生徒だよ。それに、女性に囲まれているというのは……」
想定外の質問に思わず間の抜けた声をあげるアスト。そんな彼の表情を淡々と言葉を続けるアンビー。
「女子生徒たちはアスト先生に好意を持っています。それは危険です。感情は判断を鈍らせます」
「アンビー先生は、何か誤解しているようだね。彼女たちは俺個人を慕っているんじゃない。教師である俺を慕っているんだ。だからあれは異性としての好意じゃないよ」
俺は自分にも言い聞かせるように言った。そう、勘違いすれば痛い目をみるとわかっているからだ。
かつて知識チートで英雄になり自分を有能だと思ったが、領主としては役立たずだったように……。
「なるほど……無自覚ということですか……これはまずいですね……」
アンビーは何か言いかけたが、なにやら納得したように頷く。そして、なぜか上着に手をやって……
「いや、何をやって……本当になにやってんの?」
上着を脱ごうとした彼女の手を慌てて止める。女性にしては少し硬い腕と、一瞬見えた白い下着から目を逸らす。
「私の故郷では欲求不満な男性は身近な方に欲情する可能性があると言われています。アスト先輩が誰かに手を出す前に私にと思ったのですが……」
「大丈夫だから!! 本当に大丈夫だから!! むしろこの光景を見られた方が色々とまずいから……」
「何やら大変そうですね……大丈夫? おっぱい揉む?」
「君のせいで大変なことになっちゃいそうなんだけどなぁ!!」
「ちなみにこの呪文は男性を元気にする効果があるそうですよ」
「そりゃあ元気になるよね!!」
暴走するアンビーを押さえつけようやく帰路につくのだった。
「ただいま、リンド」
「お帰りなさいませ、ご主人様」
俺が帰宅すると、リンドがいつもの笑顔で出迎えてくれる。
「今日はどうでしたか?」
「ああ、ちょっと変わった実習生が来たんだ。アンビー=シャドウという女性なんだけど、言動がとても……独特でね」
アストの上着を脱がすリンドの手が一瞬止まった。
「独特……ですか? それはいったいどのような……?」
一瞬リンドの笑顔が崩れたのは気のせいだろうか? そんな風に思いながら話を続ける。
「うーん、とても真面目だけど、会話が特徴的でね。例えば、俺の首の動脈が美しくてよく切れそうとか言うんだ」
「なっ…! そ、それは確かに変わっていますね…」
リンドの顔が引きつり、持っていた上着を落としそうになってしまう。
「大丈夫? 体調が悪いなら……」
「大丈夫です。それよりも他にも何かありましたか?」
「ああ、なぜか、女子生徒と俺が話していると割り込んでくるし、俺との関係を詳しく聞いたりしていたらしいよ。何か先生と生徒の恋愛にトラウマとかでもあるのかな」
俺が冗談っぽく話すが、リンドは何かを考えるように黙り込む。流石の俺も女性に話す話題ではないと思うし、色仕掛け……色仕掛けなのか? をしてきたことは言わない。
「ご主人様……その方も緊張してるだけかもしれません。根気よく見守って上げれると良いと思います」
「そうだね、なれない環境だし、冗談がすべっちゃたのかもしれないよね」
「はい、そんなことよりも今日は良いお肉が入ったのでビーフシチューを用意してありますよ」
「お、楽しみだね」
アストは良い匂いにつられるように食堂へと向かうのだった。
★★★
その夜、王宮の隠し部屋で、エルトリンデはアンビーと向き合うと怒りを抑えながら言った
「アンビー! 何をしているの? あなたには学園でお兄様を見守ってほしいと頼んだだけよ。変な言動で目立つなんて言ってないわ」
「申し訳ありません、エルトリンデ様。幼いころから影の護衛として育てられたため、一般的な会話が苦手で……」
「それでも限度があるでしょう……」
淡々と答えるアンビーにエルトリンデはため息をついた。
「とにかく、明日からはもっと自然に振る舞って。お兄様に怪しまれたら元も子もないわ」
「はい、エルトリンデ様。それと、報告があります。アスト様の周りには確かに女性が多いです。特にロザリーという教師が頻繁に接触しています」
その一言で、エルトリンデの瞳からハイライトが消える。
「そう……詳しく教えてくれるかしら?」
「彼女はエルトリンデ様のファンだと自称していますが、アスト様に対する視線は明らかに好意的です。まるで発情してる猫の様です。にゃーん」
「なるほど……なるほど……」
エルトリンデは左腕の黒い模様を無意識に撫でた。
「他には?」
「女子生徒たちもアスト様に好意を持っています。特に授業後に質問するテレサという子は明らかに恋愛感情を抱いている者もいます」
「ふぅん、あの小娘か……随分とおモテになるのね、さすがはお兄さまだわ」
笑顔を浮かべているが、その瞳は一切笑っていなかった。そして、エルトリンデは新たな命令を下す。
その姿はまさに冷血姫といえるくらい冷たい感情を宿していた。
「アンビー、明日からはもっと注意深く観察して。でも、目立たないように」
「はい、エルトリンデ様」
うなづくアンビーを見て満足そうにしていたエルトリンデは一瞬ためらいながら疑問を口にする。
「それと……お兄様は……私のことを何か話していた?」
「いいえ、特には」
エルトリンデの表情に失望の色が浮かんだ。写真をもっていてくれたことは嬉しかった。だけど、彼の日常からは自分は徐々に消えていっているのだろう。
「そう……そうよね……このままでは、私の存在すら忘れてしまうかもしれないわね」
空を仰ぎ自虐的な笑みを浮かべる彼女の左腕の黒い模様が、再び光を放ち始めていた。
その様子を見て、アンビーが心配そうに声をかける。
「エルトリンデ様。その模様、以前より広がっていませんか?」
「ええ……もう、時間がないの。でも、そうね……だったら、憎まれたままでもいい。本当の私のことを覚えておいてもらおうかしら」
彼女は決意の表情でつぶやくととある命令書を書くのだった。
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