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「……ここは、」
リアナが目を覚ました時、白い天井と自分をぐるりと囲む白いカーテンが視界に飛び込んできた。
頭が起動途中のようで、自分の置かれている状況が全く把握できない。
ぼーっと天井を眺め続けていると、カーテンがシャッと開いて、白衣を着た保健室の先生が顔をのぞかせた。
「起きたのね。気分はどう?」
「あの、私、」
「あなた中庭で意識を失って、ここまで運ばれてきたのよ。」
「中庭……」
「リンネ博士に抱えられてあなたが保健室に入ってきたとき、王子様とお姫様みたいだったわ。」
きゃー、と保健室の先生が興奮した様子ではしゃいでいる。
中庭、王子……。
単語を拾い集めて、ようやくじわじわと思考が働いてきた。
そうだ、白い花の名前が知りたくて、昼休みに中庭に行って、それから授業に行こうとしたら何故かベンチで超絶イケメンに寄りかかって寝てて、彼は絵を描いていて、白い花が新種で、麻酔薬みたいな効果があって、それで……。
それ以降の記憶がない。
というかあの男子生徒はいったい誰だったんだろう。
「リンネ博士ってどなたでしょうか。」
「あら、知り合いじゃなかったの?あなたと同じ植物科2年のクラウス・リンネ。」
「植物科だったんだ……。」
王立学校には植物科以外にも文学科や工学科など、十を超える学科がある。
彼は絵を描いていたからてっきり芸術科だと思っていた。
「リンネ公爵家の嫡男なのに、華やかな世界そっちのけで植物の研究に没頭してる風変わりな貴公子よ。」
「えっ、公爵家!?」
「おまけに8歳の時に農学の博士号を取ってる超秀才よ。」
「あだ名じゃなくて本当に博士!?」
情報量が多い。
公爵家の人間だったとは……。
リアナの両親は町工場を営むごく一般的な家庭だ。
粗相をしてないか心配になり、よだれを肩に垂らしたことを思い出して絶望した。
しかもここまで運んでくれたということだろうか。
少し話しただけだったが、彼ならたとえそこで誰が眠っていようが放っておきそうな印象だったから意外だった。
「加えてあの綺麗な顔でしょ。入学したとき結構な騒ぎになったけど、あなた本当に彼のこと知らなかったのね。」
珍しい子もいたもんだわ、と保健室の先生が笑う。
「あはは……。」
入学したときは緊張しすぎて周りのことが全然見えていなかった。
そのあとは普通に友達ができなくて、他の生徒のことを何も知らなかった。
しかし、あんなに派手な肩書と見た目を持つクラウスのことを知らなかったのはさすがにまずい気がしてきた。
「大分意識がはっきりしてきたみたいね。今日は無理しないで、もう帰ってゆっくり休みなさい。」
「でも、まだ六限が、」
「もう担任の先生には連絡してあるから大丈夫よ。五、六限の先生にも欠席の連絡してくれるって。」
保健室の先生がスクールバックを手渡してくれた。
優しさにありがたみを感じつつ、リアナは言われた通り女子寮の自分の部屋に帰った。
部屋着に着替えて、まだ若干だるい体をベッドに投げ出す。
「リンネ博士、か……。」
昼間の出来事はまだ現実味がなくて、ふわふわしていた。
彼のことがなかなか頭から離れないまま、リアナは再び深い眠りに落ちた。
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「ほんとに私と同じ17歳?」
白い花の正体が分かってからすることが無くなったリアナは、昼休みを図書室で過ごすようになった。
クラウスが名付けたという白い花について何か載っているかもしれないと思って、今日は王国植物学会会報を手に取っていた。
すると、最初のページに早速彼のことが特集になっていた。
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クラウス・リンネ 17歳
王立学校植物科2年生
幼少期に植物の神秘に魅せられ、野草を採集してはスケッチする日々を送る。
王立学校初等部在学時に農学の高等教育を修め、農学博士となる。
数々の優れた論文を執筆し、王国内外の植物学の最先端を行く研究者である。
現在は王立学校に専用の圃場を持ち、植物の研究を行っている。
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「専用の圃場って……。」
唖然としながらページをめくる。
「あっ、この花」
学名:Datura somnumis
一目であの庭の白い花だとわかる繊細なスケッチの下に、学名があった。
リアナが探し求めていた白い花に名前がついていた。
しばらく目が離せず、リアナはその名前を見つめた。
こうして名もなき花に名前がついた瞬間を見ることができて良かった。
ふと学名の下に視線をスライドすると、もう一つ名前がついていた。
「おうこくめい、リアナシロネムリソウ……?」
王国名:リアナシロネムリソウ
確かにそう書いてある。
「リアナ?リアナって……?」
何度も字面を目で追って———
「私っ!?」
静かな図書室で大声を上げてしまったリアナは、数人の生徒にじろっと睨まれた。
「すみません……。」
消え入りそうな声で謝罪したが、リアナの頭の中はそれどころじゃなかった。
偶然?たまたま?なにか自分が知らない専門用語なのだろうか?
いや、どうみても自分の名前にしか見えない。
予鈴が鳴って慌てて講義室へ向かい席に着いたが、午後の授業は全然集中できなかった。
本人に聞いてみるしかない、リアナは決心して講義室を見まわした。
植物科には6クラスあり、各クラス40人ほどの生徒がいる。
ホームルームはそれぞれの教室で行うが、講義は200人以上の生徒が大きな講義室で一緒に受ける。
だからクラウスも絶対に同じ講義を受けているはずだったが———
彼の姿は見当たらなかった。
授業が終わり、ホームルームの担任の話を聞き流しながら、窓の外をぼんやりと眺めていた。
クラウスが何組かわからないので、講義中に彼を見つけて話しかけようと思ったのに、どうやら彼は講義に出席していないらしい。
それもそのはず、彼は正真正銘の博士なので、高等部の講義など受ける必要がないのだろう。
それに気づいてリアナは落胆した。
ため息をついた時、ふと窓の外から見える小さな建物が目に入った。
隣にはビニールハウスが2棟並んでいる。
王国植物学会の会報がフラッシュバックした。
———現在は王立学校に専用の圃場を持ち、植物の研究を行っている。
「!!」
ホームルームが終わると、リアナは教室を飛び出して三階から一気に階段を駆け下りた。