第九話
自宅へと戻った私を待っていたのは、仁王立ちの母上。
なんというか……全てお見通しですわよ、と言わんばかりの表情。まずい、もしかしてバレてる? バレバレのバルカン砲?
「紗弥、正直に答えなさい」
玄関先でそう言ってくる母上。
あかん、もうバレてる……ここは正直に……
「……私のアイス食べたの、あんた?」
「ごめん、お母さん……私、安眠を守る為に……ってええ?」
沈黙がその場を支配する。
というかアイスってなんだ。私そんなの……ぁ、食ったわ。風呂上りに。
「……何? 安眠を守る為にアイス食べるの、あんた」
「お、おう」
「お母さんの楽しみ、どうしてくれるのかしら」
「じゃあ今から買ってくるよ、コンビニで……」
「もう真っ暗だからやめなさい。大丈夫よ、お母さん、怒って無いから」
本当に? なら何故玄関先で仁王立ちしてたんだ。
「……紗弥、安眠出来そう?」
「へ? あぁ、うん。アイス奪ったかいあって」
「……そう。食べ過ぎには注意するのよ」
うむぅ、がってん承知の助。
※
その日の夕飯はクリームシチュー。昼間はあんなに暑かったのに、夜は若干肌寒い。そのせいか食が進んでしまった。私が苦手なアボガド入りだったけども。それよりも母のクリームシチューが勝ったのだ。
腹いっぱい食った後、自室へと戻りベッドへと寝転びながら……スマホを弄る。
本当なら再提出を求められた大学のレポートを片付けるべきだが、そんな気分にはなれなかった。教授に怒られそう。
「……どういう事なんだろ」
長谷川さんは……何かを得る為に犠牲を払った。
犠牲……一体どういう事だ。彼女は一体何を得ようとしたのか。いや、そういえば……
『その犠牲が必要だと』
犠牲が必要。
一体、何をどうしたらそうなる。怪我をするなんて痛いだけだ、得る物なんて何も無い。たとえそれで何かを得たとしても……それは本当に……
と、その時スマホに着信が。
むむ、少し時間的に早いが轟少年か?
いや、スマホの画面には髭ヅラの文字。応答ボタンをタップし、ベッドに寝転んだまま電話を受ける。
「……もしもし、監督?」
『おう、どうだ、調子は』
そういえば……この人なら何か知っているかもしれない。
「……ねえ、長谷川さん……ってさ、知ってるよね」
『……あぁ、勿論だ。お前に彼女の代役を頼んだのは俺なんだからな』
「彼女、何したの?」
一瞬、監督が言葉に詰まった気がした。
気のせいレベルだが。
『随分漠然としてるな。なんだ、彼女は何かしでかしてたのか? コンビニで万引きでもしてたのか』
「そういうのじゃなくて、彼女……一体なんで怪我したの? どんな怪我?」
今度は明確に、監督は言葉に詰まっている。
それで隠し切れない……とでも思ったのだろうか、大きく溜息を。
『なんだ、要か。それとも芽衣子か?』
「どちらでもないわ。なんとなくよ」
『まあいい。そんなに知りたきゃ本人に会えばいい。それが一番手っ取り早い』
「住所教えてくれるの?」
『あぁ。今彼女が居るのは……』
監督が告げてきたのは……新宿の大学病院だった。
長谷川 唯は今現在、入院中との事だった。
※
翌朝、公演までスケジュールが迫っているのは分かり切っていた。
しかしそれでも、私は彼女に会わなければ、と何故か思ってしまう。今日は普通に大学に行かねばならないが、それでも……だ。
私は例の大学病院の受付で、長谷川 唯の部屋を尋ねる。今は面会時間じゃないし、昨今はコロナで面会自体難しい。しかし私の必死な演技……もとい、説得で願いを聞き入れてもらった。良い子も悪い子も真似しないように。
「長谷川……ここか」
彼女の病室は個室。デリケートな話なら都合がいい。私はそっと、その扉をノックする。
「……はい」
中から小鳥のような声が。声だけで分かる。きっと美人だ。
「失礼……します」
中へと入り、彼女が居るであろうベッドにはカーテンが掛かっていた。
そっと……そのカーテンをめくり中へと入る。そして、目を疑った。
「……? こんにちは。どちら様だったかしら……」
……あの髭ヅラ……こういう事だったのか。
絶対アイツ……性格最悪だ。分かっていたけど。
「こんにちは、私……漆原 紗弥と申します。今……劇団真祖で、貴方の代役として……」
「ぁ、そうだったのね。ごめんなさい、ご迷惑をおかけして……」
ベッドの上で上体を起こしている彼女は、軽く会釈するように。
先程から手足は全く動かない。動かせないのだ、恐らく固定されている。
「いえ、私も楽しませて頂いてます。皆良くしてくれて……」
「あらあら、皆元気なのね。とりあえず座って? こんな状態だから、おもてなしできないのが心苦しいのだけれど……」
「いえ、そんな……」
丸椅子へと座りながら、劇団の現状を報告する。
たまにあのウサミミメイドはなんなんだとか、芽衣子ちゃんは年上には見えない、とか冗談を交えながら。長谷川さんは終始笑顔で私の報告を聞いてくれる。
「あはは、そうよね、芽衣子ちゃん、何気にあの中で団長の次に年長者なんだもの。最初そうは見えなくて私も驚いたわ」
「要君は逆に大人びてるけど……なんか年上には見えないっていうか……」
「そうそう、あの生意気な性格が年下っぽいのよね。そんなんじゃ、女の子にモテないぞって言ったんだけど……あの子、大学じゃ結構モテてるみたい。許せないわ」
ほぅ、それは許せん。リア充は敵だ。
「それで……あの、大変不躾な質問なんですが……」
「……あぁ、ちょっとドジして……ステージから落ちちゃったのよ。ごめんね、そのせいで貴方にも迷惑かけて……」
ステージから落ちた……?
