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5.看病イベント

「ご主人様、少し顔色が悪いようですが…」


 リンドの声に、学校へ行くための準備をしていた俺は顔を上げた。そう言われれば確かに体が気怠い気がする。

 だが、悲しいかな、前世のブラック企業で働いてた癖か。この程度ならば出勤したくなってしまうのだ。



「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだって、働いていれば治るって……」



 言葉が終わらないうちに、リンドは俺の前に屈み込み、すっと手を伸ばした。彼女の柔らかな手のひらが、俺の額に触れる。



「……!」



 突然の接触に、俺は思わず息を呑んだ。リンドの手は涼しく、心地よい。しかし、それ以上に彼女の顔の近さに、俺の心臓が早鐘を打ち始める。



「顔も真っ赤ですし少し熱があるようです。今日は早めに休まれた方がいいかもしれません」



 リンドの吐息が頬にかかり、俺は思わず顔を赤らめる。彼女の整った顔立ち、長い睫毛、そして心配そうに揺れる瞳。全てが間近に迫っていて、俺は目を逸らすことができない。



「大丈夫だよ、リンド。ちょっと風邪気味なだけさ。授業があるから……」

「でも……無理をなさらないでください。生徒さんたちのためにも、ご自身の健康が一番大切です」



 俺は微笑んで答えようとしたが、突然の咳に襲われた。それ見たことかとばかりにジトーっとした目で訴えてくるリンド。



「あ、ああ……そうだね。わかったよ。今日は休むことにするよ」



 リンドの顔が明るくなる。



「よかったです。では、学校にお休みの連絡をしたら温かいスープを作りますね、ちゃんとベットで眠るんですよ」

「わかったって。なんだかお母さんみたいだね」

「……そこはもっと違うたとえが欲しかったんですが……」



 確かに年下の女性相手にお母さんは失礼だろうか。だったら彼女とかだろうか……? 可愛らしくほほを膨らましているリンドを見つめ、再び鼓動が激しくなってくる。



「じゃあ、オレはベッドに寝てるね」

「はい、スープができたら持っていきますね。うふふ、今日はご主人様を独り占めできますね……幸せです」



 リンドが何か言っているがろくに耳には入らなかった。もしも、彼女が恋人だったら幸せだろうな……何てこっぱずかしいことを考えてしまったのが恥ずかしかったのだ。





「ご主人様、熱は下がりましたか?」


 リンドの心配そうな声が俺の耳に届いた。目を開けると、ぼんやりとした視界の中で彼女の姿を捉えた。

 どれくらい眠っていたのだろうか? すっかりだるさは消えている。


「ああ、だいぶマシになったかな……これも、リンドの作ってくれたスープのおかげだよ」


 俺が答えると、リンドの顔がパッと明るくなった。


「よかったです! 色々と特殊な食材を厳選した甲斐がありました」

「確かに食べ馴れない味だったけど……何が入っていたの?」

「うふふ、乙女の秘密です。しいて言えば愛情でしょうか?」



 リンドは嬉しそうに微笑み、俺の額に手を当てた。その仕草は、まるで昔から俺の世話をしてきたかのように自然だったが、やはり先ほどのようにドキリとしてしまう。

 というか特殊な素材って何だろう? まあ、彼女のことだから変なもの入っていないと思うけど……


「リンド、ありがとう。君がいてくれて本当に助かるよ」


