第六話
私、漆原 紗弥は大学に入り立てホヤホヤのヒヨコちゃんである。
入学した大学は国立第一白熊大学。主に芸術学部の大学だが、慣れない大学生活で毎日私は疲弊していた。今日も過酷なサークル勧誘の蟻地獄から、やっとの思いで抜け出してきた所である。危うく麻雀研究会なるサークルの書類にサインするところだった。麻雀なんて漫画でしか読んだ事ないのに。血液賭ける奴。
そんな可愛いヒヨコの私だが、今ちょっとした悩みを抱えている。
あのドラマ撮影以来、轟君から連日のように電話がかかってくるのだ。しかもその内容はどれも中身の無い……今日はどこどこでご飯食べたとか、どこどこの猫が可愛かったとか、どこどこが大雨だったとか。
ドコドコ五月蠅いぞ、私の鳩尾を連打してるのか、もう止めてたもれ!
『それで、そのオジサンが言うには、海を泳ぐパンダが居たらしいんですけど……どう思います?』
「あぁ……それはたぶん……近年発見されたマリンパンダって奴だよ……新種らしいからまだ世の中には知れ渡ってないけど……」
『そうなんですね!』
なんだ、マリンパンダって。そんな奇怪な生物が居る筈も無いが、轟少年は感心したかのように信じてしまう。いや、私に合わせてるだけだよな? 信じてないよな?
そして私は自宅の自室、その机で明日までに仕上げなければならないレポートが白紙の状態で広がっている。正確には既に零時を回っているので、締め切りは本日なのだが。
『あの、紗弥さん……眠いですか? 声に覇気が無いというか……』
「あぁ、ごめん……そんな事ないよ、ちょっと大学がまだ慣れて無くて……」
『そうなんですね、僕も高校、まだ少ししか行けてないですけど……いざ通学したらボッチになりそうで怖いですね……』
ドラマに出たアイドルがボッチになるわけないだろ、むしろピラニアの如く群がってくるわ。それはそれでキツいかもしれないが。
「轟君なら大丈夫だよ。っていうか、明日も朝早いんでしょ? そろそろ寝なさい、体調管理も仕事の内なんだから」
『わかりました、じゃあ……おやすみなさい』
「はい、おやすみ」
はぁぁぁぁぁぁぁ……やっと眠ってくれた。
私は何故、アイドルを寝かしつけるような事をしてるんだ。連絡先なんて教えるんじゃなかった。
しかし轟君がこうなる理由を知ってるだけに、断りずらい。彼は三年前、お姉さんに……言い方は悪いが捨てられたのだ。ある日突然、一枚の置手紙を残し姿を消した姉。ちょうど私と同い年くらいだと言う。
三年前……轟君が中学に入学するかしないか、お姉さんは高校に入学するかしないかだ。そんな歳で弟の世話をしながら学校生活なんて無理があるだろう。可愛い弟を捨てるなんて! とは簡単には言えない。私はぬくぬくと母親の元で何不自由ない生活を送っていたのだから、お姉さんの苦労なんて分かる筈も無い。
だからといって……私がお姉さんの代わりをいつまでもしてやる事も出来ない。
「……お姉さん、か。そういえば焼肉で小森っちが……」
『ここだけの話……監督はお姉さんの手がかり掴んでるって噂っすよ。轟君本人には秘密らしいッスけど』
監督がお姉さんの事を轟君に教えない理由は……まあ、なんとなく分かる。轟君にとっても、そしてお姉さんにとっても、互いを対面させるには段取りも必要になってくる。
しかし……しかし! 私の大学生活、このままでは轟君の電話相手で居眠り生活になってしまう! せめて、電話相手は実のお姉さんとしてほしい……対面までには至らなくとも……と考えるのは私の我儘だろうか。
「監督……そういえば、あのオッサンの連絡先もノリで聞いたな……意外にも教えてくれたし……」
超深夜だが構うまい。こんな可愛い女子大生からの電話、ありがたく受けられよ、監督。
