7.学校生活
「アスト先生、この問題の解き方がわからないんです……」
魔法理論の授業後、一人の女生徒……テレサが声をかけてきた。俺は優しく微笑みながら彼女の魔法陣設計図を覗き込む。
「ここで魔力の流れが逆になっているね。これを修正すれば……」
「そっか、こうすればよかったんですね。ありがとうございます、アスト先生の教え方とってもわかりやすいです。元気になって本当によかったです」
「ああ、ありがとう。わざわざお見舞いに来てくれてうれしかったよ。バタバタしちゃってごめんね」
テレサの頭を撫でると嬉しそうに笑ってくれた。慕ってくれる彼女に俺は心地よい満足感を覚えた。英雄として国を救った時よりも、一人の生徒の理解を助けた今の方が、喜びの感情が強い。
「そういえば、アスト先生はあの奴隷さんと随分と仲が良さそうでしたよね? もしかして大人の関係だったり……」
「リンドの事かな? もちろん、違うよ。彼女には家事をやってもらってるんだ。よく気が利く子でね……とても助かってるんだ。ちょっと心配性なところはあるけどね」
俺を心配するあまりテレサを追い返すような形になってしまったリンドのフォローをしつつ答えると、彼女はなぜかぼそぼそと呟いている。
「なるほど……ちょっといい感じですが、付き合っているわけではないと……まだ、私にもチャンスはあるな、頑張らなきゃ……」
「いきなりぶつぶつ言ってどうしたの?」
「いえいえ、なんでもないです。また、授業でわからないところがあったら教えてくださいね。それでは!!」
元気よく去って行くテレサを見送った俺が職員室に戻ると同僚のケイオス先生に声をかけられる。
「アスト先生、校長先生がお呼びです。何かやらかしたのですか?」
その言葉に俺は一瞬身体が強張る。
……まさか誰かに正体がバレたのか?
追放されたところを雇ってもらった身だ。校長などの一部の人間は俺が元貴族だと察しているが、エルトリンデを信仰している貴族などに正体がばれたらこの学園にはいられなくなるだろう。
それを裏付けるかのように校長室に向かう廊下で、何者かに見られているような違和感を覚えた。振り返っても誰もいない。最近、この感覚が増えている気がする。
「焦ったーーー」
校長との面会を終えて職員室に戻ると(幸い単なる学期末の評価会議の通知だった)、机の上に乱雑に置かれた解答用紙の束が待っていた。
「アスト先生。これもお願いします」
「え? テストの採点はアーノルド先生の仕事では? 俺はこれから生徒たちの面談用の資料を作らなければいけないんですが……」
「はぁ……まったく、これだからコネで雇われた新人は何もわかっていない」
机の上に置かれた乱雑におかれた解答用紙の束に俺が抗議の声を上げると、眼鏡の鋭い眼光の青年……アーノルドは大げさにため息をついた。
「アスト先生、この学校で一番優秀な成績を持つ生徒のクラスを担当し育てているのは誰ですか?」
「……アーノルド先生ですね」
「アスト先生、この学校で一番出自が立派なのは誰ですか?」
「俺……じゃなかった。貴族出身のアーノルド先生です」
一瞬本音で答えそうになったのをかろうじで制して、彼が望む答えを返すとアーノルド先生は満足そうにうなづく、職員室では「また、はじまった」という空気が流れる。
かつては王国最高位の爵位を持っていたのに、今じゃ新人教師か。人生何が起こるかわからないものだね。
「そう、私アーノルド=ファフニールはエリートであり、この学校をエリート校に導く存在なのです。なのにテストの採点なんて誰でもできる仕事で、私のエリートタイムを消費するわけにはいかないのです。わかりますか!!」
「はぁ……」
「私はいずれこの国を救った魔騎士アスト=ベルグ様や、魔導士エルトリンデ様のような魔法の才能のある立派な子たちを育てるという大事な仕事があるのです。わかりましたね」
