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12.アストとエルトリンデ

「ここだけの話なんだけどさ……妹が兄を嫌うのってどういう時かな?」



 俺の言葉になぜかリンドは一瞬息を飲み、手が僅かに震えた。彼女の表情が微妙に歪むのを見逃さなかった。



「それは……どのような状況でしょうか?」



 リンドの声は普段より少し高く、不自然に聞こえた。俺はテーブルに肘をついて、ため息をついた。



「ちょっとね……俺の義妹が学校に視察に来るんだ。しかも、わざわざ俺の授業を指名してきたらしい」

「え、視察に来るのはエルトリンデ様じゃ……」

「まさか……ああ、そうだ。俺の義妹がエルトリンデなんだよ」



 驚いた声をあげているリンドにこれまであったことを話す。彼女とはそれなりに仲が良かったこと。だけど、なぜか、嫌われてしまい追放までされたことを……



「ご主人様も色々と大変だったのですね……」

「気を遣ってくれてありがとう。でも、 追放した相手に会いに来るなんて、普通は考えられないよね? 何を考えているんだと思う?」



 俺は皿に残ったソースをスプーンですくいながら、目の前の少女の表情の変化を見極めようと見つめる。



「あいつは俺を嫌っているはずだ。いや、嫌わなければ追放なんてしないだろう。でも、なぜわざわざ会いに来る? 何か目的があるのか?」

「……」



 リンドは静かに席を立ち、食後のワインを注ぎながらこちらを見つめてくる。その瞳はまっすぐと視線を向けていた。



「もしかしたら……本当は嫌っていないのかもしれません」

「え?」

「時に人は、大切な人を守るために、その人を遠ざけることがあります」



 リンドの声は静かだったが、その言葉には重みがあった。彼女はグラスを俺の前に置き、自分の席に戻った。



「例えば、自分が危険な状況にあって、大切な人を巻き込みたくない時。あるいは、自分の存在が相手を傷つけると知った時……」

「エルトリンデが俺を守るために追放した?  それはおかしいだろう。あいつはいまや王女だよ。俺を守りたいなら近くに置いておいたほうが確実だろう?」

「……そうですね。ただの例えです」



 リンドは微笑んだが、その目は笑っていなかった。その瞳は追放した時のあいつと同じ目のようで……



「でも、もし本当に嫌っているなら、わざわざ会いに来ることもないのでは?」

「確かに……でも、もし別の目的があるとしたら?  俺がちゃんと正体を隠して生きているかを確認するためなんじゃないか? そして、邪魔になるようだったら殺すつもりじゃ……」

「そんな……兄を嫌う妹はいるかもしれません。ですが、ご主人様のような優しいお兄様を嫌う妹はいないと思います!!



 リンドの声が震えた。まるでその姿はこれ以上の誤解には耐えられないとでもいうような必死さがあって……

 看病してくれた時にベットに残されていた銀色の髪が頭をよぎる。



「リンド……君ももしかして過去に何かあったのか? もしくは……」



 君がエルトリンデのなのか? そう問おうするが、リンドは静かに手を握りしめてまっすぐ俺を見つめる。



「ご主人様は、エルトリンデ様のことをどう思っているのですか?」

「どうって……」

「恨んでいますか?」



 リンドのどこか縋るような瞳は俺に嘘をつくことを許さなかった。だから、俺も本心で答える。



「恨むか……最初はそうだったかもしれない。でも今は……ただ理解したいんだ。なぜあいつがそんな選択をしたのか」



 俺はワインを一口飲み続けた。苦みを感じながらも言葉を続ける。



「エルトリンデは昔から実家を追われたりと色々な苦労をした子だった。だけど、本当に可愛くて、素直だったんだ。成長するにつれて魔法の能力もどんどん上がってたよ。特に魔王討伐の時はすごかったな」

「魔王討伐ですか……」



 リンドが小さく呟いたのをきいて俺は懐かしそうに微笑んだ。



「ああ、俺たちは一緒に戦ったんだ。あの時は本当に絆が深まったと思ったんだけどな。だから余計に、あの追放の宣告が理解できなかった」



リンドは静かに聞いていたが、その青い瞳は何かを訴えるように揺れていた。


「もし……もしエルトリンデ様に会えたら、何を聞きたいですか?」



 俺はしばらく考え込んでから答える



「なぜ追放したんだ……かな? そのあとにただ……元気にしているかな、とか、幸せかな、とか……そんなことかな」

「それだけ……ですか? 恨み言などは言わないのですか」

「ああ。俺は彼女を恨んではいないんだ。ただ、心配している。あいつはいつも一人で抱え込むタイプだったからね」



 リンドの目に涙が浮かんだ。彼女は慌てて拭うと、微笑んだ。



「ご主人様は本当に優しい方ですね。きっと……エルトリンデ様も、そんなご主人様の気持ちを知ったら、喜ぶと思います」

「そうかな。、明日になれば何かわかるかもしれないな」

「はい……きっと、いつの日かすべてが明らかになる日が来ると思います」



 俺はリンドの言葉に何か深い意味を感じたが、それ以上は追求しなかった。彼女は何かを知っている。そして、話すのは今ではないといったのだ。


 それに明日の視察のことで頭がいっぱいだった。エルトリンデと再会する。あの追放の日以来だ。俺は何を言えばいいのだろう? 何を聞けばいいのだろう?