あそこのステージはそんなに高くない、芽衣子ちゃんでも余裕で飛び降りれるくらいの高さだ。あそこからどう落ちたら……こんな状態になるんだ。
「……そう、ですか。早く元気になってくださいね」
でも私は突っ込んだ事は言えない。それは私の性格だからか、それとも……
「ありがとう。ところで貴方……どこかで見覚えがあるというか……初めて会った気がしないのだけれど。もしかして、元々どこかのモデルさん? スタイルもいいものね」
「それはたぶん……私の母が、漆原 燈子だからです」
長谷川さんは驚いたように目を見開き、マジマジと私の顔を見つめてくる。
「漆原燈子って……え? あの女優さんの? え? ほんとに?」
「ええ」
「ぁ、ごめんなさい、変な目で見ちゃって……嫌だよね、こんな目で見られるの……」
「いえ、嬉しいです。私も母を尊敬していますから」
その時、微かに長谷川さんの右腕が動いた。その動きはハッキリとした物になり、布団から出てくる。腕は包帯でグルグル巻きにされていた。そしてベッドとベルトで繋がれている。こんな風に拘束する理由は……そんなに無い筈だ。
「あの、本当にただの我儘なんだけど……握手してもらっても……」
「私で良ければ……良かったら、今度母も連れてきますよ」
そっとその手を握る。暖かい手だった。私が外から来たから、冷えてるだけかもしれないが。でもその暖かさは心地いい。彼が恋しいと感じてしまうのも無理は無いだろう。
「……何か悩んでる?」
すると長谷川さんは、私にそう尋ねてきた。
思わず、その手に額を当ててしまう私。まずい、なんで泣きそうなんだ私は。
自分が情けないと思ってしまうのは……母に対しての裏切りだろうか。
「……私、芝居するのが怖いんです……でも、今回のこの話が来た時……正直、ワクワクする自分も居ました。もう一度舞台に立てるかもしれないって……。矛盾してますよね……」
「そんな事無いわ」
きっぱりと、明確にそう答えてくれる長谷川さん。その手で、私の手を抱きしめるように握ってくれる。
「詳しい事情は分からないけど、貴方の気持ち、痛い程分かる。私なんて毎回そう。舞台に立とうとすると、足が震えるの。でもいざ公演が始まると……楽しくて仕方ない。それまで震えてた自分が嘘みたいに」
「……はい」
「なんだか凄い安心した。私の代役の人ってどんな人だろうって……実はちょっと心配だったの。でも貴方なら全然すっごく安心。ぁ、名女優の娘だからってわけじゃないのよ? 貴方だからよ?」
「ありがとうございます……」
「……ちょっと変なやつらが多い劇団だけど……よろしくね。ごめんなさい、ちょっと休ませてもらってもいい?」
「はい、お邪魔しました……」
私は布団の中へと、長谷川さんの手を戻し……もう一度、布団の上からその手を感じ取るように抑える。
「……長谷川さん」
「ん?」
長谷川さんがこんな傷まで負って欲した物。
そして要君が言っていた犠牲が必要だという言葉。
「ほころぶ、春」という物語で、長谷川さんが演じる姉の役は、不治の病で苦しむ妹の状態に絶望していた。
変われるのなら変わってやりたい、常にそう思っていた。
長谷川さんは彼の姉でもある。彼に出来るのだから、きっと長谷川さんも……。
彼は踏みとどまる事が出来た。でも長谷川さんは……
『ここで踏み留めれないのなら、いつか飛ぶ』
轟監督の言葉が思い出される。それを肯定したわけじゃない。そしてそれは私にとって他人事じゃない。あの髭ヅラが私に代役を頼んだ理由。それがもし私が考えている通りならば……それはとても残酷だ。そしてそれをするのなら、私には責任がある。
この先、絶対に役者を続けるという覚悟を持たなければならない。
何故なら、長谷川さんから役者の道を奪うのだから。
「劇団真祖の最後の舞台……ここでも見れるようにします。だから……見届けて下さい。お願いします」
「……ありがとう」
※
紗弥が去った後の病室で、長谷川 唯は窓の外をひたすら眺めている。
彼女と出会うのがもう少し早ければ、こんな状態でなかったかもしれない。それが悔しくて堪らない。
しかしいいのだ、これでいいのだ。
これは、自分への罰なのだから。
「……ごめんね……大地」