86.confuse
気がつくと私は、彼女と二人きりだった。周りには何もない。広いとも狭いともわからない。ただ、二人が顔を付き合わせているだけだった。
「ここはどこ?」
私は尋ねた。
「さあ」
彼女は答えた。互いの声は、一片の曇りもなく良く聞こえた。他に聞こえる音がないからだ。
しばらく、自分を見たり彼女を見たりして過ごした。長い時間が過ぎたが、その間私達は一言も喋らなかった。
「ねえ、私のこと好き?」
ふいに尋ねられ、私は彼女を凝視した。
「不思議だ」
私は言った。ずっと喋っていなかったせいで、喉が張り付いた。
「君がとても綺麗に見える」
「そう」
くすくすくす、と彼女は笑った。私は彼女を見つめ続けた。彼女に触れようと思ったが、出来なかった。
「こっちに来てよ」
私は頼んだ。彼女は動かず、ただ私を見て言った。
「どうして? 寂しくなんかないわ。私はあなただもの」
それきり、また私たちは黙って見つめあった。私は自分の体を確かめるのを忘れた。彼女は始終微笑を浮かべていた。吸い込まれそうな微笑を。
いつしか、体を動かす方法も忘れていた。
彼女は私の全てになった。彼女を見つめ続けることで、私は私を確かめた。けれど、私の顔はどんなだったろう? どんな鼻で、どんな髪で、どんな目で、どんな肌だったろう? 私は、何だったろう?
「……………」
なんだ、なにも不安がる事はなかった。こんなところに鏡があるじゃないか。
けれど、この物体は何だろう? 縦長の胴体に、下から二本、脇から二本、棒切れが生えている。上には丸いようなのがちょこんと乗って、全体と違う色の細いものの束がてっぺんからふさふさと生えている。
あの赤いのは?
あの穴は何だ?
穴、とは何だ?
色、とは?
「?」は何だ?
形が……
妙な感じだ。これはなんだ。わたしはなんだ。なにがなんだかわからない。どうやらとけている。とけていく。きえていく。
なんだかひどくいいきもちだ。もうなんでもいいや。
そして、誰もいなくなった。
「~を当惑させる」、
「~を混乱させる」、
「~を混同する」。