3
「はぁっ、はぁっ、ここだ。」
リアナは窓から見えた建物の前にたどり着いた。
ツタが絡んだ金属の門があり、本当に人がいるのか不安になる。
少し怖かったが、意を決して門に手をかけて開ける。
ギギィーと不気味な音を立てながら、リアナは足を踏み入れた。
「ごめんくださーい……。」
恐る恐る呼びかけるが、返事はない。
ここまで勢いで来てしまったものの、彼がいる確証はない。
やっぱり日を改めようと、リアナが踵を返そうとしたとき、ビニールハウスからひょこっと人影が姿を現した。
「なんだ君か。」
クラウス・リンネがそこにいた。
ブレザーを脱いでワイシャツ姿の彼は、ネクタイをシャツの胸ポケットにしまって、腕まくりをしていた。手には軍手を付けている。
リアナの記憶が正しければ、彼と顔を合わせるのは2週間ぶり2回目のはずだが、つい昨日も会ったばかりのようなテンションだ。
拍子抜けしてしまったリアナだったが、ここに来た目的を思い出した。
「あっ、あの!私聞きたいことがあって、」
「そんなことより、ちょうどいい所に来た。手伝ってくれないか。」
「へ?」
話は作業をしながら聞くからと、手首を取られたリアナはビニールハウスの中に引っ張り込まれた。
「この種子を今日中に播種したいんだ。一人でやるには骨が折れる。」
そう言って彼が手にしたのは何かが入った袋だ。
ずっしりと重そうで、中をみればひよこ豆ほどの大きさの植物の種がぎっしりとつまっていた。
「これ全部を今日中にですか!?」
「ああ。早くやらないと日が暮れる。僕は土を運んでくるから、君はこのコンテナにポットをセットしてくれ。」
クラウスはコンテナをリアナの前に置くと、重そうな土袋を肩に担いで戻ってきた。
「ほら、早く。」
「はっ、はい。」
話を聞きに来ただけなのに、リアナはあれよあれよと労働させられることになった。
------------------------------
ポットに土を入れ、種を埋めていく。
リアナは黙々と作業を続けた。
クラウスも淡々と手を動かしている。
そろそろしゃがみ込んだ体勢が辛くなってきたが、袋の種子はまだ3分の1ほど残っている。
腰の痛さを誤魔化すように、リアナはクラウスに話しかけた。
「あ、あの。」
「なんだ。」
「王国植物学会の会報、見ました。あなたがあの白い花を発見した特集です。それであの花の王国名って、その、私の名前が入ってたりして、なんて……。」
「ああ、リアナシロネムリソウ。王国名には君の名前を入れた。」
「やっぱり!でもどうして……?」
自分で聞いておいて少し自信がなかったリアナの質問に、クラウスはあっさりと肯定した。
「あの花を見つけたのは確かに僕が先だったが、君とほぼ同時だ。一か月も花の正体を探っていた君が報われないと思ってな。学名は属と種によって決めなければならないが、王国名はある程度発見者の自由に決められる。どうだ、気に入ったか?」
いたずらっ子みたいにニヤッと笑った彼に、リアナは心臓が一回止まった気がした。美形の笑顔は殺人ができるのかもしれない。
「とても、気に入りました。ありがとうございます。そういえばどこで私の名前を?」
「君を保健室に運んだときにスクールバックに書いてあるのを見た。君は僕と同じ色のネクタイをしていて、植物図鑑を持っていたから、植物科の2年生だろうなと検討を付けた。」
だから保健室の先生も私の所属を知ってたのかと、リアナは合点がいった。
その後も何気ない話をしながら作業を続け、全ての種子を蒔き終わった頃には、日が沈みかけていた。
帰り道、クラウスは女子寮まで付き添ってくれた。
そんなに遠くないし大丈夫だと断ったリアナだったが、置いていたスクールバックをクラウスが持ってスタスタと歩き始めてしまったので、言葉に甘えることにした。
クラウスと並んで日が暮れた道を歩く。
「君はどうして植物科に入ったんだ。」
「それは……。」
何気なく聞かれてリアナは言い淀んだ。
「笑われてしまうかもしれないのですが、立派な理由はないんです。」
リアナの地元は、王立学校がある王都から遠く離れている田舎で、本当に何もない所だった。だけど自然が豊かで、様々な植物が自生していた。四季によって姿を変える草木や花々を見ることがリアナは好きだった。
地元では勉強ができる方だったリアナは、教師に王立学校高等部の受験を勧められ、受験を決めた。科を選ばなくてはいけなかったが、正直どこでもよかった。医学科や芸術科は難しそうだったけれど、その中で植物という文字に何となく興味が惹かれ、植物科を受験して見事合格した。
王都での学校生活に心を躍らせながら両親に見送られて王立学校に来たリアナだったが、現実はそう楽しいものではなかった。
他のクラスメイト達はほぼ貴族で、皆それぞれ環境問題の解決や家の事業に関わる研究など、確固たる目的があった。同じクラスには少なからず庶民の生徒も居たが、リアナ以上に優秀で天才といわれるような子たちばかりだった。
そんななかで、ただ植物が好きというふわふわした理由しか持たないリアナは場違いだった。
クラスメイトと議論するときも、知識が足りずついていけなくて、いつのまにか一人になった。
勉強のモチベーションも上がらず、可もなく不可もない成績を保ちながら二年生になった。
「他の子たちみたいに、南部の緑化とか、穀物の収量改善とか、ちゃんとした目的は無くて、植物が好きっていう理由だけで何となく植物科を受験して……」
「これ以上ない理由じゃないか。」
「へ?」
「僕は小さい頃、この世のもので一番最初にタンポポが好きになった。花から綿毛になって、息を吹きかければ飛んでいくのが不思議でたまらなくて、ずっと観察していた。植物は一度根付けばそこから動けないが、決してされるがままの存在じゃない。植物の賢明な生存戦略に感動して、その時の気持ちのままここまで来た。だから、」
だから、とこれまで前を見て歩いていたクラウスは足を止めて、リアナを見た。
「僕もただ植物が好きで研究をしている。君と同じだ。」
「!」
他でもない植物学の第一人者のクラウスに思いがけず同意されて、虚を突かれた。嬉しいような恐れ多いような、色んな気持ちがないまぜになった。相変わらず何を考えているかわからない顔でこちらを見ているクラウスから、リアナは慌てて顔をそらした。
「君も植物が好きというなら、僕の圃場を手伝ってくれないか。」
「圃場の手伝いですか?」
「普段僕は講義を受けずに一人で実験をしている。だがそろそろ人手が欲しい所だった。植物の世話をすることは植物科の人間として無駄にはならないだろう。やってみないか。」
クラウスの提案に、リアナは目を輝かせた。
「やります!」