19.wonder
便器に座っている時から、何となく違和感があった。いつもの個室なのに、他人の家のように落ち着かない。それは言わば気配のようなものだったのだが、そのせいで腸に集中できないのには困った。それでも何とか用を済ませ、すっきりしない気分のままドアを開けると――
もとい。
腸から実が抜けると、そこは雪国だった。頭の中が白くなった。
これは夢なのだろうか。便所スリッパの爪先に、積もった雪が崩れてかかる。春の格好では凍り付いてしまいそうな寒さが吹き込んでくる。
すぐさま便所のドアを閉めようとした時、しんしんと降る雪の向こうから、微かに呼ぶ声が聞こえた。
「駅長さあん、駅長さあん…」
幼い少女と思われる、細く高い、必死な叫びだ。
ドアを閉めるのを止め、雪の中に踏み出す。声を上げたくなるような冷たさだったが、どうせ夢だ。切羽詰まった呼び声に向かって、ざくざくと歩を進め始めた。
「駅長さあん、ったらあ…」
凍える体を抱いて呼び続けているのは、まだ七、八と思われる着物の少女だった。この雪の中で袷一枚だ。
「お嬢さん。何してるの、大丈夫?」
声を掛けると、警戒心を含んだ縋るような目が振り向いた。
「…だれ?」
「通りすがりの者だけど」
「…あのね、あの…駅長さん探してるの。お手水借りたいの」
「オシッコ?」
訊くと、少女は怒った顔をした。恥ずかしがらせてしまったか、と思い素直に謝る。
「で、駅は開いてるのかな」
「知らない」
答える少女は、内股になって縮こまり、細い手足をぶるぶると震わせている。雪に埋もれた素足は真っ赤になっていた。ふと、自分がどこから来たかを思い出す。
「じゃあ、お便所貸してあげる。洋式だけどいいかな」
知らない人を警戒する少女を説得し、雪についた足跡を遡ると無事に元の便所に着いた。どこ○もドアのごとく突っ立っている便所扉を開ける。促された少女は躊躇いながらも、寒さと尿意に耐えかねてかドアの向こうに消えた。
もしかしたらこのドアが現実の自宅に繋がっていて、少女が戻ってこないのではと心配もしたが、杞憂だった。
ほんの二、三分で、少女は決まり悪そうにしながらドアを開けた。冷え切ってガチガチと歯を鳴らす私にその一瞬だけ、「ありがとう」と、少し懐かしい無邪気な笑顔を見せて――。
少女がどうして薄着で雪中を歩いていたのかは結局わからない。次に便所に入りドアを開け直すと、もうそこは見慣れた家だった。
洗濯物を干していなかったことに気付く。ひとりで家事をこなすことにも、もう随分慣れた。祖母直伝の技だ。今度、息子にも教えてやりたいと思う。
「~かと疑問に思う」、
(+atA)「Aに驚く」、
「Aを不思議に思う」。