アーノルドはこの国を救ったという英雄である四人の男女が書かれた絵画を指さして、訴えるとさっさと出て行ってしまった。
「まあ……確かに他の三人はともかく俺はだいぶ美化されているからわからないのも仕方ないか」
昔のことを思いだして苦笑しながらも俺は彼の後姿を見送る。まあ、正直むかつくけれど、罵倒したり、暴力をふるってこない分前世のブラック企業で働いていた時のクソ上司よりはましである。
せっかく面倒な英雄をやめて第二の人生を送っているのだ。今度は目立たないで生きたいと思う。
それに前世でも元々は教師志望だったのだ。誰かに物事を教えるのは楽しいし、それで成長するのはうれしい。国の英雄なんかよりもこっちの性にあっている。それに……追放されたとはいえ、俺はこの国が好きだ。だから、将来有望な人間が育つを見るのはうれしい。
「それに証明したいんだよ……知識チートなんてなくても生きていけるって……転生者としての知識ではなく、アスト=ベルグ自身の力で生きるんだってね」
それに今はの俺にはこれがある『加速』。無詠唱で加速魔法を使って即座に採点を終わらせる。
「大丈夫ですか? もう、アーノルド先生ってばひどいですよね。確かに優秀ですけど、文句の言えない新人のアスト先生に仕事を押し付けるなんて……」
心配そうにこえをかけてくれたのは俺の先輩のロザリー先生である。歳は二十歳で可愛らしい女性だ。現在彼氏募集中らしいが……
「あ、ちょうどアーノルド先生の髪の毛がありましたよ、ちょっと呪いましょうか? 一日腹痛になるやつと、おしっこが一日でないやつどっちがいいです?」
「いやぁ……そこまでしなくても大丈夫ですよ」
髪の毛を片手に満面の笑みを浮かべているロザリー先生にちょっと苦笑する。得意魔法は呪術であり、すぐ呪いの力を借りるのである。
「それに、もう、テストの採点は終わりましたから……こんなの時魔法を使えばすぐにできますからね」
「ええ……時魔法って冗談ですよね? だってあれは失われた魔法でエルトリンデ様が復活させた古代魔法ですよ」
「え……」
俺が間の抜けた声をあげているとロザリーが興味深そうに身を乗り出す。
「アスト先生、もしかしてエルトリンデ様が復活させた古代魔法に詳しいんですか?」
こちらの返事を待つことなく語り始める彼女にはいつも違う熱があった。俺はこれを知っている。前世で言う推しについて熱く語るオタクである。
「実は私、エルトリンデ様の研究論文を全部読んでるんです。彼女が十歳の時に発表した『時間魔法の理論と実践』は特に素晴らしくて……」
「すいません、風の噂で聞いただけで俺はそんなに詳しくないんですよ」
万が一にも正体がバレるのを恐れ、俺は冷や汗を流しながら話題を変えようとする。
「そうですか? でも先ほどの発言は、まるで使い方を知っているみたいでしたよ?」
「そんなはずないじゃないですか。だって時魔法を使える人間は限られるんでしょう?」
冷や汗をかきながら笑ってごまかす。あいつが自慢げに見せてきてくれて教えてもらったのは十歳くらいの時だし、あいつもトイレに間に合わなくなりそうな時とかも気軽に使ってたぞ……
「まあ、そうですよね!! 古代魔法の中でも上位である時魔法を使えるのはエルトリンデ様たち魔王殺しの英雄くらいですもんね」
「そうそう、さっきのは軽い冗談ですよ。アーノルド先生はなんだかんだ言って終わりかけをくれたみたいです」
「はぁ……なら呪うのはやめておきますか」
釈然としない顔をしつつも納得してくれた様子のロザリー先生にほっと一息つく。俺はごく普通の女性と結婚して平凡な家庭をきづき自分の人生を歩むのだ。もう、あんな英雄の真似事はごめんだからね。今の俺に欲しいのリンデの美味しい手料理である。昨日は残業して心配させてしまったので今日は早めに帰ろうと思う。
