第四話
あれから轟君が潜り過ぎる事は目に見えて減っていった。兄弟子に制御されている感は否めない。轟君もそれは分かっているだろう。そして頼り切りでは駄目だとも分かっているようで、度々苛立っている。
彼は本当に高校生か? たまにそんな風に思えてしまう事が、妙に怖かった。
もっと頼ってもいいのに。もっと我儘言ってもいいのに。一人で悩み続ける事が一番危険だと言う事を、誰しも知りながら理解していない。
そしてドラマの撮影が始まり、カメラが回り始めると轟君は恐ろしく没入していく。それは誰の目から見ても明らかな……そう、違和感の塊。周りの人間すら、現実から引き離していく。兄弟子も危うく飲み込まれそうになる事が多々あった。
そしてクライマックスで、それは起こった。
※
もはや私は完全な部外者なのに、兄弟子の妹的なポジションで撮影を見守る事を許されていた。今では新人ディレクターの小森さんとはマブダチだ。
「紗弥さーん、ちょっといいッスか? コーヒーの買い出し手伝って欲しいんですけど……」
「え、それって小森っちの仕事? 轟君にやらせればいいじゃん、一番若いんだし」
「アハハ、アイドルにそんな事やらせたら、私もう生きていけないッスよー。この辺りコンビニ無くて自販機で買うしか無いから……お願いッス」
了解、と小森っちと買い出しへと赴く私。勿論徒歩で。
今私達が来ているのは、クライマックスの舞台である廃屋。最終的に親友を殺してしまった少年は、ここに逃げ込んで、そこで逮捕されるというシーン。何度か自殺するシーンも盛り込んであり、私も兄弟子も生きた心地がしなかった。それは周りのスタッフも同じようで、いつでも演技を止めれるように構えているゴツイ大道具のお兄さんが居るのは、妙に頼もしかった。
この廃屋はちょっとした山中にあり、周りにコンビニなど何処にも無い。あるのは道端、ちょっとした休憩所にある自販機のみ。しかしたこ焼きとか、お好み焼きとか、ポテトフライとかの自販機があり、私はちょっと胸を躍らせた。
「いやー、それにしても轟君は……なんていうか、凄いっスね。初めての主演ドラマとは思えないッスよ」
「やっぱり……小森っちもそう思うんだ」
「そりゃもう。やっぱり育ってきた環境ゆえですかねぇ……」
ん? 育ってきた環境?
私は自販機に小銭を投入しつつ、コーヒーを連打。
「ねえ、小森っち、育ってきた環境って……どういう事?」
「あれ? 知らなかったッスか? 轟君、小さい頃にご両親を事故で亡くされて……唯一の身内だったお姉さんも行方不明になっちゃって……」
……なんだそれ。
そんなの初めて聞いたぞ。ちょっと待て、そんな彼が今から望む撮影は……ヒロインと一緒に心中しようとして、そこに兄弟子が駆けつけて止めるシーン。
「小森っち……心中って……どうやるんだっけ……」
「え? あぁ、崖から飛び降りる奴っすよ。まあ実際には飛び降りないけど。今時のドラマにしては古典的っていうか……サスペンス劇場みたいな感じ……」
「小森っちごめん! 後任せた!」
「エ!?」
嫌な予感がした。
彼は成長している。自分でも制御が出来るようにもなってきた。でも不安定なのは変わらない。
崖から飛び降りなくても、そこには立つ。なんだかそれが無性に……
私は急ぎ廃屋へと戻り、轟君の姿を確認。今はヒロイン役の子と仲良く談笑していた。
「どうしました? そんなに息を切らして」
すると急いで戻ってきた私へと話しかけてくる兄弟子。私は自分の懸念が不安すぎて、つい兄弟子へと愚痴るように話してしまった。轟君が、本当に飛び降りてしまうのではないかと。
「大丈夫ですよ。万が一のためにハーネスは付けてますし」
「別のシーンに変更なんて……きかないですよね、今更……」
「無理ですね。ここまで既に人も機材もお金も動いているんですから」
クライマックスに相応しい、頼もしい機材達。クレーンの先端にカメラとか、見た事ないくらい大きなライト。それに今までにはない規模の撮影スタッフ。今さらどうにもならない。
「紗弥さん。ライオンは自ら子供を崖から落すと言います」
