第八話
今年の桜は遅い、どこかのニュースでそんな事を言っていた気がする。
実際、大学に入学するとき、まだ桜は咲いていなかった。満開になったのはそれから数週間後の事。どの道、五月になる頃には散ってしまっていたが。
現在は五月中旬。関係ないが私の誕生が近い。ちょうどこの公演開始頃だ。どうでもいいが。
「どうだい、調子は」
劇団真祖に代理の女優として仮入団して三日目。残り日数は少ないが、私の心配毎は杞憂だったと思い知らされる。あの五人はそれぞれが独特な演技をする実力者だった。今まで一つの劇団に居た私にとっては、自分が井の中の蛙だった事を思い知らされる。
だが実力者と言っても、私が居た劇団の団員達に比べれば見劣りする感も否めない。それは身内バフかもしれないが。ちなみにバフとはRPGゲームとかの、瞬間的に能力あげる魔法とかの事だ。
そして今私は台本読みつつ休憩中。五月は何気に暑い。空調は起動している筈だが、汗が止まらない。最初はジャージ姿だった私も、Tシャツに、芽衣子ちゃんから借りた短パン姿。芽衣子ちゃんとは、あの子だ。本を読んでた可愛らしい女の子。可愛らしいとか言っても、私よりも年上だったが。
「君、僕が話しかけてるのに無言なんだね。コミュニケーションって知ってるかい?」
むむ、寝転び男が話しかけて来てた。ちなみに本名は甲斐 要。
「んぁ? あぁ、ごめんごめん。なんか暑くてグルグルしちゃって……」
今更だが私は普段、髪は某シャンプーCMに憧れてストレートで流している。しかし今はポニーテール。とりあえず汗が止まらない。暑い、暑すぎる。
「……そっちの髪型の方が似合うよ。でももっと汗をかいてもらった方が、僕としては色気が出て嬉しかったけど」
「そのセリフ、その辺の女の子に言ったらビンタされるわよ。君、自分がイケメンだって自覚してるでしょ。ちょっと顔が良いからって調子乗ってると痛い目みるわよ」
「君はビンタしないんだね」
「暑くてする気力も無いだけよ……ちょっと、本当に空調きいてるの?」
Tシャツの襟元をパタパタしながら、同時に手を団扇代わりに顔へ風を送り込む。すると私に話しかけてきた男……寝転び男は目を逸らしてスタスタと離れてしまった。
あぁ、暑い。まだ五月だというのに、これで真夏になったらどうなるんだ、溶けてしまう。
ミネラルウォーターに手を伸ばすと、そのペットボトルの中身は空に近い事に気が付いた。いつのまにこんな飲んでしまっていたのか。
「はーい、休憩終了ー、稽古再開するぞー」
団長の声と共に、残った水を飲み干しステージへと。集った五人は皆同じような恰好をしている……いや、嘘だった。ウサミミメイドはいつも通りだ。この男……何故そんな恰好をしていて汗一つかいてないんだ。というかずっとそれで過ごすつもりか?
「じゃあ通しでさっきまでの所やってみようか。芽衣子、いけそうか?」
「……だいじょぶ」
「よし、いってみよう」
題名 ほころぶ、春。このお話はヒロインが自殺する場面から始まる。不治の病に侵された彼女は、すでに余命宣告され、死ぬなら幼き頃過ごした町で死にたいと防波堤から海へ身投げする。
だがそこを主人公の男子高校生に助けられ、彼女の囁かな願いは邪魔されてしまった。そしてそれを邪魔した男子高校生は、他でもない、彼女の幼馴染であり……初恋の相手。
舞台は二月の、まだ冷たい空気が張り詰める港町。男子高校生はレスリング部で、鍛えられた肉体を駆使してヒロインを担ぎ、漁師に投げられた浮き輪に掴まりながら防波堤を登りきる。
この寝転び男……いや、要君は中々に鍛えられた体をしていた。歳は二十一歳。私より二つも年上だったとは。彼はロープを登る動きをしながら、芽衣子ちゃんを本当に担ぎつつ芝居を続ける。担がれた芽衣子ちゃんも要君も暑そうだ。
「……ちょいストップ」
そこで団長の待てが入った。
途端に芽衣子ちゃんは要君から離れ、私の影に隠れるように。
ちょ、暑いよぉ、あんまりくっつかないでぇ……。
「……紗弥ちゃん、非常に言いにくいんだけど……」
ん? 私? まだ何も演技してないぞ。
「……ポニーテールにTシャツ短パン姿は眩しすぎて……オジサン直視出来ない……」
何言ってんだコイツ。
「仕方ないでしょ。暑いんだから。って言うか本当に空調効いてる? 音はするけど……」
「うーん、ぶち壊れてるかなぁ」
マテコラ、分かってるならなんとかしなさい!