改めて感謝の言葉を伝えると、リンドの頬が薄く染まる。



「当然です。ご主人様のためなら何でもしますよ」



リンドはそっと俺の髪を撫で、毛布をかけ直し、嬉しそうにほほ笑んだ。


「ゆっくりお休みください。私はお食事の準備をしてきます」


 リンドが部屋を出て行った後、俺はまどろみに落ちていった。しかし、しばらくすると玄関のベルが鳴る音が聞こえた。



「あら?こんな時間に誰でしょう」



 リンドの声が遠くから聞こえ、その後ドアが開く音がした。



「あなたは……?」

「あの、私は魔法学校の生徒でテレサといいます。アスト先生のお見舞いにきたんですが……」



 聞き覚えのある生徒の声が聞こえ、俺は目を覚ました。起き上がろうとしたが、まだ体が重い。



「申し訳ありません。ご主人様は今安静が必要なんです」



 リンドの声には、明らかな警戒感が混じっていた。二人の面識がないから当たり前だろう。

 俺は元気を振り絞って声を張り上げる。



「彼女は俺の受け持つ生徒だよ、入ってもらって構わない」

「……わかりました。こちらです」



 なぜかしぶしぶといった感じのリンドの声と共に二人の足音がこちらに近づいてくるのが聞こえた。

 扉が開くと満面の笑みのテレサと背後に無表情のリンドが入ってくる。



「アスト先生、元気そうでよかったです。いきなりお休みだって聞いてびっくりしちゃいましたよ」


 テレサは俺の担当する初級クラスの生徒で、赤毛のショートと女性らしい体つきの女生徒だ。

 なんでも俺のクラスで何人も告白されているとか……まあ、それはさておき、とても熱心な生徒でもある。



「ああ、ごめんね。授業はスムーズにいったかな?」

「あー、代わりにアーノルド先生がやってくれたんですが、言い回しが難しくて……やっぱりアスト先生の教え方が楽しいし、わかりやすいんで一番です!!」



 太陽のような笑顔を浮かべてテレサが褒めてくれる。ちょっと恥ずかしいな……。だけど、自分の努力が報われたようでうれしい。

 しばらく、学校の出来事を聞いているとなぜか恥ずかしそうにもじもじとし始めた。トイレだろうか?



「あ、お手洗いだったら……」

「違います!! デリカシーがなさすぎますよ、先生!!」



 どうやら違ったらしい。不満そうな顔をしていたテレサだったがちょっと恥ずかしそうにカバンから一枚の紙を取り出す。



「実はテストの結果が返ってきたんです。先生がいつも放課後の勉強に付き合ってくれたおかげで、最高得点が取れました!」

「おめでとう、テレサ。君の努力が報われたんだね」

「はい……だから、いつものご褒美をお願いします」

「ああ、偉いぞ、テレサ」



 俺は笑顔で言い、テレサの頭を優しく撫でた。テレサは頬を赤らめ、嬉しそうに俺を見上げた。

 これは昔にエルトリンデを褒めるときの癖でテレサにもやってしまった時からの恒例行事のようなものだ。セクハラと言われるかとおもったがなぜかお気に召したらしく、こうおねだりをされるのだ。



「頭……なでなで……ずるい」



 ぼそりと聞こえた方を見るとお茶とクッキーののったお盆を持ったリンドの表情が一瞬で凍りついていた。なぜだろう。室温が急に下がったように感じた。



「テレサさん、ご主人様は休養が必要です。そろそろお帰りになられては?」



 リンドの声は優しかったが、なぜかその目は笑っていない気がする。いったいどうしたというのだろう?



