11.エルトリンデの視察
「エルトリンデ様が視察に?!」
職員室に入った俺は思わず驚愕の声をあげてしまった。その反応をどう勘違いしたのかロザリー先生は両手を胸の前で握りしめ、目を輝かせながら頷いている。
「すごいですよね! 明日、冷血姫エルトリンデ様がこの学園を視察されるんですよ!」
混乱している俺に興奮しているロザリー先生は気づかない。そんななか校長先生が緊張した面持ちで割り込んできた。
「王宮からの公式通達です。エルトリンデ様が魔法教育に関心を持たれ、特に我が校を視察先に選ばれたとのこと。これは大変な名誉であると同時に…」
校長は言葉を切り、教師たちを見回した。
「……大変な試練でもあります!」
アストは内心で呻いた。義妹が何を考えているのか全く見当がつかない。言動が怪しすぎるアンビーとどう付き合っていくかを悩んでいたが、今はそれどころではない。
「校長先生、具体的に何をすればいいのでしょうか? あの方の呪い魔法を全生徒に教え、いらっしゃったときに披露するとかはどうでしょう?」
「それはどうかと思いますよ……保護者からクレームが来ますって……」
ロザリー先生が熱心に声をあげるのを即座にたしなめる。地獄でも作り出そうとしてるのかな? 呪い魔法はあくまで自衛や魔物に対して認められているものである。
そんなことをすればこの学校は異端扱いで閉校間違いなしだろう。
「落ち着いてください、ロザリー先生。まず、校内を完璧に清掃します!次に、すべての授業計画を見直します!そして……」
校長は息を吸い込み、声を張り上げた。
「全教師は明日までに最高の授業を準備してください! エルトリンデ様に恥じない教育現場を見せるのです!」
「校長先生」
そんな状況で声を上げるのはもちろんこの男だ。アーノルド先生が得意げに立ち上がった。
「私に任せてください。私の高等魔法理論の授業こそ、エルトリンデ様に見ていただくにふさわしい内容です」
「素晴らしい!アーノルド先生。あなたの授業は必ず視察リストに入れましょう、あとはケイオス先生の強襲魔法のリストに入れる予定です。いいですね」
「はい、お任せください」
盛り上がる三人を見つめながら俺はため息をつきながら自分の席に向かった。そこには昨日アーノルドから押し付けられた高等魔法理論の授業資料が山積みになっていた。
まあいい、エルトリンデがなぜこんなところに来るかはわからない。別にかかわらなければいいだけだから……
そう思っていたが校長が近づいてくる。
「最後にアスト先生、あなたの初級魔法実践の授業も視察対象です。エルトリンデ様は基礎教育にも関心があるそうです」
「え? 俺の授業ですか?」
俺は思わず間の抜けた声を上げた。
「ええ、特にあなたの名前が指定されていました」
「指定……されていた?」
「はい。『アスト先生の授業を見学したい』と」
職員室が静まり返る中、アストの背筋に冷たい汗が流れた。いったい何だ? 何を考えている? そりゃあ監視がいるだろうとは思っていた。だが、わざわざ直接接触してくる理由は何なのだろうか……
余計なことをしていないかという確認だろうか?
「アスト先生、これは大変なことです!」
ロザリー先生が俺の机に駆け寄ってきた。彼女の目は異様な輝きを放っている。
「エルトリンデ様が直接あなたの名前を指定するなんて! 何か特別なコネクションがあるんですか?」
「いや、全く……ですね。たまたまじゃないかな」
「『たまたま』ではありません! エルトリンデ様は十歳で時間魔法の論文を発表し、十三歳で古代魔法を復活させ、十五歳で魔王討伐に参加された天才です!そんな方が『たまたま』な人間を指名するはずがありません!」
「年頃の女性があまりたまたまとか言わない方がいいですよ」
軽口を叩くがスルーされた。ちなみにエルトリンデ経歴は全て俺が誘導したものだからだ。確かに義妹は天才だった。その才能を悪用されないように、幼い時から表舞台でアピールできるように導いていたのだ。
だが、今の彼女が何を企んでいるのかは見当もつかない。
「うらやましいですねー私の研究テーマはエルトリンデ様の呪術理論なんですよ!あの方の論文は全て暗記しています!」
「そ、そうですか…」
ロザリーは興奮して声を上げる。義妹のファンとは知っていたがここまでとは……
「明日、直接お会いできるなんて……どうしよう、何を着ていけばいいのかしら。髪型は? メイクは? 話しかけられたら何と答えればいいの?」
前世で言う推しにあうためテンパっているロザリー先生に困惑しながらも慰める。
「普段通りでいいんじゃないですか?ロザリー先生はそのままで素敵ですよ」
「本当ですか?」
ロザリーは希望に満ちた目でアストを見つめた。
「ええ、もちろんです。俺もいつも美人な先輩がいて嬉しいなって思ってますからね」
「うふふ、ありがとうございます! アスト先生は本当にお優しいですね」
一瞬彼女が顔を赤らめ元気を取り戻した。
「でも念のため、今夜は特別な呪術で美容効果を高めておきます!」
「そこまでしなくても……」
と言いかけたが、ロザリーは既に自分の机に戻り、何やら呪文の書かれた紙を取り出していた。
「また……女を口説いていると……メモメモ」
「……アンビー先生、明日の視察についてどう思いますか?」
無言でじっとこちらを見つめ何かをメモっているアンビーに話を振る。別に口説いてはいない。現にロザリー先生は言動はちょっとアレだが……いや、とってもアレだが実際美人だから真実を言っただけである。
単に話題を変えるための言葉だったがアンビーは感情を込めずに即答してくる。
「エルトリンデ様の視察は予定通りです」
「予定通り…? 何か知っているのか?」
アンビーは一瞬だけ目を見開き、すぐに平静を取り戻した。
「いいえ、単に貴族の視察は事前に計画されるものだと思っただけです。少なくとも私の故郷ではそうでした。この国では違うのですか?」
「そうだよね……まあ、警護とからもありまるし……」
ぐぬぬ……この人に正論を言われると無茶苦茶悔しいな。
やたらと監視するような目で見てくる彼女を怪しく思いながらも話をあわせる。というかこの人の故郷は本当にどんなところなのだろうか?
