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31.notice

「知らぬが仏」と諺にもある通り、世間には知らなくてもいいことというのが沢山あるものです。うっかり小耳に挟んだせいで命まで奪われる、なんて話は映画の中にもよくありますね。大変なことに気付いたからと言って、無闇に騒ぎ立てるのはためにならないかも知れません。

 さて、ある時あるところに、男がおりました。彼はごく普通のサラリーマンで、奥さんと二人の子供を持っていました。毎日真面目に働き、時にはお酒を飲んだり夫婦喧嘩をしたりして、そこそこ豊かな生活に満足していました。

 そんなある日、彼の元に一通の手紙が届きました。高校時代の友人からの、同窓会の誘いです。懐かしさに嬉しくなって、彼は早速参加の旨を伝えました。

 当日は土曜の夜で、蒸し暑く過ごしにくい日でしたが、会場に続々と集まった同窓生達は皆笑顔でした。一次会は大いに盛り上がり、彼も久し振りに会った友人達と、他愛ない話をしたりして騒ぎました。

 皆、程度に差はあれど、高校時代とは随分印象が変わった人ばかりです。名前を聞くまで誰やら分からない人も大勢居ました。冗談混じりに怒られながら、彼は「俺も歳かな」などと嘯きました。

 一次会が終わると、帰る人もちらほら出始めました。二次会は、残った皆でカラオケに行く予定になっています。翌日が休日の彼も勿論同行しました。

 お酒が入っているので、移動は徒歩です。ぬるい風を浴びながら、道々、いい気分で歓談していました。

 そうこうしながら、線路のガード沿いを通る、人気のない道を歩いている時です。彼は突然、話すのを止めて立ち止まりました。

「どうした、立ちションかあ」

「先に行くよー」

と、友人達が千鳥足で遠ざかります。彼は脇を走る線路に、ぼうっと気を取られていました。

 人です。線路の上に、人間が立っているのです。この暑い中に、重そうな黒い上着を着て、ひっそりと佇んでいるのです。

「なあ、あれ…」

と彼は友人達の方へ振り向きました。

 が、誰も居ません。どこかの角を曲がってしまったのか、人っ子一人いないのです。置いて行かれたか、と途方に暮れた彼の耳に、ある音が聞こえてきました。

 カンカンカンカンカンカン……どこかの踏切が警告音を鳴らしているのです。すると遠くから、タタンタタン…タタンタタン…と、電車の近付いてくる音がし始めました。線路の向こうに光が見え、見る見るうちに近付いてきます。それなのに、線路上の人は動こうともしないのです。

 タタンタタン…タタンタタン…

「おい、降りろ!危ないぞ!」

 彼は叫びましたが、聞こえていないかのようにその人は突っ立ったままでした。

 タタンタタン…タタンタタン…タタンタ、ゴォーーーーオオオオオオオオオォォォ………

 うわっ、と彼は目を覆い、電車が遠ざかってからそっと、震えながら線路を覗き込みました。

 しかし、そこには何もありませんでした。敷き詰められた石と、古びた線路があるだけです。彼はしばし、狐に化かされたような顔をしてぼんやりしていましたが、

「酔ったかな…」

 そう呟くと、友人達が向かったらしい方向にふらふらと歩き出しました。

 当てずっぽうに路地に入り、彷徨き回っていると、カラオケ屋の看板が目に入りました。その建物へ近付くと、案の定入り口の前で同窓生二、三人が話をしています。

「悪い悪い、待った?」

 声を掛けると、彼らは笑顔で振り向きました。長かったな、などと彼をからかって、皆が先に入っている部屋へ向かいます。二十人ほどが鮨詰めになった大部屋で、彼は尻をねじ込むようにして座りました。

 久し振りの再会だからか、全員が羽目を外して楽しむ中、やがて彼にもマイクが回ってきました。

「歌えー!」

「前、前」

 彼は頭を掻き掻き、狭い隙間を通って前に向かいました。処が、バランスが狂ったのか、誰かの足に躓いた拍子に体が立て直せず見事にひっくり返ってしまったのです。おまけにどうやら卓上の飲み物が倒れたらしく、スーツの背中がびしょぬれになってしまいました。

「おいおい大丈夫かー」

 心配する声は脳天気です。周りの全員が、けらけらと笑い声をたてました。彼も応じて、笑いながら起き上がろうとしました。

 が、その時、既視感が彼の胸中に浮かび上がりました。

 転んだ人物。

 濡れた服。

 嘲笑。

 先頭を切って見下ろして笑っているのは、自分です。

 どうして今まで忘れていたのでしょう。彼は、高校生の頃いじめのリーダーだったのです。同窓生は皆、多かれ少なかれ彼にいじめられたか、付き従っていた者ばかりなのです。

 呆然として、彼はうつ伏せたまま顔を上げました。テーブルの下には荷物が押し込められています。スーツケースやハンドバッグに混じって、異様な塊が見えました。

 季節外れの、重そうな、黒い厚手のコート。

 …タタン、タタン…

(……!?)

 酔いがいっぺんに醒め、彼は、マイクを握りしめてゆっくりと立ち上がりました。引きつった笑顔を皆に向け、震える声でこう、問い掛けます。

「な、なあ、これ…もしかして、仕返し? なんつって」

 ぴたり、と笑いが止みました。全員が無表情になり、無言で目配せし合います。やがて今では土建屋だという一人が立ち上がり、つかつかと部屋の入口へ向かうと、立ちふさがるようにして狭い通路に陣取りました。

 がくがくと震え、冷や汗をかき始めた彼に向かって、誰かが独り言のように言います。

「あーあ…気付かれなきゃ悪戯で済ませたのにさ」

 そして全員が、一斉に――彼に笑みを向けました。その後のことは一切わかりません――

 

 

 このように、気付いてしまったら最後、悪いことしか起こらない、などということはままあるものです。彼も黙っていれば良かったですね。

 …何ですって?そもそも最初から、彼が自分の過去に気付いていればよかった…?

 おやおや、これは一本取られましたね。まあそこはそれ、ご愛嬌……それではこれにて、また次の機会に。


 

「~に気づく」、

「~だとわかる」。

 


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