11.reach
彼は走っていた。息を切らし、汗を絞りながら懸命に走っていた。
主が危篤であるとの報せを受け取ったのは、一昨日の晩だ。主の治める地を離れ、遠国を旅して回っている途上のことだった。
文を見るや、彼はすぐさま宿を飛び出した。馬もなく路銀も持たず、身一つで旅をしてきた彼は、もどかしくただ昼夜駆け続けている。
一目。
老いた主にせめて一目見え、その声を、その言葉を聞きたいと。
「良い眺めだと思わんか」
鷹揚な声に馬上を見上げる。精悍な面に微笑を浮かべ、琥珀色の瞳を足元の平原に投げて、主は続けた。
「戦は良い。命が燃えて居るのが見えるわ――この炎。素晴らしい」
見下ろせば、無数の兵が黒く赤く大地を埋め尽くし、揺るがしている。砂埃が、渇いた風に乗って吹き付けた。
「は…」
「そうであろう。儂を照らす炎だ」
再び振り仰ぎ、はっとする。
澄んだ琥珀色の瞳、涼しげな容。野生の如く風を纏う頭髪。
膝を付いた。
「仰せの通りにございます」
主の目がこちらに向いた気配はなく、小さな笑い声と、雄大な地平線だけがそこにあった。
広大な国土に足を踏み入れると、見晴らしのよい高台から荘厳な城が臨まれる。城下までの緩やかな下り坂を、彼は一心に駆け下りた。
こんなことなら旅になど、と思う。国が安定した頃、自らの「答え」を求め城を出て経巡ったが、主に勝ると思われる何物も見つけられはしなかった。
所詮自分はこの程度の器なのか、そう考えて眠れない夜を彼は幾晩も繰り返している。
主が持つ答え。
それを知らなければ、自分はこの先を登っては行けないという気がしていた。
空気を一息に吸い込んで、喉がひりひりとざらついた。長年の戦と行脚で鍛えた足がもつれそうになる。躓いて持ちこたえ、揺れる膝を強く叩いて、彼は体を奮い立たせた。
早く、早く。
急がなければ―
「陛下!」
寝室に案内されるが早いか、彼は主の寝台に駆け寄った。
世の全てを盤上に転がした主。思いのままに生き、欲しいままに掴んでいった主。その主が最期に見せる目を、奏でる言葉を、彼は求めた。
「陛下…私です」
息を切らしながら枕元に膝を折る。汗みずくで細い手を握り、顔を上げて――彼は、絶句した。
貧弱。
病に老い、痩せさらばえて横たわる主。その眼に往時の堂々たる光はなく、只、命の残り火が灯っているのみだ。
「…陛下」
「あ、あ」
嗄れた声で、主は言った。
「まだ…もっと…ああ、誰か!儂はまだ…」
遠い、執着を燃やした眼で見ているどこかへ、主は手を伸ばした。そうして震える指が二、三度虚しく空を掴み――それきりだ。
寝室に啜り泣きが響き渡る。息絶えた主の面には、深く苦しげな皺がきざまれていた。
―辿り着いてなど、いなかった―
彼は涙を流しながら、妙に体が冷えていくのを感じていた。
「~に着く」、
「~に達する」