「っつ!?」
ふと、左腕に軽い痛みを感じる。袖をまくると、かすかに黒い線が浮かんでいるように見えた。
この模様……エルトリンデの腕にあったものと同じだ。なぜかリンデが奴隷としてやってくる日になると時々痛むのだ。
「長引くようだったら教会でもいって治療してもらうかなぁ……」
慌てて袖を下ろし、飾られている絵画を視界から外して、再度仕事をはじめる。 飾られている絵画を視界から外して、再度書類と向き合うのだった
★☆
「なー、姉ちゃん。俺たちはここに来たばっかりなんだ。案内してくれよ」
「申し訳ありません、ご主人様が待っていますので……」
アストに向ける笑顔とは別人のようなまったくの無表情で返事をするエルトリンデ。
掃除を終えたエルトリンデは今日も遅くに帰って来るであろうアストの晩御飯用の食材を買いに来ていたのだが、面倒なやつらに絡まれてしまっていた。
いつもはこんなことはないから油断していたわね……
今の彼女はメイド服から青いワンピースに着替え変装を終えている。アストにプレゼントされたからついうれしくなってきてしまったが、それがあだになったのだろう。
「そんなこと言うなよ、俺たちはSランク冒険者パーティー『終焉の宴』だ。もしも、今日一日案内してくれたら、うまいものでも宝石でもなんでも買ってやるぜ」
「まあ、宿の中も一晩じゅう案内してもらうけどな」
煌びやかに輝く冒険者ランク最上位であるSランクであるオリハルコン製の証を掲げながら男たちは下卑た声をあげている。
『終焉の宴』——かつて魔王討伐に挑んだ冒険者パーティーの一つだ。アスト達英雄四人組が魔王を倒した後も、各地で名を馳せている。リーダーの剣士フリューゲルは、かつてアストと剣技を競い合った仲である。
そう、Sランクは伊達ではないのだ。街中だというのに誰も助けようとはしない。無理もないだろう。冒険者には粗暴な人間も多いし、強い力を持っている。恨まれたら面倒なことになるのは間違いないのだ。普通の人間ならばスルーするし、ましてや他人ならばなおさらだ。せいぜい恋人が絡まれたら助けるくらいか……
「おいおい、お前らが脅かすからびびっちゃったろ? 大丈夫だって、少し案内して……俺たちの疲れを癒してくれればいいからさ」
エルトリンデはその視線が自分の豊かに盛っている胸元に集中しているのに気づく。
よし、殺すか……
視界のはじから手伝いましょうかと訴えている部下に首を振ってエルトリンデが魔法を放とうとした時だった。
何者かに抱かれるように引き寄せられる。力強く……そして、大好きな匂いだ。
この感触……この匂い……お兄様……!?
彼女の左腕の袖の下で、黒い模様が一瞬光ったように感じた。
「ごめん……この子は俺の大切な奴隷なんだ。だからナンパは控えてくれるかな?」
優しい声色で一人の青年が乱入してきた。
「おい、誰だてめぇ……」
男が振り向いた瞬間、眉を顰める。
「ま、まさか……お前は……いや、あいつはこの国を追放されたはず……」
動揺している男を無視して、アストがエルトリンデの肩に手を置きながら尋ねた。
「リンド、大丈夫かな?」
エルトリンデは、兄の手の温もりの懐かしさに一瞬我を忘れそうになった。しかし、すぐに「リンド」としての役割を思い出す。
だけど……抱き着くくらいはいいだろうと、彼のたくましい胸元に顔を寄せる。
「は、はい……ご主人様……」
「こわかったよね……大丈夫。君は俺が守るから」
相も変わらず兄の優しい笑顔に冒険者をそっちのけでドキドキとしてしまうエルトリンデだった。
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