「まあ、しかし確かに暑いね。冬の物語なのに……これじゃあ稽古にならないか。しかし公演まであと四日しかないし……」
私に言わせれば、あと四日しかないのに、こんな序盤を流してる時点で……。
いや、弱音を吐いてる場合じゃない。暑いなら涼しくすればいいだけの話。
「皆、こんな時こそ心頭滅却よ。集中すれば暑さなんて吹き飛ぶわ」
「一番露出の多い君に言われても」
要君の容赦ないツッコミが。仕方ないでしょ、私より小柄な芽衣子先輩の短パンなんだから。
ちなみに芽衣子先輩は、自分よりも身長高いのに何故ウェスト入るんだ……と軽くショックを受けている。私はただ母親に似て太れないだけだ。
「……あはは、紗弥たん、長谷川さんみたい」
その時、芽衣子先輩は聞き慣れぬ苗字を。いや、長谷川事態は結構聞く苗字だ。今この場で……という意味だ。あぁ、頭が回らん……こんな解説、本来ならば不要な筈。
「芽衣子ちゃん、長谷川さんって?」
「元々、紗弥ちゃんの役やってた人」
あぁ、成程。長谷川さんって言うのか。転んで怪我しちゃったって人は。
「……芽衣子」
その時、要君が芽衣子先輩に……まるでそれ以上喋るなと言いたげに視線を送る。
芽衣子先輩もハッとした表情になり、自身の口を塞ぐ。
……なんだ?
「気にしないで。稽古を続けよう。君の言う通りだ、集中すればどうってこと無い」
要君の落ち着いた指示で稽古を再開する。
でも小さな疑問が……私の中でだんだんと膨らんでいった。
※
今日の稽古を終え、帰り際に団長へと長谷川さんの事について尋ねてみた。
結果は予想通り、なんか適当に流された。これは……何かある。
芽衣子先輩を問い詰めれば口を割るだろう。だからと言って……それで機嫌を損ねて稽古に支障をきたしては困る。私が気にしなければ済む問題だが……うーん。
「何してるの」
「ぁ、要君」
むむ、要君の私服姿初めて見た。中々普通にファッショナブルじゃないか。ちなみに要君も大学生。結構モテてそう。
「……長谷川さんの事についてだけど」
「気になる?」
「まあ、それなりに……」
「君と同じ、メソッド演技を得意としてたんだ」
……ほぅ?
でも要君は違うよな。どちらかと言えばスタニスラフスキーだ。
「少し歩きながら話そうか」
いいつつ、歩き出す要君。劇場付近は人はまばらで、新宿とは思えない程静かだ。空は茜色で、ちょっと雰囲気もある。
「僕は君達が羨ましいよ。君も言ってたね、潜る……って」
「まあ、感覚的な言葉で申し訳ないけど……」
「僕にはその感覚が分からない。感情のコントロールも、何をどうすればいいのか、もう沁みついてるから」
それはそれで才能なんだよな。最初に私が感じたのはそこだ。潜っているわけでも無いのに、要君は芝居する事が出来る。それこそ自由自在に、スイッチを切り替えるかのように。まるで日常生活の中で気分が変わる、そんな風に。
「今、少し羨ましいと思ったでしょ」
「まあ、少し……」
「こんな言葉がある。短所になりえぬ長所も無く、長所になりえぬ短所も無い。君が欠点だと思っている事は、他の人間にとって長所だと思えてしまう事もある」
……まあ、今の私がちょっとそうだしな。要君のそれが欠点だとは思ってないけど。まさに要君はそれが言いたいんだろう。要君自身、潜れない事は自身の欠点だと感じている。
「ある小さな女の子が、車椅子の女性に向かってこう話しかけた。いつでも座れる事が出来て羨ましいって」
「まあ、それは子供だから……」
「そう、子供だから許される言葉だ。車椅子の女性も、笑顔でこう返した。私は自由に走り回れる貴方が羨ましいって。女の子は首を傾げた。そんなの女の子にとっては、当たり前だからさ。自分にとって当たり前の事が、他人にとってはそうではない。お互いにね」
子供だから許される言葉。微笑ましいと感じる事が出来るのは、私がそうでないからだろう。
「盲目の小説家にしか書けない話がある。耳が聞こえないピアニストにしか表現できない音がある。手が使えない画家にしか、描けない物がある。それは五体満足の僕らが、どう足掻いても手に入らない物だ。不謹慎だと思うかもしれないけれど」
「まあ、そうね……」
「でもそれは、僕らにとって、喉から手が出る程欲している物だ。何かを犠牲にして手に入るのなら……」
なんだ、なんか……危ない話になってないか?
しかも脱線してる気もする。一体何の話をしてるんだ。
「君は、その犠牲が自分には必要だと思えたなら、どうする?」
「ちょっと待って、話が見えないんだけど」
昼間とはうって変わって、冷たい風が私達の間をすり抜けていく。
まるで今の私の心境を表現するように。
そして要君は立ち止まり、私へと視線を移し……なんというか、悲し気な表情をしながら
「長谷川は……それを実行したんだ」