17.suggest
それは、赤と黒に塗りつぶされた一枚の油絵だった。
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「先生、何度も言いますがね、先生には才能がおありになる。只の才能じゃない、世間並みの人間がどう努力しても届かない高みだ。その対価を得るのを私が微力ながらお助けしたいと、こう申してるんです」
「金か。…それより君、見たまえ」
「何です?ほほう、これは大作ですな」
「何だと思うね」
「そうですなァ、この鮮やかな赤、そして黒。…夕焼け?いや、炎…?」
「わからんかね。この構図に何かが足りんのだ」
「足りない…?」
「君には分かるまい」
さあ邪魔になる、帰ってくれと言われ木島は画家のアトリエを後にし、深い山を下った。
木島は画商である。絵画の売買から最近ではイラストレーターの発掘や画集の発売まで手掛ける、忙しい身であった。
その彼が、ここ一月ほど一人の画家の元に通い詰めている。いわゆる芸術家肌の、時代遅れなスタイルを貫く画家だが、その作品は木島に言わせれば「強烈に金の匂いがした」。そこで画家に自分がプロデューサーとなりたいと提案しているのだが、頑として受けない。
木島はしかし執念深く、毎日のように説得を試みていた。
「ほう、これは。まるで血の色ですな」
身の丈ほどのキャンバスに、画家は絵の具を叩きつけている。
「その分ですと完成は三・四日後になりそうですね。どうです、近々絵画展を主催するんですがね、ご出品なされては」
画家は無言である。
「一番目立つ場所をご用意しましょう。いや、最高にご希望通りの展示を致しますか?ところで、タイトルはなんとお付けになるので」
「君は商売人だな。タイトル?…今に分かる」
「これは失礼、完成前にお聞きすることではありませんでしたな。ではせめてその作品のテーマをお聞かせ願えませんか」
「それも今に分かる。言葉で言えたら苦労は無かろう」
「仰る通りで。ではその時が来たら是非ご一報下さいませ、悪いようには致しませんぜ。それじゃ」
去りながら木島は、知らず笑みを浮かべていた。あれは大作になる、それも世間中を騒がすような、という直感を抱いたのである。
それからというもの、木島の脳裏には常にあの絵がちらつくようになった。恐ろしいほどの色彩、荒々しくも熟練した筆遣い。完成を今か今かと待ち続け、毎日のように通ったが、予測に反し絵はなかなか出来上がらなかった。
絵画展は近い。それまでになんとしても出品を説得したい木島は内心焦っていた。
そんな時だ。
木島はまさにその絵画展のために、暫く日本を離れることになってしまった。出品者やスポンサーが海外にもおり、直接でないと困る用件があったからだ。
出張の間、国外にいながら木島の心はそこにはなかった。あの作品がどうなったのか気になって仕方がない。まるで呪われたようだと、焦りながらそんなことも考えた。
いよいよ日本に戻ると、木島はすぐさま画家の元へ車を走らせた。一刻も早く進行を知りたい、完成品を一目見たい。あの血のような、また炎のような、誰もがハッとするような画を、と。
「…何だ?」
画家の住む町が近付いてきた時、曇った空が燃えるような赤に染まっていることに、木島は気付いた。予感が走り、アクセルを目一杯踏みつける。
そして画家がアトリエを構える町沿いの山が見えたとき、木島は、呆然と車を止めた。
山が、燃えている。
一部分ではない、山全体が巨大な炎である如く、目の潰れそうな赤に燃えている。
――ああ、絵は…完成したに違いない。画家はもうあの家には居ないだろう。きっとどこかで、この光景を――。
「ちょっとあんた!危ないから近付かないで!早く付近住民を避難させろっ」
今更になって、自分の執念の正体に気付く。救助隊員に羽交い締めにされながら、木島は目を皿のようにして炎を焼き付けていた。
燃えさかる炎が天を焦がし、周囲の全てを炭と影にする。それは、赤と黒に塗りつぶされた一枚の油絵だった。
「~と提案する」、
「~をほのめかす」、
「~を暗示する」。