そんな風に疑問に思っていると一人で盛り上がっているアーノルド先生が目に入る。また、雑用を押し付けてきそうだなぁ……
「ところで、アーノルド先生との関係はどうかな? 昨日、あなたが彼を無視したことで嫌がらせなどはうけてない?」
「彼は私の敵対者リストに入りました」
俺の疑問にアンビーは淡々と言った。
「敵対者リスト?」
「はい。くだらない嫌味に、中身のない自慢。私の故郷では、無能な上司は排除対象になります。戦場では無能な指揮官ほど厄介なものはありませんからね」
「排除って……それは比喩だよね?」
俺が冷や汗を流しても問いかけるもアンビーは答えず、窓の外を見つめた。
「アスト先生、明日の授業はどのようなものをお考えですか?」
「ああ、基本的な防御魔法の実践を予定しているよ。生徒たちが楽しめる内容にしたいと思って……」
「防御魔法は良い選択です。万が一の攻撃にも対応できます」
「攻撃? 誰が攻撃するんだい?」
「予測不能な要素は常に存在します。私の故郷ではしょっちゅう攻撃魔法がとんできましたからね。ご飯の時もお風呂の時も……」
「やっぱり修羅の国の出身では?」
俺が軽口で返すとアンビーは真剣な表情で言った。
「特に重要人物の視察時にも……」
「それはエルトリンデが狙われる可能性があるってことかな?」
俺がアンビーの言葉の意味を考えていると、突然アーノルド先生がこちらに近づいてきた。
「おや、アンビー先生。アスト先生と親密に会話していますね。ですが、仲良くする相手は選んだ方がいいですよ」
アーノルドの声には明らかな嫌味が込められていた。貴族から推薦されたアンビーが俺に懐いている? のが気に食わないようだ
「アーノルド先生、何かご用ですか?」
「ええ、アンビー先生に明日の高等魔法理論の授業を見学していただきたいと思いまして、実習生には良い勉強になるでしょう」
「私はアスト先生の授業を見学する予定です」
アンビーが冷たく答えると、アーノルド先生の唇がひくひくと震えいらだっているのがわかる。
「そうでしたか。いずれにせよ、アンビー先生。実習生としての評価は私も関わります。それを忘れないでください」
アーノルドが去った後、アンビーは小声で言った。
「私の故郷では、そのような脅しは命取りになりますよ。そして脅した相手はそれ相応の報いを受けます」
「アンビー先生。冗談でもそういうことを言うのはやめたほうがいいよ。特に明日はね」
「冗談ではありません。単なる事実です」
なにを当たり前のことを……とばかりに首をかしげる彼女に俺は頭を抱えたくなる。明日は長い一日になりそうだ。
俺は混乱しながらも、帰路についた。明日、義妹と再会することになる。彼女は自分を見て何を思うだろうか。
頭の中が疑問でいっぱいのまま、アストは家に向かった。
「ただいま、リンド」
「お帰りなさいませ、ご主人様」
いつもの笑顔で出迎えてくれるリンドを見て、アストは少し安心した。
「今日はどうでしたか?」
「ああ、大変だったよ。明日、エルトリンデという王女様が学校を視察するんだ。学校中が大騒ぎだよ。アーノルド先生何て張り切っちゃってるしさ」
「エルトリンデ様が……冷血姫と呼ばれる方ですよね。お名前だけは知っています」
「ああ、そうだ。ちょっと緊張しちゃうね」
「大丈夫ですよ。ご主人様なら素晴らしい授業をされるはずです」
「ありがとう」
笑顔のリンドに言葉に少し元気づけられた。
「ご主人様が悩んでいることとエルトリンデ様は何か関係あるのでしょうか?」
「え?」
意外な質問に思わず間の抜けた声をあげてしまう。エルトリンデと俺の関係は彼女には伝えていない。
なのに聞くってことはよほどひどい顔をしていたのだろう。 もしくは……彼女自体がエルトリンデと関係があるかだ。
だけど、もしも間違っていたら彼女を巻き込むことになるのだ。だから、俺はありきたりな返事をする。
「一国の王女様だからね、冷血姫っていうくらいだからちょっと怖いなってくらいだよ」
「……そうですか」
一瞬リンドの表情が歪んだのは気のせいだろうか? だが顔をあげた彼女はすぐに笑顔を浮かべた。
「さあ、夕食にしましょう。今日はご主人様の好物のローストビーフです」
そう言って笑う彼女が一瞬寂しそうなかおをしたのは気のせいではないだろう。そして、俺は信頼している人間に頼られないことのつらさをよく知っているはずなのだ。
なのにリンドにそんな表情をさせてしまった。だったら……
「ごめん、リンド。ちょっと相談があるんだけどご飯を食べながら聞いてくれるかな?」
「はい、もちろんです!!」
嬉しそうにうなづく彼女を見て、選択肢は合っていたと安堵する。そして、俺は緊張しながら口を開く。
「ここだけの話なんだけどさ……妹が兄を嫌うのってどういう時かな?」
「それは……」
なぜかリンドは辛そうに顔をゆがめるのだった。
 




