2:鵬の親分
初回につき2回投稿。
明日からは週3回目途不定期投稿でしばらく。
「ちょいとすまねぇ」「ほら、あけてくんな」
息を切らして駆けつけた二人が、人だかりを掻き分ける。
「鵬の親分だ」
「おい、鵬が来たぜ」
と囁き声が広がり、たちまち道が開けた。道の先には、険しい顔ですでに抜刀した男が一人、その後ろに三人立っているのはその仲間だろう。陽都下で帯刀を許されているところを見るとそれなりの身分なのだろうが、身なりは少々野暮ったい。諸国の衛士か官吏なのだろう。開き直ったように路上であぐらをかいて下から睨み返しているのは、お店者らしき若い男だ。
「やぁ、遅くなったな、すまんすまん」
鵬の親分の、やけに明るい銅鑼声が響いた。
「で、いったいどうした」
「どうしたもこうしたも、ないぜ」
路上の若者が応えた。
「呼び止めるなり、いきなりぶん殴ってきやがってよ。履物に泥をかけたから、詫び賃をよこせだと。冗談じゃねぇ。こちとら、いくら急いでたって、人様に泥を跳ねくり返すような無様な走り方はしてねぇよ」
「貴様、わしが嘘をついておるとでも申すか。もう、我慢ならん」
一歩踏み込んで剣を振り上げようという男の気勢を削ぐように、
「よしな、よしな。陽太皇のお膝元で、やたらと光もんを振り回すんじゃねぇよ」
と鵬の親分がゆったりと割って入った。
「うるさい、何者だ。邪魔をするなら、貴様もまとめて叩き斬ってくれようか」
「俺はこういうもんでね。おいクロ、よこしな」
心得たとクロが朱い房のついた縄を投げてよこす。
男は顔を少ししかめたが、すぐに嘲るような脅すような笑いを作って、
「なんだ、縄持ち風情がでしゃばるな」
と言い放った。
「おやおや、陽大帝のお膝元、陽都の風紀取締りを司る朱縄の御印を見ても、収めていただけないんですかい。こいつは困りましたね」
言いながら鵬の親分はなぜか嬉しそうだ。
「それじゃ、ちょいと田舎の方に、陽都のきまりってもんを、お教えしなくちゃいけないね。おい、じいさん、その杖を貸してくれんか」
大店の隠居といった風情の老人が、満面の笑みで持っていた杖を差し出した。
「ふん、貴様が相手をすると言うのだな」
「いや、まぁ、あまり酷いお怪我はさせないつもりなんで、ま、そこんとこは大船に乗った積もりで任せてもらえりゃね。うん、こりゃ手ごろだ」
鵬の親分は、丈夫そうな樫の杖を二三回振って頷いた。
「じいさん、いい杖だな。傷をつけちゃいけねえな」
「鵬の親分に使ってもらえりゃ、ちょいとした傷ぐらい自慢の種さね」
いつのまにか、クロが鍋のようなものを掲げて、人だかりの間を走り回る。野次馬たちが次々に、小銭をその鍋に投げ込んでいる。老人の傍にいた番頭らしき男が、ぽんと銀を放り込んで拍手を浴びた。
「あれは何をしておる」
後ろで腕組みして控えていた男の一人が怪訝そうに訊いた。
「あぁ、そちらさんが俺の体にさわれりゃ、あの金子はそちらさんのもの、駄目なら俺の懐にって寸法で」
「なっ、賭けておるのか。馬鹿にしおって、許せんッ」
抜刀していた男が猛然と切り込んでくるのをふわりと躱した親分は、
「えぇ、そちらの御三方も、どうぞご遠慮なく」
と声をかける。三人は素早く長刀を抜いた。真ん中の一人はかなり腕に覚えがあるらしく、口元に酷薄そうな笑みを浮かべ、構えも堂に入っている。
「おやおや、これは油断ならない方も混じってるようで」
親分は苦笑いを浮かべながら、無雑作に間合いに入るなり、
「ではまず、光もんの数を減らしておくとしようか」
いきなり杖を横殴りに払って、右側の男の長刀を叩き落とすや、くるりと身体を反転させて、先に斬り込んで来た男が背後から突っ込んでくる剣先を外して、手首をぴしりと打ち据える。こちらの剣もあっさり地面に落ちた。
「貴様ァ」
甲高い声を上げて上段から飛び込んでくる左側の男の小手も鮮やかに打ち抜き、その隙を狙って必殺の勢いで振り下ろされた真ん中の男の袈裟斬りは、杖に軽く斜めにいなされた。そのがら空きの胴にびしりと、杖の片手撃ちが決まると、またもや長剣がぽろりと手からこぼれる。ほんの数瞬で、四人の剣は全て路上に転がった。
