6. リンドの看病
「ご主人様、お熱はもう下がりましたか?」
「ああ、リンドのご飯と看病のおかげかな。食欲もすっかりもどったよ」
夕食後、心配しているリンドを安心させるように笑みを浮かべながら答える。この言葉は嘘ではない。彼女が作ってくれた料理を食べると不思議なくらい元気になるし、おしぼりを定期的にかえてくれりと献身的な看病をしてくれたこともありほとんどど完治しているといえよう。
「ご主人様、お熱はもう下がったようですが、治りかけが一番危ないと思います。そこで体力回復のために特別な看病をさせていただきます」
リンドが真剣な表情で言った言葉に、俺はベッドに横たわったまま首を傾げる。
「特別な看病?」
「はい。私の友人の故郷に伝わる古来からの治療法です」
リンドは微笑みながら、タオルと水の入った洗面器を手に取った。
「体を拭いて、体温を整えるのが一番効果的なんです」
「え? 体を拭く? それくらいなら自分でできるよ」
俺は思わず身を起こした。冗談かな? と思ったが彼女の目は真剣である。まるで獲物を逃すまいとする狩人のようなプレッシャーすら放っていると言えよう。
いや、なんでだよ!!
「いいえ、これはこお看病の重要な部分です。友人の故郷では、病人の体を拭くことで悪い気を取り除くと言われているんです!!」
なんだか胡散臭い本にでも書いてありそうなことを言いながらリンドは真剣な表情でタオルを水に浸して絞り始めた。
あんまり看病とかなれていなさそうだったし、変な本でも読んだんだろう友人の。故郷とかいきなり言い始めたし……と制止しようとするが……
「リンド、本当に大丈夫だから…」
俺が言い終わる前に、リンドはすでに俺のシャツのボタンに手をかけていた。
「ちょっと待って! これは.さすがにまずいって!!」
俺は慌ててリンドの手を掴むが、彼女は不思議そうな顔をした。
「どうしてですか?私はただご主人様の健康を気遣っているだけですよ?」
「わかってるよ。でも……男女が密室で裸になるっていうのは特別な意味を持つんだよ。わかるだろ?」
きょとんとしていたリンドの頬が徐々に赤く染まっていく。
「特別な……あ、そういうことですか。私はただご主人様を心配に思ってですね……」
「大丈夫、わかっているから。わかっているからね。そういうことが許されるのは兄妹とかくらいだから他の人には絶対いわないようにね」
「はい……ということはご主人様は私のことを異性と意識してくださっているんですね」
「当たり前でしょ。リンドはとっても魅力的だよ」
たっぷり休んで頭が回っていなかったのか、つい本音がぽろりと零れ落ちてしまった。
でも、仕方ないくない? こんな美人で献身的な女の子なんだ。意識して当然である。
「……」
驚きの表情を浮かべているリンドにちょっと直接的すぎたかと焦っていると彼女は嬉しそうにほほ笑んだ。
「ありがとうございます。ご主人様がそんな風に思ってくださって本当に嬉しいです」
「う、うん……だから、これより先は自分でやるから出ていってくれるかな?」
「わかりました。では、もう一つの治療方法の準備をしてまいります」
「もう一つの治療法?」
なんか嫌な予感がしつつも、俺は部屋を出ていく彼女を見送って自分で肌を洗う。心配かけちゃうからこれはみせられないしね。
「でも、これはなんなんだろう?」
エルトリンデに追放されてからうっすらと両腕を覆う紋様にため息をつくのだった。
「ご主人様……まだおきてらっしゃいますか?」
「ああ。お昼に寝たからな? なかなか寝付けなくてね……」
体を拭き終えた俺がしばらくベットでぼーっとしながら横たわっているとリンドがやってきた。
「なるほど……それはちょうどよかったです。風邪には体温を温めるのが一番です。私の体温であなたを包み込めば、明日にはすっかり元気になりますよ」
そう言うと、リンドは俺のベッドの端に腰掛けた。なぜかほほが赤く上気している彼女はどこか艶めかしい。
「ちょ、ちょっと待って、リンド! それもまずいよ」
「少しだけです。ご主人様の体調が良くなるまで……」
リンドの真剣な表情に、俺は言葉を失った。彼女は静かにベッドに潜り込み、俺の隣に横たわった。
肌と肌が触れあうとリンドの体温が俺の側面に伝わってきた。不思議と心地よくリラックスするのを感じる。
「リンドの体、温かいね...」
俺は驚きの表情を浮かべながら、リンドの手に触れた。彼女の体温は通常よりも高く、その温もりが俺の肌を通して伝わってくる。
