第三十九話
本気になった人間を舐めてはいけない。
そんな事は誰でも知っている。しかし本気になった人間はそんなに居ない。
「いいところだね、ここが紗弥ちゃんの劇団の拠点になるわけだ」
受験や就職に本気に臨める人間は稀だ。気持ち的には本気かもしれないが、緊張でガチガチになった状態はベストと言えないだろう。
この世界に緊張しない人間など居ない……と思う。気持ちの上で本気なら、それは本気だと言う人もいるだろう。だが私の思う本気は違う。
「それで紗弥ちゃん、返事聞かせて貰っていい?」
本気とは真正面から向き合い、持てる全てを出しつくす事。
それが出来る人間は限られている。ほとんどの人間は、そのやり方を知らないのだ。
そして私も、知らない側の一人。目の前に居る早乙女凜と、私はどう向き合えばいいのか。誰か教えてくれ。
※
遡る事一昨日前。私は早乙女凜こと、凜ちゃんから劇団に入れて欲しいとの連絡を受け取った。その時は素直にびっくりしつつ、即戦力が入ってきてくれる! と歓喜したが……よくよく考えてみると不味い。何故なら彼女の知名度は高すぎる。
「誰からの電話? 彼氏?」
例のホテルで要君を劇団に入団させることに成功した私。そして凜ちゃんからの連絡を受け、半分放心状態。一端返事を保留し、また後日連絡すると通話を切りつつ、私は要君に相談する事に。
「要君……早乙女凜って知ってる?」
「俺ってそんなに世間知らずに見える? テレビつければ出てくるような有名人知らないわけないよ」
だよな。
「その早乙女凜が……劇団に入りたいとの事なんですが……」
要君はあからさまに怪訝な顔付きに。んなアホなとか言いそうな顔だ。
「んなアホな……どういう接点?」
「接点と言われたら……一度中華料理屋に一緒に行ったくらい……」
「凄いじゃん。君はそんな有名人と知り合いだったんだね」
知り合いという程でも無いんだけど! あっちはなんか私の事を気に入ってくれてる……のか? よく分からんけど、何故ここにきて私が作ろうとしてる劇団へ入りたいとか言い出すのか。
「どう思う? 入れてもいいと思う?」
「……戦力にはなるでしょ。どういう劇団作りたいかによるけど」
そこなんだよな。確かに起爆剤の存在は必要不可欠だ。アス重工との契約で結果が出せなければ解散もありうると書類にちゃんと書いてあった。しかし担当の方の話によると、そうそう即解散とはならない。アス重工もこのプロジェクトに期待してるからとかなんとか。
早乙女凜、それは確かに起爆剤になるだろう。だが威力が高すぎる。彼女の名前を出せば、全国から客が呼び寄せられるに違いない。しかしそこで出来立てホヤホヤの劇団が、どこまで客の期待に寄せる事が出来るのか。
凜ちゃんは舞台役者じゃない。テレビの俳優だ。客の方も舞台を見た事がある人間など、そこそこ居たらいいくらいだろう。舞台慣れしていない客は、イメージと違うと失望感を憶えるかもしれない。そして今の時代、それはSNSであっという間に拡散される。彼女が居るだけで、期待値が爆発的に上がってしまう。
「……無理だわ。正直そこまでいきなり上手く出来る気がしない……」
「なら、ちゃんとお断りしないと」
そうなんだけども! なんか意味深な事言ってたし……仕事が無いとかなんとか。そんな事あるか? つい最近までドラマの主演やCMに引っ張りダコだったんだぞ。そんないきなり仕事が無くなる何てこと……
「あ、そういえばこういう所のテレビって卑猥な映像流れるって本当なのかな」
「ってー! 自然と付けるな! ほんとに流れたらどうする……」
しかしテレビに流れたのはただのニュース。だがそのテロップに私も要君も言葉を失った。
『では次のニュースです。女優の早乙女凜さんが、覚醒剤取り締まり法違反の容疑で取り調べを受けている事が、警察関係者への取材で……』
……は?
「ちょっと、なにこれ」
「…………」
ニュースでは凜ちゃんが覚醒剤使用の疑いがあるとか何とか報道している。そんな……馬鹿な。私は思わず再び凜ちゃんへと電話をかけてしまう。しかし話し中のようで繋がらない。
「ちょ、要君! 調べて!」
「何を」
「このニュースよ! 詳しく調べて!」
要君はスマホで検索。私は何度も電話をかけ直すが、やっぱりつながらない。
『現在、早乙女凜容疑者は黙秘を続けており……』
容疑者……? そんな馬鹿な。覚醒剤……? 凜ちゃんが?