連絡先から「髭ヅラ」を選んでコール。するとスマホを弄っていたのか、速攻で出てくれた。
『はい、轟ですが』
ん? 轟? あぁ、そうか、この人が轟少年を養子にしたんだから、苗字は同じなのか。
「もしもし、漆原ですけど……今いいっスか?」
『どうした、猫なら飼わんぞ。柴犬なら考えてやってもいい』
「私は猫派ですが……っていうかそんな事じゃなくて、大地君の事についてなんですけど……」
私は監督に、連日轟少年から近況報告の電話を受ける係になって寝不足だから、なんとかしておくれと打診する。すると監督は「あー」とか言いながら
『察してるとは思うが……あいつには姉が居てな。ちょうどお前と同じくらいの歳だ。恋しくて仕方ないんだろ』
ッチ……こんなオッサンにお前呼ばわりされた。今度あったら鼻の穴にワサビ投入してやろう。
「それはなんとなく……。なんとか電話相手だけでもお姉さんにしてもらいたいんですけど……監督、お姉さんの行方について分かってる事あるんでしょ?」
『というか、既に見つけ出してるよ。連絡先も知ってる』
ああん?! だったら轟君に連絡先教えてあげて! そして私に安眠生活を!
「なんで大地君に教えてあげないんですか」
『……分かるだろ。あっちは大地を置いて消えたんだ。大地が良くても……』
まあ、そうなるわな……。しかし私はどうするんだ、このままでは轟少年の事、着信拒否しそうで怖い!
『しかしまあ……そうだな、一つおつかいを頼まれてくれるなら……なんとかしてやる』
「おつかい? 夕飯の献立教えてくれたら材料買ってきますけど……なんなら作りますけど」
『そうじゃねえよ。知り合いの劇団の女優が怪我して舞台に立てなくなってな。代役を探してるんだ』
…………
「ごめん、無理。お母さんに叱られたくない」
『親離れって知ってるか? お前の事情はそこそこ承知してるつもりだ、その上で頼みたい。お前なら問題ないだろ』
「お前お前って……私には紗弥っていう名前が……」
『なら紗弥、安眠は俺がなんとかしてやる。もう一度、舞台に立ってくれ』
……無理だ。
そんな事、易々と承諾出来ない。あんな母親の顔、もう一度見るなんて絶対無理だ。
「……夜分遅くに失礼しました。この電話は無かった事にして下さい」
『分かった。一応、詳細をメールで送っとく。やる気になったら、その場所に行ってくれ』
そのまま通話は切れた。数分後、監督からメールが。
私はもう舞台には立たない。母親を泣かせるなんてもう……まっぴらだ。でも……何故か指はメールの本分をタップしてしまう。
「……劇団真祖? 確か結構有名な所じゃ……」
場所は……新宿の劇場。結構昔からある歴史ある劇団の筈。
そんな所だったら女優の代役くらい、いくらでも……。
いや、私には関係ない。
お母さんに叱られるくらいなら、轟少年の寝かしつけてた方がマシだ。
母親を泣かせてまで……続ける事じゃないと、私は……
※
次の週の日曜日。何故か私は新宿の劇場にいる。
何故だ、何故ここに来てしまったんだ。
劇場への入り口は今閉まっていた。メールには裏口から入るように書いてある。
私は裏へと回り、黒猫とすれ違いながら、そこにあるドアノブへと手を伸ばす。
これを回して開けてしまったら……もしかしたら親子の縁を切られるかもしれない。
いや、バレなければいい……いやいや、バレるに決まってる。あの母の事だ、この劇団にだって知り会いの一人や二人、いるかもしれない。チクられたらそれまでだ。でも……でも……
そうだ、私は安眠のため……貴重な大学生活を守る為に……ええい、ままよ!
その扉を開け放ち、最初に見た光景、それは
「……ん? どちら様?」
何故かウサミミメイド服姿の男がそこにいた。
……さて、帰るか。