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「まだ見つかりませんか」

 そう尋ねると、男は決まって黙ったまま頷いた。そして振り向きもせず、本棚の本をひとつひとつ確かめる作業を再開するのだ。

 男はもう半世紀も、一冊の本を探し続けていた。まだ若い頃、巨大図書館で働いていた時分に、ある青年に頼まれた本だ。青年が言うには、それは彼が幼い頃に読んだ本で、タイトルも内容も殆ど覚えていない。しかし思い出の中に大きな位置を占める、とても大切な本なのだ、ということだった。

 本探しは難航した。青年の言う漠然とした特徴を元に様々な既刊本を示したが、青年はどれもこれも違うと言った。――既に絶版になっているものかも知れない。増刷されなかったか、大量生産されなかったタイプの本かも――作業は膨大なものになった。十年、二十年が経ち、青年が中年になっても男は探し続けた。

 もう結構です。諦めます。

 家内に叱られました、迷惑を掛けるなと。

 最近体調が悪くて…。

 お仕事、引退されたんですね。もう本当にいいですから。

 もう、やめて下さい。私も歳をとりました。

 来週から、入院するんです。

 まだ探してるんですか、ありがとう。でも、もう終わりですね。私の方が若いのに、ままならないものですね。

 最期に…あなたに言わなきゃいけないことが…。

 耳打ちされたのは、つい先日思い出したという、その本のタイトルだった。

 壮年の死を見届けた後、男は黙って去り、街から姿を消した。代わりに本屋仲間の間で、密かな噂が囁かれるようになる。本の気を喰う老人の話。気配は人間離れし、質素な衣服を纏いながらも汚れを感じさせない。ふらりとやってきて本棚を、吟味し尽くし、時々立ち止まり、去っていく。

 ある時、本屋の主人が話しかけたことから彼の目的が判明した。話を聞いた関係者は、密かにその本について調べたが、目録にも古い文献にもそんな本は見当たらない。似たものを見つけると、どこからか現れた彼が、

「それか…」

 緩やかにかぶりを振るのだった。

 

 男は本を、補充本も店の奥にあるものも、全て手にとって確かめた。どこまで来たのだかわからない。海を渡りもし、砂漠を越えもしたが、まだ本は見つからないのだった。

 歩き続け、探し続けて、男はとうとう倒れた。まだなんだ、そう呟いて起き上がる。細い綱を渡るように歩き出そうとする男を、声が引き止めた。

「見つかりましたよ!」

 男は振り向いた。立っていたのは、あの壮年の娘だった。

「この本でしょう?」

 半世紀ではきかない年月を感じさせる、分厚いハードカバー。背表紙には長年探し続けたタイトルが、金箔で押されている。

「間違い、ないですよね。先日父の古い友人が、家の倉庫から見つけたそうです」

 男は食い入るようにその本を見つめ、手に取って丁寧に眺め、それから、ゆっくりとかぶりを振った。

「…返しが違う。こんな作り方は、あの頃以前にはない。よく出来た偽物だ」

 本を娘に返すと、男は悲しげに微笑した。

「頑張って作ったんだね。だけど、本物でないと…」

「どうしてですか」

 娘は声を震わせた。

「こんなものを作るくらい…わざわざ協力してくれるくらいの人が、あなたのことを思ってるんですよ! もういいじゃないですか。第一、父が諦めていいって言ってるのに…」

「あれはもう、私の探したい本になってしまったんだよ。その偽物は彼の墓に供えてやってくれ。きっと喜ぶ」

 じゃあ、と言って、男は背を向けた。娘は、引き止めなかった。

 

 

 男がどうなったのだか、知る者はいない。噂だけは細々と生き続けていて、本の仙人になったのだと言う者もいれば、見つけた本を読み終えて死んだのだと言う者もいるが、真実は定かでない。

 今でも街の片隅の本屋では、ほんの時たま、古書のにおいを纏った客が現れることがあるそうだ。



(-for A)「Aを捜す」、

(-A)「Aを探る」。



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