 それとも、何も言わず、ただ教師としての仕事をこなせばいいのだろうか。話が終わるころにはいつのまにかワインを飲み干していた。

 席を立とうとすると、リンドが緊張した様子でこちらを見つめていた。



「ご主人様……大切なお話をしてくださってありがとうございます。念のため私に今日の事を他言しないようにと命令していただけますか? そうすればあなたの秘密は誰にも知られることはありません」


 奴隷の証明である首輪に触れるリンドに俺は首を振って断った。


「ありがとう。だけど、それはだめだよ」

「なんでですか? もしかしたら私が誰かに言ってしまうかもしれないとは考えないんですか?」

「ああ、構わないよ。俺はリンドを信頼して話したんだ。逆に俺が明日ポカをして、君が騎士に何かを聞かれた時に、しゃべれなくて怪しまれる方がよっぽど怖いよ。だから、もしも君の身に危険が近づいたらこのことは遠慮なく言ってくれていい」

「もう……ご主人様は優しすぎますよ」


 どこか咎めるような目をするリンドに苦笑しながら俺は明日のをことを考えて眠りにつくのだった。




★★★ 



 エルトリンデは王宮の自室の窓辺に立ち、夜空を見上げていた。新しいワンピースを胸に抱きしめたまま、左腕の黒い模様が月明かりに照らされて浮かび上がる。呪いの痕は日に日に広がり、今では肘を超えて肩へと伸びようとしていた。


「エルトリンデ様、お薬の時間です」


 アンビーが小さな瓶を差し出す。中の液体は濃い紫色で、光に透かすと黒い粒子が漂っているのが見えた。


「ありがとう」


 エルトリンデは無表情で受け取り、一気に飲み干した。苦い薬が喉を通り過ぎる感覚に顔をしかめる。これは呪いの進行を遅らせるだけのもの。治すことはできない。


「視察の準備は整いました。明日、アスト様の授業を見学されますが心の準備は大丈夫ですか?」

「ええ、問題ないわ」

「本当ですか? 目の前で同僚の教師や生徒にちやほやされているアスト様を見て冷静にいられますか?」

「……問題ないわ」



 何か言いたげなアンビーから逃げるようにエルトリンデは窓辺から離れ、机に向かった。そこには兄の授業計画書の複写が置かれている。アンビーが入手したものだ。


「お兄様は初級防御魔法を教えるのね」


 彼女はノートに目を通しながら、小さく微笑んだ。


「お兄様らしい。基礎を大切にする人だから」


 アストに魔法を教わったのは彼女にとって大事な思い出でありそれを思い出してクスリと笑う。

 しかし、その笑顔はすぐに消え、深いため息に変わった。


「私は本当に正しいことをしたのかしら」


 アンビーは黙って彼女を見つめていた。


「あの日、お兄様を追放した時……あの人の顔、今でも忘れられないわ」


 エルトリンデは左腕の黒い模様を撫でながら続けた。


「『なんで……俺は……この国のために……』って。あの時のお兄様の声が、今でも耳に残っているの」


 彼女の目に涙が浮かんだ。


「お兄様は何も悪くないのに。私のためにいつも頑張ってくれたのに。私を守るために戦ってくれたのに」


 涙がポタポタと机の上に落ちる。


「それなのに、私は……あの人を傷つけた。あの人の全てを奪った。領地も、名誉も、家族も……なのに私を恨んでいないっているのよ、私の幸せを祈ってるのよ、あの人は……」


 エルトリンデは顔を両手で覆った。


「私が呪われたのは、魔王を倒した代償。それは私がすべてを背負うべき運命だったのに」



 涙を流すエルトリンデにアンビーが静かに言った。



「エルトリンデ様がそうされたのは、アスト様を守るためです」

「でも、もっと別の方法があったはずよ!」


 エルトリンデは突然叫んだ。


「説明することもできたはず。一緒に解決策を探すこともできたはず。なのに私は……お兄様を傷つけてしまった。あの優しい人を、私の手で……」



 エルトリンデは自分の決断に苦しんでいたのだ。そして、泣きながら笑う。



「市場で見たお兄様の笑顔。あんな風に笑っていたのを見るのは、どれだけ久しぶりだったか」


 彼女は新しいワンピースを見つめた。


「私のためにこんな素敵なものを買ってくれた。私がリンドという他人だと思っているから」


 エルトリンデは窓ガラスに映る自分の姿を見た。水色の髪に戻す前の、銀髪の姿。


「明日、お兄様に会うわ。でも、エルトリンデとして。冷血姫として……私はあの人を守るために、冷たくならなければいけない。でもね、アンビー」


 エルトリンデは振り返り、決意に満ちた表情でアンビーを見つめた。


「この呪いが私を殺すときまで、お兄様にこのことは言わないわ。だって、絶対に悲しむもの……」


 彼女は左腕を握りしめた。


「たとえ私を憎んだままでも、お兄様には幸せになってほしい。私がどれだけあの人を傷つけたか、今ならわかるから」


 エルトリンデは再び窓の外を見た。アストの家の方角を見つめながら、小さく呟いた。


「お兄様、ごめんなさい。でも、もう少しだけ……もう少しだけそばにいさせてください」


 月明かりが彼女の涙を銀色に染めていた。


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