「そうですね、すっかり話し込んじゃいました。アスト先生、お大事に」



 テレサを見送って戻ってきた後、リンドはなぜかハイライトの消えた目で言った。



「ご主人様、やはり無理は禁物です。私がしっかりお世話しますから」

「あ、ああ……ごめん。確かに寝ているべきだったね……」



 体調が悪いというのに話過ぎて心配させてしまったようだ。



「心配してくれてありがとう、リンド。君がいてくれて本当に助かるよ」



 リンドは嬉しそうに微笑んだが、その瞳の奥には複雑な感情が渦巻いているきがする。


「ご主人様……私は今日も家事や掃除など色々と頑張ったんです」

「ああ、知ってるよ。いつも感謝している」



 リンドはなぜかもじもじとしている。トイレかな? と思ったが先ほどのやり取りを思い出して自重した。

 しばらくすると、リンドは勇気を振り絞ったように顔を上げた。



「それで……そのですね……」


 リンドはますます頬を赤くし、小さな声で続けた。


「私も頭を撫でていただけないかと思いまして……」



 彼女の言葉に、一瞬驚いたが頷く。その可愛らしさに思わず笑みがこぼれるのも無理はないだろう。



「もちろんいいよ。こっちにおいで」



 リンドは嬉しそうに目を輝かせ、小さな一歩で俺の側に近づいた。彼女はこちらの前で膝をついて座り、期待に満ちた瞳で見上げてきた。



「本当に…よろしいのですか?」

「ああ。リンドはいつも頑張ってくれてるからね」



 アストがそっと手を伸ばし、リンドの水色の髪に触れた。彼女の髪は想像以上に柔らかく、絹のようだった。



「んっ…」



 リンドは目を閉じ、小さな声を漏らした。その表情は幸せに満ち溢れ、まるで子猫のように頭をアストの手に寄せてくる。



「気持ちいい?」

「はい……とても……」



 リンドの頬は薔薇色に染まり、その瞳には涙が浮かんでいた。アストはその反応に少し戸惑いながらも、優しく彼女の頭を撫で続けた。

 そのときになぜか義妹のエルトリンデの顔が浮かんだ。


 目の前の彼女の正体について、いつか真実を知る日が来るのだろうか。平民らしからぬ教養からして奴隷になっているのにはなにか事情があるのだろう。そして、彼女といると腕のあざがうごめき、エルトリンデを思い出すのはなぜなのか?

 そんなことを考えながらも俺は願う。この平凡な日が続けばいいなと。


★★★


「お兄様の寝顔……とっても素敵だったわ。それに……うふふ、頭を撫でてもらっちゃった」


 アストが寝たのを確認したリンドは彼のために晩御飯を準備をしていた。そこに足音もなく一人の影がやってくる。



「エルトリンデ様……呼びましたか?」

「今の私はリンドと呼べと言ったでしょう?」

「めんどくさいですね……」

「きこえているわよ、アンビー!!」



 無礼な部下をたしなめるエルトリンデだがその声に迫力はない。なぜならば兄が頭を撫でてくれたからである。

 上機嫌な彼女はいつもとは違い多少のことは許せる気分だった。



「まあ、いいわ。あなたが買ってきてくれた。エリクサーと竜の血、世界樹の雫を使って作ったスープのおかげでお兄さまの体調も良くなったわ。ありがとう」

「普通はあんな高価な食材は瀕死の人間に使うものなのですが……」



 嬉々としたエルトリンデだが、アンビーの言う通り、これらの食材は超レアアイテムであり、普通は生死をさまようような重病の人間に使うものである。

 すっかり上機嫌に高価な食材をつかっている主に呆れながら訊ねる。



「それで次はなんでしょうか? すっかり良くなっているようですが……」

「テレサという生徒について調べてもらえるかしら?」

「なるほど……先ほど頭を撫でられてるのを見て嫉妬したエルトリンデ様は私に暗殺を命ずるのですね。わかりました」



 すたすたと歩くアンビーをエルトリンデが止める。



「待ちなさい!! そんなことをしたらお兄様が悲しむでしょう。ただ……どんな人か調べるだけでいいの。お兄さまは優しいからもしも利用されそうだったら守らないと」

「はぁ……つまりは嫉妬のあまり頭がおかしくなりそうなので相手を探るということですね……怖っ!!」

「違うわよ!! それじゃあ、私が付き合ってもいないのに彼女ずらする激重女じゃないの!!」



 エルトリンデの言葉にアンビーは無表情に眉を顰め何も言わない。何かいっても無駄だと悟っているからだ。



「それともう一つ相談があるのだけど……料理以外にももっと体調を崩したお兄様のためにできることはないかしら?」



 エルトリンデは冷血姫と呼ばれるほどの存在であり、幼少期もちょっと特殊な環境にあったこともあり、病人への対応がいまいちわからないのである。

 書物で食事はわかっていたがそれだけだった。



「なるほど……私の故郷では……」

「なっ……そんな大胆な……ひかれてしまわないかしら?」

「大丈夫です。むしろ好感度があがるかと……男は皆スケベですからね」


 ぼそぼそと作戦会議をする二人。アストとずっといられると浮かれていた彼女はアンビーの天然っぷりをすっかり忘れていたのだった。

 その結果……ちょっと大変なことになるのだった。




面白いなって思ったらブクマや評価を頂けると嬉しいです。



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