「シャレになってませんよ。っていうか轟君……ご両親を幼いころに亡くなってるって……宗吾さん知ってたんですか?」
「ええ」
クイっと眼鏡を直しながら、軽く返答する兄弟子。
そんな兄弟子の襟の辺りを誰にも気づかれないように握ってしまった私を、誰が責められようか。
握る手が震えている。明確な怒りで。
「なんで……止めないんですか……」
兄弟子は私の震える手を振りほどきもせず、ただ立ちながら
「貴方が彼なら、辞めれますか? お母様に説得されながら何年、舞台の上に立ち続けたんですか。危険だと自分でも理解していたのに、何故世界で一人取り残された少女の役を快諾したんです?」
「それは……っ」
「それが答えです。彼にも彼なりの意地がある。貴方は彼の姉でも妹でも、ましてや母親でもない。止める事が出来る人間は、この中でただ一人。監督だけです」
私は兄弟子の襟から手を放して、そっと乱れを直す。
「紗弥さん、あの監督は……轟君を施設から引き取った方らしいですよ」
「……は? じゃあ……元々、このドラマに出すつもりでアイドルに……芸能界に入れたってことですか?」
「それは考えすぎかもしれませんが……轟君にとって、このドラマはその恩返しになると……考えているのではないでしょうか。そう考えれば、彼の必死さにも納得がいきます」
恩返し……。真面目な轟君なら、間違いなくそう考えるだろう。
喫茶店での会話が思い出される。あの時、轟君の目には、確かに火が宿っていた。覚悟とか決意とか、そんなんじゃない。本当に火が宿っていたんだ。
彼はもう、止まらない。止める事なんて出来ない。
「さて……紗弥さんがここに居ると言う事は、小森さんは一人でコーヒーの運搬をしているという事ですか。私が手伝ってきますから、紗弥さんはここに居て下さい。轟君に頼られたら答えてあげて下さいね」
兄弟子は私の元を去り、足音が遠ざかっていく。
周りはとても賑やかなのに、一人取り残された気分になってくる。
両親を亡くした轟君、行方不明になった姉、施設に入り、監督に引き取られたとしても彼の孤独は変わらないだろう。
いけない、なんで私が取り乱してるんだ。
彼に切っ掛けを与えてしまったのは私だ。私がこの目に焼き付けなければ。
※
日が暮れ、巨大なライトで簡易的な舞台が指定される。それは崖の上。
多くのスタッフが見守る中、撮影は開始される。
「僕が……殺したんだ」
相変わらず背筋を凍らせる演技だ。今が比較的暖かい季節で良かった。冬だったら凍死してしまう。
「あの辞書で、頭を殴ったんだ……あれで死ぬなんて思わなかったんだ」
波の音が妙に大きく聞こえる。しかし轟君の声は、静かに波に乗って、浸透するように私達へと届いてくる。
殺人を犯してしまった少年。罪から逃れようとするも、罪悪感で潰れていく。それでも恋をして、ヒロインとひと時の幸せを享受する。でもその幸福は、さらに彼を追い詰めていく。
轟少年は目に見えて深く入り込んでいた。
ヒロイン役の子は、真相を話され怯えるシーンだが……心底本当に怯えているかもしれない。
「……死ぬなんて……思わなかったんだ……」
……台本には無い台詞だ。泣きながらアドリブ?
不味い、今すぐに止めるべきだ。でも監督は動かない。カメラは回っているが、とりあえず流しで最後まで演じさせている。
今すぐに兄弟子を投入すべき。しかしまだ兄弟子の出番では無い。
「君の事……好きだよ。今でも、大好きだよ」
しかしそこで、ヒロイン役の子もアドリブを入れてきた。
一瞬、轟少年が我に返る。
「……ありがとう」
二人は手を繋ぎ、唇を合わせる。
そして呟くのだ。轟少年は、あの台詞を。
「……バイバイ」
崖から飛び降りようと、手を放そうとする轟少年。
しかしヒロインは離さない。必死に振りほどかれまいと、抵抗している。
「駄目……駄目ぇ!」
「……ごめんね」
……?
あれ? そういえば……ハーネスは?
ヒロイン役の子にはちゃんとついてるが……轟少年のハーネスは?
「……またね」
「誰か、誰か止めてぇ!」
ヒロインの叫び声が、夜の海にこだまする。
その叫びは台本には無い。
彼女の、本当の叫び。