64.reflect
ある晴れた日、ある寂れた公園のベンチに、くたびれたサラリーマン風の男が座り込んでいた。片手に缶コーヒーをぶら下げ、足下に鞄を転がし、ぼんやりと風景を眺めている。
と、そこに、
「おじさん、何してるの? 無職なの?」
小さな女の子が話しかけた。男は初め驚いたようだったが、やがて微笑を浮かべた。
「そうなんだ。お嬢ちゃんは、おじさんみたいになっちゃ駄目だよ。…一人でお散歩?」
「ううん、おじさんに会いに来たの。おじさん、生まれ変わりたくない?」
そう言うと、少女は背中から大きな鏡を取り出した。男は首を傾げたが、少女が鏡を突き出すので、そろそろと覗いてみた。
「おや…? これ、鏡じゃないのかい」
男がそう尋ねたのは、鏡の中に、自分の顔ではなくどこかの少年の全身像が浮かんでいたからだった。
「鏡だよ。これ、おじさんの過去を映す鏡なの」
「え?…あっ」
鏡の中で少年は、自転車を壊してしまい、父親に殴られている。やがて場面が切り替わり、少年が次第に青年へ、大人へと成長していった。
鏡を覗き込む男の表情が、驚愕を交えながら、次第に暗くなる。
「…ね? ろくでもない人生でしょ?」
やがて映像は現在の男の歳を通り過ぎた。家庭の不和、病気、事故、屈辱、惨めさ、老い、そして死。
「……」
「わかった? この先、いいことなんてないんだよ。ねえおじさん、生まれ変わらせてあげる。お金持ちになれるよ」
「…お嬢ちゃんは、一体誰なんだ」
「さあ? 神様かな。それより返事ちょうだい。返事次第じゃ、今すぐやり直せるんだから。どうする?」
男は少女の笑顔を見つめ、しばらくすると、両の掌で顔を覆った。
日が傾いてゆく。下校する生徒達の賑やかな笑い声が通り過ぎる。
少女はちょこんと、男の正面に座り込んだ。
「ね、おじさん…」
その時、男の手の間から、微かな笑い声が漏れた。両手を離し、少女に優しい視線を落とす。
男の返事は、ノーだった。
「…どうして? あんな、酷い人生なんだよ。見たでしょ?」
「お嬢ちゃん。ありがとう」
「えっ?」
「…ほっとしたよ。なんだ、思ったほど酷くない。普通に色々あって、普通に死ねるんだ」
少女は唖然として、それから食ってかかった。
「おかしいよ! あんな不幸な人生のどこがいいって言うの? 一発当てたくないの、幸せになりたくないのっ」
「なりたいさ。だから、このままでいいんだ。それに、鏡に映った人生なら、逆さまにできるかもしれないだろ?」
言った後、男は照れ隠しのように勢い良く立ち上がった。少女は慌てて転びかけ、
「なっ、何よっ! この馬鹿っ」
涙目で罵声を叩き付ける。男は鞄を拾い上げ、大きく伸びをした。
「…な、お嬢ちゃん。あんまり人のことを不幸だとか言っちゃ駄目だ。俺は俺なんだから。…何だかね、そういうことが久々に分かったよ。ありがとうね」
男の笑顔に、少女は拗ねたように背を向けた。男がベンチに缶コーヒーを置く。
「これ、冷めちゃったけどあげるね。まあ、まだ飲めないかな」
少女がきっと振り向くと、男はもう公園を出て行くところだった。妙に若々しい背中を見て、少女は思い切り唇を尖らす。コーヒーの缶が、パン、と弾けた。
「~を反映する」、
「~を反射する」、
(-on A)「Aについてよく考える」。