67.survive
ある時代、ある場所で、二人の男が喧嘩をしていた。十年来の長い喧嘩だ。原因などより、互いの意地で突っ張りあっている、そんな喧嘩だった。
ところがある日、そんな喧嘩を中断させる出来事が起きた。地球に巨大隕石が降ってくる、と言うのだ。世界は大騒ぎになり、パニック、犯罪、戦争、あらゆる災いの予兆を見せた。
男、タカシは言った。
「ちっ。これじゃ決着の前につまらんことに巻き込まれて死にかねん。続きはまた今度だ。ただし、お前が生きてたらな」
もう一方の男、マサルが言った。
「何を? 貴様ならいざ知らず、俺がこの程度の騒ぎで死ぬはずがない。少なくとも貴様が先にくたばるはずだ」
タカシがぴくりと眉を上げた。
「ほー。だったらどっちが生き残れるか勝負しようじゃないか。このドタバタだけでなく、生涯賭けてな」
「面白い! 並では決着はつかんと思っていたんだ。見ていろ、貴様の屍を拝んで笑ってやる」
こうして二人は別れ、それぞれ自らの命へ飛び込んで行った。
そして、八十年が経った。
災害と長い混乱期を経てようやく安定を取り戻した世界の片隅、忘れ去られたシェルターで、一つの機械が作動していた。冷凍睡眠装置である。
装置は設定された期間を終え、維持機能をいましも解除しようとしていた。中に眠る男が、八十年前のまま目を覚ます。
「う…うーむ…」
蓋が開き、男、マサルは苦しげに起き上がった。と、そこに、いつの間にか背後に立っていた老人が声を掛ける。
「ようやくお目覚めか。ところで、知っているかね? 長期間の冷凍睡眠を行った者は、平均寿命が常人より十年短いのだ」
「…? 何を言って…誰だ、貴様…」
目覚めたての体で、ぎこちなく振り返ったマサルの視線が凍りついた。老人の鼻には、昔自分との喧嘩でついた傷跡が残っていたのだ。
「…貴様、タカシ…か?」
杖を突き、しわくちゃになった猫背の老人。対して自分は、まだ若い体である。
老人はニヤリと笑ったかと思うと、直後激しく咳き込み、床に膝をついた。見ると、掌には血痰が吐き出されている。
「馬鹿な…」
マサルは愕然とした。
「ち、血迷ったか、貴様! 俺との勝負を忘れたとは言わさんぞ。どちらが長く生きるかという勝負だ! あの災禍の中、コールドスリープしないだと? 俺は貴様なら…貴様も当然っ…!」
「ふ…だから、今言っただろう。お前の寿命は、縮んだんだよ」
「何を…何を言っている。たかが十年縮んでも」
「そうとも」
言葉を遮って、タカシは再び咳き込んだ。
「わしは、もう死ぬ。だから見せびらかしに来たのさ。お前に、勝利をな」
タカシは杖を床に突き立て、震える手で体を起こした。そして、混乱して眉を寄せるマサルに、ずいと迫る。装置の縁に手を掛ける。
「見ろ。わしの生涯を」
言葉を無くすマサルの眼前、上着の前を剥いでみせる。老いた肌には、弾痕、病痕、火傷、シミや皺、これまでの長い壮絶な年月の証が刻まれていた。
「見ろ! これがわしの人生だ。わしの戦争、わしの歓喜、わしの苦痛、わしの財産だ…!」
襟元に掛けた節くれ立った指からも、懐からも、見事な宝石の輝きが零れている。
「わしは生きたぞ、あの時代を。お前の何倍も長く、何倍も濃い人生をな。お前はその間、呑気に眠っていただけ…そしてこの先、わしに負けたまま生き、わしより十年か二十年早く死ぬ。…くく。ふふふ」
タカシは背を屈め、頭を掻き回した。嗄れた哄笑がシェルターに響き渡る。マサルは呆然と、目の前の老人を凝視していた。
その時、笑いすぎたのか、タカシの喉がごぼりと音を立て、大量の血を吐き出した。咄嗟に腰を浮かせたマサルだったが、その襟首を掴まれ引きずり下ろされる。
唇から血を滴らせ、見開いた眼で睨み上げて、タカシは呻いた。
「俺の、勝ちだ」
それを最後に、タカシは事切れた。
シャツを掴んだ指から力が抜け、ずるり、と前のめりに崩れ落ちる。枯れ木のような老人を膝に抱え、マサルは、奥歯を噛みしめた。顔が歪む。手が震える。タカシの頭を嫌に軽く感じていた。
「…馬鹿野郎…!」
指から抜けた宝石が、床に落ちて細い音を響かせた。
「生き残る」、
「(人)より長生きする」、
「(危機など)を越えて生き延びる」。