第三十五話
控室で最終オーディションの準備が終わるのを待っていてくれ、そう言い残して私に劇団立ち上げの話を持ってきたアス重工の社員は帰っていった。
どうやら最後のオーディションでは、それぞれに台本が渡され、その通りに演じるという物らしい。私に渡された台本は、恐らくあの髭ヅラの嫌がらせだろう。世界にたった一人残された物語。私があの劇団で最後に演じた舞台だ。
「どっちが悪趣味だ……」
確かにあのお姉さんも悪趣味だった。だが髭ヅラも大概だ。何故よりによってこの台本を持ってくるのか。私がどんな思いで舞台を降りる事を決意して、今ここに居るのか。
「……どんな思い……」
……自分で言ってて分からなくなってきた。
私は今何故ここに居る? にゃん子の中華料理屋を救う為というのは勿論ある。というかそれが目的で私はオーディションを受ける決意をしたのだ。
ならその前、劇団真祖の舞台で唯さんの代理を引き受けた時は?
髭ヅラから一方的に言われただけの物。あのまま無視する事も出来た。というか無視するべきだった筈だ。あの時の私の状況を考えれば。
でも……楽しかったな。
台本をめくる。そこには見慣れた物語が綴られていた。ある日突然、たった一人になってしまった少女。世界にたった一人取り残され、人間はおろか動物も居ない。父親から残された手紙を手にしながら、自分の住んでいた街並みを歩いて誰か居ないか探そうとする。
しかし誰も見つからない。次第にこれは夢だと思い始め、一人でしか出来ない事をしようと冒険し始める。スーパーに行って食べ物を調達し、裏山に行ってたった一人でそれを食べる。昆虫すらも消えた世界でただ一人、少女はひたすら自分は一人だと言う事を思い知らされる。そしてこれは現実だと思い知り、涙が止まらなくなる。
思い出を振り返りながら、少女は世界が終わるまで生き続けた。ただ一人の、世界の終焉の目撃者。世界が終わると同時に少女も旅立ち、気づけば光の中にたたずんでいた少女。そこで彼女は思い出した。自分が自殺してしまった事を。自分の部屋で首を吊った事を。冒頭の父親の手紙は、そんな少女への想いを綴った物。優しい言葉だけの、悲しい手紙。
「……そういえば、あの時はちゃんと潜れなかったな……」
最後の舞台では中途半端だった。このオーディションで……いや、それで戻ってこれなかったらどうするんだ。というか、今……私はちゃんと戻っているのか? 今ここは現実か?
『情緒不安定だねぇ』
「むむ、椿ちゃん。確認なんだけど、私って正常?」
『私に聞かれても。まあ、私みたいのが同居してる時点で正常ではないんじゃない? それにそれってそんなに異常な事?』
ふむ。というと?
『人間誰しも同じ世界にいるとは限らないじゃない。みんながみんな、見てる世界が違うんだから。私達はそれぞれの日の元で生きてるんだから』
「意味深な事言わないでよ、そういう事じゃなくて……」
『自分の頭を疑いだしても何も変わらないよ。紗弥にとって、そこが紗弥の世界なんだから』
いかん……なんか不安になってきた。
ちょっと気分転換にジュースでも買ってくるか……たしかすぐそこに自販機があった筈だ。
※
自販機でコーラを買い、三口くらい一気飲み。
『それ一気飲みって言うの?』
「うるさいうるさい、炭酸を三口以上飲むと私は吐く」
「おや、おもったより緊張してないんですね」
その時、聞き覚えのある声がした。声の主は……やはりというか宗吾さんだ。
「宗吾さん……どうしてここに……」
「いえいえ、単純に応援しにきたんですよ。私に黙ってオーディション受けてるなんて……寂しいじゃないですか。座長にはちゃんと報告しておいて……」
いや、するつもりは無かったんだけど……なんかたまたま会ったから。
宗吾はいつもと同じだ。その雰囲気も、佇むオーラも、いつもの宗吾さんだ。
一応、ここが現実だと自信は持つことはできる。そうだ、ここは現実だ、迷うな、私は潜って戻り切れてないわけじゃない。
「それで……最終選考まで残った私にエールを送りに来てくれたんですね、宗吾さん」
「可愛い妹弟子ですから。それでどうですか、手ごたえは」
「……うーん……」
私は宗吾さんと控室に戻り、先程アス重工の社員にされた話をそのまま宗吾さんにも伝えた。劇団の立ち上げをやってみないかというお誘い。
「……というわけなんですけど」
「…………」
むむ、なんか宗吾さんボーっとしてる。コーラかけてやろうか。
「……それで、紗弥さんはどうするつもりで?」
「まあ、オーディション落ちたら……やってみようかと思ってますよ。なんか面白そうだし」
「話だけ聞いていると、既にその方は紗弥さんに唾を付けているのでは? オーディションの結果にも何らかの……」
「……たぶん関係ないよ。こんな台本渡してくるくらいなんだから」
私は兄弟子へと、先程まで読んでいた台本を手渡した。それを見て兄弟子は目の色を変える。
「……本気ですか?」
「勿論」
コーラを再び一口飲みながら答える私に、兄弟子は無言のプレッシャー……というより怒ってる? 私じゃないぞ! その台本はたぶん髭ヅラの陰謀で……!