「どうやら逮捕された売人が言ったらしいよ。早乙女凜にも売ったって。ネットニュースに書いてある」
「売人が言ってるだけ? 凜ちゃんはやってないよね?」
「それは分からないけど……本人に聞くしか……」
その時、私の携帯に凜ちゃんから電話が。一瞬で応答し、私は早口で凜ちゃんへと事の真相を尋ねた。滅茶苦茶率直に、覚醒剤をやったのか……と。
『あ、ニュース見たんだ。うん、やってないよ。安心して』
「……凜ちゃん、本当に? 本当にやってない?」
『なーに、信じてくれないの? うわーん、紗弥ちゃんヒドぃぃ』
「凜ちゃん! 真面目に答えて! 私は何度でも聞くわよ! 本当にやってないのよね?!」
『……やってないよ。何度でも聞いて』
「……分かった。信じるけど……会える? 近い内に……」
『うん。証拠が何も無いからね、監視はされてるかもしれないけど、二人で会えるよ』
※
そんな感じで今現在、私は早乙女凜と、我が劇団の拠点となる中劇場へとやってきていた。
もしかしたら警察が監視しているかもしれない、という凜ちゃんの心配を少しでも解消すべく、確実に二人きりになれる場所を選んだが……本当に良かったのか? 余計に凜ちゃんが疑われるだけなのでは……。
「それで、紗弥ちゃん、返事聞かせてくれる?」
「……返事は……ごめん、凜ちゃんは……受け入れられないよ。覚醒剤云々は関係なしに」
「私の実力不足ってこと?」
「逆だよ。凜ちゃんを最大限生かせる自信が無いってだけ。凜ちゃんだって、疑いが晴れれば仕事戻ってくるでしょ? それなら……」
「無理無理。もうアス重工にも切られたし、映画の話も無くなったし」
映画って……凜ちゃん、映画の話もあったのか。
「私の代わりは今回のオーディションで選ばれた子がしてくれるよ。それで問題無しって私の契約主が判断して私を切ったんだから」
「知ってると思うけど、私の契約主もアス重工なんだよ? 凜ちゃんを入れるって言って……許可してくれるとは思えないけど……」
「……そっか、そうだよね。ごめんね、無理言って」
そのまま凜ちゃんは立ち去ろうとする。彼女が私の横を通った時、微かに違和感を感じた。一瞬、彼女が彼女ではないかのような、そんな違和感。
だからかは分からないが、私は咄嗟に凜ちゃんの手を掴んでいた。
「……何?」
「凜ちゃん、悔しい……?」
いつでも笑顔のフィルターをかけているかのような彼女の顔が曇る。何を当たり前の事を聞いているんだ、と言いたげに。
「……悔しくないとでも思ってるの……いつも無心でヘラヘラしてるわけじゃないんだよ」
凜ちゃんは疑いをかけられただけ。別に逮捕も書類送検もされていない。しかしそれでも仕事を全て失った。凜ちゃんの衝撃的なニュースはSNSを駆け巡り、この国の人間ならば皆知っている状態。
一度疑いをかけられれば、永遠にそれは払拭されない。そのイメージはいつまでも残り続ける。完全なデマだったとしても、実は本当なのでは……と面白おかしく騒ぐ人間は必ず居る。
この時点で彼女は完全に、この世界で道を絶たれてしまったのだ。唯一残された道は……
「凜ちゃん……本名は?」
「……早乙女里美」
「里美ちゃん、別人になり切れる?」
「……? 紗弥ちゃん?」
別に同情したわけじゃない……と言えば嘘になる。
でも私は知っている筈だ。この世界を降りる、それがどんな喪失感を産むかを。
私は一度は自分の意志で降りた。でも何故かまだここに居る。しかし凜ちゃん……いや、里美ちゃんは……強制的に奪われてしまった。
「髪、伸ばして。メイクも変えよう。人間は七割の情報を視覚から取り入れてるのよ。見た目変えれば騙せるわ」
「騙せるって……騙してどうするの?」
「決まってるじゃない。どん底から這い上がった人間っていうのは……皆、大好物なんだから」




