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「急がなきゃ。」
ホームルームが終わり、放課後の予定を話し合う者や何気なくたむろする者で教室はがやがやしていた。そんなクラスメイト達をよそに、リアナはまとめた荷物を持つと、賑わう教室を飛び出した。
先日三階から一階まで階段を駆け下りた日の夜、なかなか体が疲れてしまい次の日も辛かったので、できる限り急ぎつつ早歩きだ。
「クラウス!遅れてごめん!」
「やっと来たか。とりあえずこの木の葉のサンプリングから始めてくれ。」
クラウスの圃場を手伝うようになってから、数日が経った。
リアナが圃場に来られる放課後に、水やりや種まき、器具の清掃などを行っている。
クラウスに対してずっと敬語だったリアナだったが、クラウスにやめさせられた。
「同じ年齢なのだから敬語はやめてくれ。」
「で、でも、高貴なお方ですので」
「ただの肩書だ。それとクラウスでいい。」
クラウスは自分の身分にあまり頓着していないようだ。
そうして、最初は慣れなかった砕けた口調も、徐々に自然になりつつある。
「この木、赤い実が生ってる!」
「ああ、これはタイリクアカイチゴだ。本来寒さに弱い果樹だが、ここに植わっているものは北の豪雪地帯で見つかったものでな。分子学的に解析してほしいと僕の所に依頼が来たんだ。」
「へぇ、じゃあ逆に暖かい気候が適さなくなってたり?」
「実はその通りだ。耐寒性を司る遺伝子が関わっていると僕は検討をつけていてな……」
クラウスの流れるような解説を聞きながら、ビニールハウスの隣に植えてある木を観察する。何本かの木が一列に整列しており、青々と生い茂る葉の中に小さい赤い実が塊のように一つにまとまって生っていた。
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木の葉を何枚か採取して丁寧にろ紙に包み、氷が入った箱に保管する。
何百本もあるわけじゃないしすぐ終わるだろうと高をくくっていたリアナだったが、背伸びしてギリギリ届く位置にある葉の採取は予想外に重労働だった。
終わるころにはシャツがうっすらと汗ばんでいた。
「はぁ~、やっと終わった~。」
木の根元に腰かけて休んでいると、ビニールハウス内で作業をしていたクラウスが近づいてきた。
「ご苦労だったな。休憩がてら実を食べてみるといい。」
「いいの?」
立ち上がったリアナは腕を目一杯伸ばしたが、赤い実は少し高い所にあり、ギリギリ手が届かなかった。
「脚立持ってこようかな。」
「なに、その必要はない。」
「とってくれるの?ありがとうクラウ……え、なに、きゃあっ!?」
脚立を持ってこようとしたリアナを止めたクラウスが腕まくりをした。てっきり代わりにとってくれるのだと思ったリアナだったが、彼は何故かリアナの足元にしゃがみ込むと、あろうことかリアナの脚をまとめて抱えてそのまま持ち上げた。
「ちょ、ちょっと降ろして!ひっ!」
見下ろせば結構な高さだ。
彼の片腕はリアナの脛のあたりに巻き付いていて、もう片腕はリアナの靴裏を持ち上げている。普通に抱き上げられるよりさらに高い位置になっている気がする。
リアナの困惑をよそに、クラウスは至ってまじめな表情で見上げてきた。
「上になっているものほど成熟が進んで甘みが強いぞ。」
「わ、わかったから下向いてて!!」
本人にその気は全くないだろうが、その位置から見上げられるとスカートの中が見えそうだ。
それに汗をかいているし、とにかく早く降ろしてほしかった。
目の前にある実を2つとったリアナはようやく降ろしてもらい、クラウスから逃げるように距離を取った。
「はぁ……びっくりしたよクラウス……。」
「?脚立を取りに行くより合理的だと思ったんだが。それよりほら、食べてみろ。」
文句を言おうと思っていたリアナだったが、クラウスはどこ吹く風だ。
「もう……いただきます。」
真っ赤に熟れた実を口に入れると、芳醇な香りとジャムみたいな甘さが口いっぱいにじゅわっと広がった。
「なにこれ!甘い!」
「そうだろう。普通タイリクアカイチゴはここまで甘くならない。この株がつける実は糖度が十倍ほどあるんだ。」
そう満足げにうなずいたクラウスは、リアナが逃げる間もなく一足で近づいてきた。おもむろにリアナの腕を取ると、赤い実を持つ手のひらに顔を寄せてパクリと口に入れた。
「なっ……にしてるの。」
「手が汚れてたからな。うん、僕には少し甘すぎるな。」
「私の手もそんなにキレイじゃないよ?」
クラウスは少々距離感がおかしい。
自覚のない美形に振り回されて、何を言っても無駄だとリアナは空を仰いだ。
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入浴を済ませ、リアナは自室のベッドに寝転がった。
「果樹系もおもしろいかも。今度図書館で文献探してみよう。」
今まで興味があったのは草花だったが、今日みたタイリクアカイチゴもなかなか面白そうだった。
あの赤い実をまた食べさせてもらえるだろうか。
濃い甘さとともに、変わり者の美男子のことも思い出す。
手のひらから赤い実を啄んだ時、彼の薄い唇が一瞬触れた。
伏せた彼の目の繊細なまつ毛は、日の光を受けてつやつやと光っていた。
「っ!」
リアナの顔は沸騰した。
「ほんと、めちゃくちゃだよ……。」
余計な事を思い出してしまったリアナはしばらく胸の動悸が収まらず、その日はなかなか寝付けなかった。