「はい……、ご主人様の体を温めるために、お風呂でしっかり温まってきたんです」
「え? そんなことまでしてくれたの?」
俺は思わず目を見開いた。彼女がそこまで俺のことを考えてくれていたとは。胸の奥で何かが熱くなるのを感じる。
するとリンドは頬を赤らめ、上目遣いで俺を見つめた。
「はい。ご主人様の健康が何より大切ですから」
彼女の献身的な態度に、俺の心臓が早鐘を打ち始めた。リンドの柔らかな手が俺の腕に触れるたび、鼓動がさらに速くなる。この感覚は一体何だろう?単なる恩義や感謝だけではない気がする。
「ありがとう、リンド。でも、そこまでしなくても...」
「いいえ、これくらい当然です。ご主人様のためなら...」
彼女の言葉が途切れ、二人の間に甘い空気が流れた。俺は思わずリンドを抱きしめたくなる衝動を感じたが、必死に自制した。
彼女の体から伝わる香りは、どこか懐かしい感覚を呼び起こす。まるでエルトリンデと一緒にいた頃のような……
そう思った瞬間、左腕の黒い模様が微かに疼いた。だが、今はそんなことを考えてい る場合ではない。目の前にいるリンドの優しさに、俺の心は完全に奪われていた。
「ご主人様、少し顔が赤いですよ。まだ熱があるのでしょうか?」
リンドが心配そうに俺の額に手を当てる。その仕草があまりにも自然で優しくて、俺の胸の内で何かが崩れ落ちていくのを感じた。
「い、いや……大丈夫だよ。そういうリンドも顔が真っ赤だよ」
「それはその……私もドキドキしてしまって……」
リンドの囁くような声にどきりとしつつも徐々に眠気が襲ってくる。まどろみの中で、俺はリンドの髪の香りを嗅いだ。その香りはどこか懐かしく、俺の記憶を刺激した。
この香り……エルトリンデと同じだ……まさか……
その疑念が頭をよぎったとき、リンドがみじろぐと、その豊かな胸が当たる。柔らかいそれはエルトリンデの者とは明らかに違う。
魔王を倒すときも時々「不安です」といって抱き着いてきた彼女と眠ったが、とてもスレンダーだったからだ。
まあ、そりゃそうだよな……そう思った時だった。
「お休みなさい、お兄……いえ、ご主人様」
俺は耳を疑った。今、彼女は何と言った?しかし、その考えを追求する前に、俺は深い眠りに落ちていった。
翌朝、目覚めた俺はベッドに一人きりだった。昨夜のことは夢だったのだろうか。しかし、枕には銀色の髪の毛が一本残されていた。
「リンド……君は一体……」
俺は静かにその髪の毛を手に取り、窓から差し込む朝日に透かして見た。
★★
「アンビー! 聞きなさい」
王宮の隠し部屋に戻ったエルトリンデは、まるで子供のように飛び跳ねながらアンビーを呼んだ。彼女の銀髪は月明かりに照らされて輝き、頬は薔薇色に染まっていた。
「エルトリンデ様、そんなに興奮されて……まさかアスト様を襲ったのですか!! あんなエッチな本に書いてあるようなことを本当に実行する馬鹿がいたなんて……」
アンビーは淡々とした表情で尋ねたが、その目には僅かな困惑の色が浮かんでいた。
「そんなことをするわけないでしょ、お兄様と添い寝したのよ! あなたの言う通りにしたらお兄様も最初は戸惑っていたけど、結局OKしてくれたの!」
「うへぇ……本当にやったんですね……」
信じられないものをみるような表情のアンビーを無視して、エルトリンデは興奮のあまり息を切らしながら続けた。
「お兄様の隣で横になって、その温もりを感じて...もう、天国だったわ!お兄様の寝息も聞こえて、匂いも……ああ、お兄様の体温が私の体に伝わってきて、心臓がドキドキして、このまま朝まで一緒に...」
「エルトリンデ様、少し落ち着いてください。そんなに興奮されると呪いの模様が……」
アンビーの言葉に、エルトリンデは左腕を見た。黒い模様が微かに光っていた。彼女は深呼吸をして、少し落ち着こうとしたが、すぐにまた興奮し始めた。
「お兄様の体温を感じられて幸せよ! お兄様の腕が私に触れた時の感触、お兄様の胸の鼓動、お兄様の寝顔……ああ、もう一度あの瞬間に戻りたい!」
アンビーは大きくため息をつき、諦めたように頷いた。
「おめでとうございます、エルトリンデ様」
「ありがとう!明日からはもっとお兄様のそばにいられる方法を考えなきゃ。でも今日は……」
エルトリンデは窓辺に立ち、夜空を見上げた。その表情には幸せと、どこか切ない影が混ざっていた。
「今日だけは、この幸せを噛みしめていたいわ」
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