「さてさて、素手の方を打ち据えるのは、道義に反する。四宮の御名にかけて、そんなことはできねぇ。皆さん、お手間だが御自分の剣は御自分で拾ってくだせぇ」
屈辱に肩を震わせた四人はしばらく立ち尽くしていたが、一人が、
「くそぅ」
と罵声を上げて、足元の剣を拾いざま、殴りつけるように斬りかかると、後の三人も剣を拾い上げて殺到した。けれど怒りに我を忘れ、肩に力の入った斬撃は、空を切るばかり。逆に親分の杖の一撃は、びしゃびしゃと音をたてて、肩に腰に腕にと面白いように決まる。さほどの時間が経たないうちに、四人の男は疲労と痛みで這いつくばり、体は汗みどろ、息も絶え絶えで、剣はまたもや全て地面に投げ出されていた。
親分は額にうっすらと汗をかいた程度で、余裕綽々の笑顔で言った。
「さて、ここで普通なら天下の往来を騒がせた罰として朱縄のお出ましなんだが、ここまでぶん殴られたあげく、牢で怖い方々にもう一回ぶん殴られるってのは少々お気の毒だ。俺としては、ここらでお開き、何もなかったことにしてぇ。しかし、なんだ、この物見高い連中がうんと言うか言わねぇか。そいつは、おまえさんたちの心掛け次第だな」
「どうしろと言うのだ」
腕に覚えのありそうだった一人が、苦しそうな息の下から尋ねた。
「クロ、鍋の中は」
親分の声に、クロが鍋を手に駆け寄りながら大声で、
「合せるとざっと銀三枚ってとこですかね」
と応える。
「そいつはちょうどいいや。皆の衆、銀三枚の振る舞い酒で水に流すってことでどうだい」
人垣から一斉に歓声が上がる。
「というわけで、各々方、銀一枚づつ、ここにいる一同に恵んでくだせぇ」
男たちは顔を見合わせたものの、他に途はない。銀がちゃりちゃりんと四枚投げ出された。クロがすかさずひょいひょいと拾い上げて親分に差し出す。
「この一枚は俺の踊り賃ってことで、後は三枚。それにこいつは、」
と言って、親分は無雑作に鍋から一掴みの銭を取り出して、三枚の銀と一緒にクロに渡し、
「俺からの皆への奢りだ。さ、クロ、酒を買って来い」
「あいよ」
クロが勇んで走り出す。残りの銭はそのまま親分の懐に収まる。
「ちっ、薄汚ない縄持ちめ」
金を取られた男が忌々しそうに吐き捨てた。親分は照れ臭そうな笑顔で、
「いや、恥ずかしいね。俺も銭に汚いところはあんまり見せたくないんだがよ。実はせがれが一匹いてね、これが親に似ねぇ実に出来のいい奴で。ま、俺みたいに地べたを這いずり回らせとくには、ちょいと勿体無いのさ」
「おやおや、親分の子供自慢がまた始まったぜ」
野次馬の中から声が飛ぶ。
「仕方ねぇじゃないか。ほんとのことなんだからよ」
親分は上機嫌で言い返す。
「とにかく、出来のいいせがれを持つと、まぁ、学問なんぞも一通り以上にはさせてやりたいのが、親の人情ってやつさ。ところが、そうなると銭がないことにはどうしようもねぇ。かく言う俺も、実は畏れ多くも陽太皇直参の十六陽貴の家柄なんだけどよ。分家、無役のお手当てじゃ、とうていかかりが間に合わねぇ。やむを得ず縄持ち稼業に精を出すってことに相成ったわけだ。まぁ、せがれはそのうち大人物になって、天下万民のために仕事をすることになってるから、その学費を払うのを手助けするのも、巡り巡って将来の天下万民のためと思って堪えてくれや」
恐ろしく勝手な理屈を真顔で言い立てる親分に、男たちは毒気を抜かれて呆れつつ、どこか可笑しくなってしまう。
「おぅ、クロ、早かったな。まぁまぁ、一杯やって、今日のことは水に流すとしようや」
手回し良く十余りの瓢に酒を分けて持ってきたクロから瓢を一つ取り上げると、座り込んでいた男に勧める。男は諦めたように受け取って、ぐいっと一飲みすると、隣の男に瓢を渡した。受け取った男も苦笑いを浮かべて瓢を傾ける。
「さぁ、皆も陽気にやってくれ」
親分は自分も瓢を一つ抱え込んでぐいぐいと喉に流し込む。