「紗弥さん、どこまでやるんですか?」
「わかんない。何分間芝居しろとか聞いてないし……」
兄弟子は不安そうだ。そりゃそうだ。元々、私が芝居する事すら反対してた勢なんだから。それで最後の舞台となったこの演目をやれと言われたら……そりゃ止める。いつか轟監督が言っていた。私は一人である事を再認識するために、この芝居をやったのだと。その言葉を私は否定する事が出来なかった。心のどこかでそう思っていたから。
でも今はちょっと違う。私には、一緒に芝居したいと思える人間が居る。兄弟子も……その中の一人だ。大好きな兄弟子だけど、恋してる兄弟子だけど、その中の一人でしかない。だから私は……
「ねえ、宗吾さん……」
「……はい?」
「もし、オーディションに受かっても、私、劇団立ち上げしたいって言ったら……手伝ってくれる?」
「そ、それは……まあ……」
若干現実味を感じない話。オーディションに受かればアス重工という大企業が後ろ盾に付くんだ。嫌でも仕事は降ってくる。それこそバケツをひっくり返した雨のように。その中で劇団立ち上げなんて、出来る筈もない。
でも、それでも私は……一緒に芝居したい。その中の一人である宗吾さんと一緒に……
「宗吾さん、私がオーディション受かったら……結婚してください」
「……ま、まあそれは……って、ええぇぇ!?」
※
この世界でたった一人の少女は、自殺を決行した彼女に対してのおしおき的な物語。自殺して両親を、周りを悲しませてしまった。だから神様は少女を一人ぼっちにして、残された側の気持ちを嫌という程に刻み込んだ。
私がこの話をよんで最初に思った事は、なんて理不尽な神様だ、だった。
少女が自殺するまでに至った経緯は語られていないが、そこまで追い詰めたのは神様のシナリオが悪かったからだろう。罰を与えるくらいなんだ、この世界には明確に神が存在し、私達を運命という名の舞台の上で眺めている。そして脚本を書いているのは神様だ。
少女が自殺するように仕向けたのも神様。そして罰を与えたのも神様。
一体何がしたいんだ。フザけてるのか? 正座しろ、説教してやる。
「朝目覚めると、異変に気が付いた。耳が痛い程に何も聞こえない。近所の犬の鳴き声、小鳥のさえずり、お母さんが朝食を作っている音、お父さんが歯を磨いている音、何も聞こえない。なんでこんなに家が真っ暗なの? 何度も両親の名を呼んでも返事はない。外も静まり返っている」
でもこの物語は私にピッタリだと思ってしまった。
少女は一人、終わる世界で過ごす物語。本当にたった一人。その世界には昆虫も動物も人間も何も居ない。最初は木や花はあったが、すぐに枯れてしまう。そして少しずつ世界は崩壊していく。
まるで私みたいじゃないか、この世界は。
そしてそれを見届ける少女こそ……
「リビングの、机の上に父の手紙を見つけた。そこには……娘である私への想いを綴った物。どうして? なんでこんな手紙を書くの……?」
「お父さん! どこにいるの?」
「お母さん! 出てきて! 私はここだよ!」
「お願い……誰か、誰か返事して!」
「なんで誰も答えてくれないの……私は……なんで一人なの?」
少しずつ……崩壊していく世界。
それが気持ちよくて仕方ない。




