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94.warn

 厄年なのだと思った。

 思い返してみれば、正月から門松で怪我をしたり決算期に細かいミスを連発したりと、不運なことがよく起こったのだ。だから、厄年なのだ、と。

「可哀想なことしたわね」

 飼い猫の墓の前にしゃがんで、姉が呟いた。

「猫は気まぐれって言うけど、もう少し見ててあげたらよかった」

 僕は姉の横顔を見、その目が何度か瞬かれるのを見て、墓に目を戻した。

 うちで飼っている猫は、三匹だった。そのうち二匹が今年亡くなり、今は一匹しかいない。二匹とも寿命ではなく、不慮の事故だった。

「ほんとに、なんでこう急なのかな……」

 姉が独り言のようにか細い声を出した。




「そうか。そりゃ気の毒だったな」

 向かいに座った友人が、そう言ってコップに控え目に口をつけた。

「そうなんだ、姉さんもあの歳で独り身だからさ。直接言わないけど寂しいんじゃないかな」

「ふうん……俺が貰ってやろうか」

「よせよ、気持ち悪い」

「冗談だ」

 口の端で笑った友人は、しかしふと、固い表情になって顔を寄せた。

「それにしてもさ」

と、友人が言う。

「妙だよな。この所、急死するペットが増えてるらしいんだけどさ。なんでもその殆どが、お前んとこみたいな死に方らしいんだ」

「え?」

 友人は、更に声を低めた。

「つまりさ。他の野生動物に襲われて、食われたり傷が元で死ぬケースが、異常に多いんだよ」

「多い、って……」

 僕は半ば呆れて、重大な秘密を語るような表情の友人を見た。

「偶然だろ。例えば気候とか、自然界のバランスが崩れたとか。気が荒くなって人里まで来ちゃったのかも知れない」

「そう、そこだよ」

 我が意を得たりとばかりに友人は人差し指を立てた。

「自然界のバランスは崩れてる。なら崩したのは誰だ? 言わずもがなだ。動物達は、人間のペットを襲うことで何かを訴えてるんじゃないかと俺は考えてる」

「何かって」

「怒りとか、警告とかさ。色々あんだろ。お前も気をつけろよ。ちゃんと三匹目は見張っといた方がいい。言葉は悪いが、見せしめにやられる恐れがある」

 真剣ぶった友人の話を聞くうちに、僕はだんだん腹が立ち始めていた。どうもこの男、面白がっているようにしか思えない。

「そうか」

 僕は立ち上がり、財布を取り出した。

「ご忠告ありがとう。心配は嬉しいが、うちの子はちゃんと守るから大丈夫だ。その持論は新聞にでも持ち込んだらどうかな。ごちそうさま」

「ん……? おいどうした。何怒ってんだよ。おーい!」

 自分の分の料金をテーブルに置き、僕はさっさと店を後にした。




 それから数週間、多少の不運を除けば何事もなく年は過ぎ、今年も残すところ十日となった。居間に座りっぱなしの炬燵には、姉と僕、それに三毛猫のマキがくつろいでいる。この冬は寒かったせいか、マキもあまり外出しなかったため、ある程度安心して見ていられた。

 なんだ、何もなかったな。

 そう思ってふと、カフェで別れたきりの友人のことを思い出した。あの時は二匹が亡くなって気が立っていたため、言い過ぎたかも知れない。詫びようと思い、電話を手に取った。

『はい、T塚です』

 受話器を取ったのは女性だった。初めて聞いた声だったため、若干緊張する。

「あ、M原と申しますが高志さんおられますか? S大時代の友人なんですが」

 ところが、返ってきたのは予想外の言葉だった。

『主人は……亡くなりました』

「え?」

 僕は間抜けに聞き返した。そんな馬鹿な。

 しばらくして正気に帰ると、奥さんらしい女性を質問責めにした。答える女性のほうも、どうやらまだ気持ちの整理がついていないといった様子だったが、訥々と訳を話してくれた。

 友人が亡くなったのは三日前。仕事帰りに、道路脇から飛び出してきた犬に噛み殺された。犬は近隣住民のペットで、飼い主によると、事件前日までは妙な様子はなく、それどころか普段は尻尾を丸めて黙ってばかりの大人しい犬だという。

「……ご冥福を、お祈りします」

 それだけ言って、電話を切った。言葉が出てこない。友人が面白そうに語っていた都市伝説紛いの話や、亡くした猫達の顔が代わる代わるに頭の中を巡っている。

 馬鹿な。偶然だ。

 混乱と不安で、僕はしばらくその場に立ち竦んでいた。




 マキがいなくなったのは、翌日の晩だった。

 部屋の暖かいところに丸まっているはずの姿が、屋内のどこにも見当たらない。友人の事件を聞いたためなのか余計に焦りが募り、僕と姉は慌てて家中を駆けずり回った。

「いないわ、私外見てくる!」

「あ、じゃあ裏から行ってみる」

「お願い」

 言うが早いか、姉は懐中電灯を握り締めて夜の中へ駆け込んでいった。僕もすぐ、逆方向から家を出ようとして裏口の鍵を閉め、踵を返し、

 思わず、立ち止まった。

 闇の中に二つ、金色の目が輝いている。じっとこちらを見据え、動かない。

「……マキ? マキだね? おいで、外は寒いよ」

 マキらしき影は低く喉を鳴らした。じゃれている時のものではなく、明らかに警戒と威嚇を表すものだ。

「マキ……どうしたんだよ。さあ、こっちに」

 恐る恐る一歩踏み出すと、マキは「フーッ」と怒りを露わにし、何歩か飛び下がったようだった。

 慌てて追おうとした時には遅く、既にマキは身を翻し、闇の中に溶けてしまっていた。呆然と立ち尽くす僕の耳に、何十、何百という獣の鳴き声が突き刺さる。

 ――警告。

 僕は殆ど逃げるようにして、裏口のノブに取りついた。この近郊にはないはずの森のざわめきが、刃のように背なを撫でる。やっとのことで裏口の向こうに滑り込み、堅く扉を閉めると、僕はその場に座り込んでしまった。


――にゃあお。



「~に警告する」。



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