70.grant
バイトを終え、駅を降りたら帰りの足がなくなっていた。まだ買って一年の丈夫なものだったのに。悔しさと苛立ちのせいで、一日の疲労が一気に吹き出した。理不尽だ。ならば俺だって盗んで帰ってやる、そう思い、駐輪場を見渡した。
「…これでいいか」
自分のものと似た格好の、ツーロックされていないものに目を付けた。
「ふざけやがって」
この歳でまともに就職も出来ず、バイトの上司には毎日イヤミを言われ、彼女もいなければ愚痴に付き合ってくれる友人もいない。
なぜ俺がこんな目に遭うのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「くそっ、引っかかってる」
大学時代は想像もしなかった。輝かしい未来なんか期待していなかったが、何となく上手くいくんじゃないかと思っていた。毎日、サークルの同輩と趣味の映画に没頭して、夜中まで好きな監督の話をしたりして。俺も友人達も皆、映画馬鹿だった。
「あーもう、うぜっ。邪魔!」
社会人になったら、仕事の合間を縫ってショートフィルムでも撮って、OB会で見せ合おう、などと言ったこともあった。が、それも遠い昔の話だ。サークルには卒業以来顔を出していない。
「合わねえ、くそがっ」
今の自分を撮ったら、ちょっとした社会風刺ものくらいにはなるだろうか。行き詰まって肝の小さな犯罪を働く就職浪人。
「お」
「あのう、すみません。それ私の…」
鍵が開くと同時に、背後から声がかかった。持ち主らしい。俺は慌てて飛び乗り、背中を向けて思い切りペダルを踏んだ。もう、知ったこっちゃない。
背後で持ち主が叫んだ。
「自転車泥棒と言えばー―っ?」
――。
思わずブレーキを掛けた。慎重に振り向く。
持ち主は、8ミリビデオを構えてこちらを覗いていた。暗い中でも見覚えのある背格好、聞き慣れた声。間違いない。サークルの友人の一人だった。
『自転車泥棒』と言えば、ヴィットリオ・デ・シーカ監督だ。
――相変わらず、映画馬鹿なんだな。約束は叶えたのかな。
俺は歯を食いしばり、再び友人に背を向けた。口の中で謝罪を呟く。引き止める声を背に、一目散に漕ぎ去った。
「~を認める(=admit)」、
「~を与える」、
「~を叶えてやる」。