39.reduce
その邸の息子がある日帰宅してみると、家の中の様子が何か妙だった。物足りない、落ち着かない感じだ。そこで母に尋ねてみると、
「お父さんが骨董品を売ったのよ」
と言う。言われてみれば、リビングの剥製や絵画も、和室の掛け軸も重文級だという壷も消えてなくなっている。
「なあに、あんなものは持たんでもいい。博物館で保存すればいつでも見られるんだ」
父親はそう言って悠々と笑って見せた。息子はしばらく新しい室内風景に戸惑っていたが、すぐに慣れた。
翌週、再び物が減った。今度は華美な絨毯やテーブルの飾りなど、装飾品だった。
「なあに、あんなものは役に立たん。家具というのは使う者の要求に応えれば、ただそれだけで良いのだ」
父親は室内を見渡して、満足げな笑みを浮かべた。
その翌週、何百という服飾品や靴と共に、家具の幾らかが消えた。家族は憤慨したが、
「なあに、あんなものは季節に四、五点とフォーマルのものがいくらもあればいいんだ」
と、父親は断言して、反論を受け付けなかった。
そんなふうにして家の中がどんどん簡素になってゆき、終いには邸もいらないというので、手伝いを解雇して家族五人、3DKのマンションに越した。
何しろ必要最低限のものしかないので、退屈を紛らわすのも一苦労だった。新聞のクロスワードを解いたり、トランプで大富豪をやってみたり。
あまりの変わりように、とうとう息子は父に尋ねた。
「父さん、倹約にしたってどうしてここまでやらなきゃならないのさ」
すると父親は、誇らしげに言った。
「倹約ではないぞ。私はただ、物を持たないことにしたんだ。物欲などは人生を重くするばかりだからな。人間、本来なら旅行鞄ひとつもあれば生きていけるんだ」
皆が分かったような分からないような顔で聞いていると、父親は続けてこう言った。
「まあ、だからといってお前達は捨てられないな。家族という荷物は、大抵の男が背負うものだ」
そしてしたり顔で胸を張った。しかし、誰も感極まった顔などしていない。白けた空気が流れる中、母親が静かに席を立ち、父親の居室から黒い重厚な箱を持ってきた。
父親の目の色が変わる。
「そう…そうなの。立派な心がけですわねぇ、あなた。でも、じゃあこれは何かしら」
「お、お前、重くないかね。下ろしなさい」
「ええ重いですとも、立派な金庫ですものね。そうして中身は、…この通り、あの邸も家具も、そっくり同じ物が二つは揃いそうな財産じゃないの」
母親は金庫を抱えると、地上二十階のるベランダに近づいた。
「な、何を」
「みっともないわよ、あなた。中途半端は大嫌いなの」
金庫を肩に担ぎ上げ、大きく振りかぶると、気合いとともに空中へ。
風を切りながら真っ逆様に落下する金庫は、大量の札束を撒き散らしながら、植え込みに突っ込んだ。
「母さん、何てことするんだい、あの金があれば…」
「黙らっしゃい!」
父と息子達はぴんと背を伸ばした。マンションの外は大騒ぎ、皆が札束に群がっている。
母は、にこりと笑ってこう言った。
「さあ、あなた。これが本当の自由よ」
「~を減らす」、
「(-A to B)AをBにする、変える」