「親分、今日はアレはやらないのかい」
また声がかかる。
「うむ、声がかかれば、やらんわけにはいくまいな。残暑を払う鵬の舞の一さし、皆の酒の肴にしていただこうか」
親分はもろ肌を脱いで仁王立ちになる。いつのまにか両手に剣の柄のようなものを握っているが、刀身はない。その両手を前に突き出し、
「さて参るぞ、ハァッ」
気合と共に、左右の柄が眩しく輝いたかと思うと、朱と蒼の光が噴き上がり、刀身の形になった所でピタリと止まった。光の剣。
「な、珍しいな、ありゃ念剣じゃないか」
男の一人が驚いたように呟いた。
「ヤッ、ハッ、トォッ」
親分は二本の光の剣を自在に操って、華やかな剣舞を舞い始めた。
「道理で無役なわけだ」
剣の柄にあたる部分から刃を出し入れする、念筒とも空柄とも呼ばれる道具を使い、使い手の念によって、真剣と同じ切れ味を持つ光の剣を作り出す念剣。念剣を作り出す力は天賦のもので、使い手は万人に一人とも言われる。西国の悠国あたりでは使い手ももっと多くてかなり盛んと伝えられるが、陽都の近隣ではあまりみかけない。だからと言って決して優遇されるわけではない。むしろ大道芸の中でも卑しいものとされており、芸人以外は人前で念剣の使い手であることを公にしないのが普通だ。刀身を仕舞っておける念剣は暗殺に向いているため、陽太皇に疎んじられたと言われる。真偽はともかく陽太皇が嫌うと言われている念剣をわざわざ大勢の見物客を前に披露していては、公職に就くのは難しいだろう。
しかし親分の剣の舞は、なぜこれほどの高貴な技が卑しめられねばならないかと、疑わせるような美しさだ。時に速く、時に緩やかに、その動きは優雅さと力強さを兼ね備え、二本の光が残す残像は、空間に神秘的な朱と蒼の絵模様を浮かび上がらせる。この美しさを知っているから、野次馬たちは鵬の親分の捕り物に群がるのだ。
と、
「父上ッ」
斬りつけるような鋭い少年の声に、親分の舞がぴたりと止まった。ばつの悪そうな笑みが、愛嬌のある顔に浮かぶ。
「なんだユウトか。しまったなぁ。いや、あれがせがれでね。出来はいいんだが、ちょいと学問のせいか堅っ苦しいところがあって」
「また、性懲りもなく天下の往来で酒盛りなど始めて。人前の念剣も少しは慎んでくださいと、申し上げているではありませんか」
少年が歩み寄りながら厳しい口調で叱責する。固太りの父親に似ない細身に細面で、浅黒い引き締まった肌をしているが、太い眉と大きな目だけは父親ゆずりらしい。
「わかった、わかった」
親分は念剣の光を収めると、いきなりその念筒を手裏剣のように、少年の額に投げつけた。が、少年は顔色一つ変えず、手刀で二つの念筒を打ち落とし、差していた木刀を素早く抜いて面上に掲げた。カンッと高い音が響いた。いつのまにか、杖を拾って打ちかかってきた父親の一撃が弾き返された音だ。
「よしよし、鈍っちゃいねぇな」
「これぐらいは当たり前です。さ、父上、家に戻ってください。ご報告しなければいけないことがございますから」
ぴしりと決めつけた少年は、打って変わった柔らかな口調で、
「皆様も、どうかお咎めのないうちに切り上げてください。いつも父がお騒がせして申しわけありません」
頭を下げて笑顔を見せる。その人を引き込むような愛嬌も父親譲りらしい。
「じゃ、皆の衆、そういうことなんで、またどこぞで会おう」
上機嫌の親分は、すたすたと歩き始めた少年の後を大股でついていった。その後ろに少し背を屈めた長身のクロが、軽い足取りで続く。
最初に絡まれていたお店者の若い男が、ぼんやり座っている四人の男たちに講釈を垂れている。
「あれが、陽都名物の鵬の親分、タケト様さ。あんた方は運がいいよ。下手な縄持ちに目をつけられたら、後々までたかられるけど、鵬の親分は一回こっきりで、酒を酌み交わせば後は身内ってお人柄だからね。ただしもう一回、あの人の前で同じ様な騒ぎを起こすと、お灸も今日の比じゃなくなるから、それだけは覚えておきなよ」