第三十話
オーディション前日、私は懐かしい場所へと赴いていた。私が元々居た劇団のホームだ。朝早いから誰も居ないが、元々それを狙ってきたので問題ない。
真っ暗な劇場。舞台の上には誰も居ない。昔はあの舞台の上が怖くて怖くて堪らなかった。理由は、おばけが出そうだから。
なんだか舞台袖とか得に薄暗くて、あそこから急にニョキっと誰かが顔を覗かせるのではないか、そんなよく分からない恐怖を私は持っていた。だから舞台の上に立つと、舞台袖が気になって仕方なかった。あそこに誰かが居ると、反射的にそちらを見てしまうから……よく座長のジジイに怒られていた。
「…………ふむ」
しかし人間、成長すればつまらない生き物になってしまう。子供の頃のドキドキワクワク感が、今では動かない時計のように静まり返っている。いつも聞こえていた秒針が、いつしか聞こえなくなていた。今はその音を必死に聞き取ろうとしている。
「随分狭い劇場ね」
まっくらな劇場に目が慣れてきて、客席のちょうど真ん中あたりに座った時、目の前に幽霊みたいな奴が現れた。別人格桜。いつまでもこんな呼び方は可愛そうなので、紅葉と桜の間を取って椿と呼ぶことにした。何故に間が椿なのか。紅葉が秋で、桜が春。なら冬の花にしようという事で椿。
客席の背もたれに王様のように体重を預ける。椿はそんな私の隣へと。
「ここで紗弥が育ったのね」
「私が育ったのは家だよ。ここは……まあ、熟みたいな……」
「なんでここに来たの?」
なんでと言われても。まあ、来たくなったからと言うしかない。
まるで自問自答しているようだ。椿の言葉は私の言葉のようだ。
「……昔は私みたいな小さな子供も良くこの劇場に来てたんだよ、役者を目指して。でも私の同期は私以外辞めちゃった。皆、座長のジジイが厳しいからって出て行っちゃったんだけど……」
「ふーん、紗弥は最後まで残ったんだね」
「私も辞めたいって何度も思ったよ。だって厳しいんだもん。もっと子供らしく、学校から帰ったら友達と遊んでたりしたかったし……。舞台は薄暗くて怖いし、ジジイは厳しくて大嫌いだったし、さっさと家に帰って見たいアニメとかあったし……散々だったから」
それでもここに通い続けた理由は、ジジイよりも母親が怖かったからだ。
私が小学生の時、あの母は鬼だと思っていた。中学の反抗期を越え、高校に入る頃には優しい母になっていたが。
「紗弥の反抗期って面白そう。どんな反抗したの?」
「アイロンで網戸焼いた」
「……ン?!」
どういう事? と椿は首を傾げるが、そのままだ。なんかむしゃくしゃしてアイロンを網戸に押し付けた。母に叱られて、私は圧倒的に自分が悪いのに一方的にブチ切れて……ここに家出しに来る。ここは嫌いだったはずなのに。
「ちょっと想像出来ないわ。そんな紗弥。今ではパンダの着ぐるみ来てキャッキャしてるじゃない」
「……私は大人になりたかったんだよ。別に褒められるためにやってるわけじゃないのに、私が何かするとお母さんは『ありがとう』ってお礼言ってきて……それが滅茶苦茶腹立って……」
「ちょっとよく分からないわ」
「……とりあえず我儘だったのよ、私。お父さんが居ないから、少しでもお母さんを楽させてやろうと思って……。でもそれは別に当たり前の事で、その事に関してお礼を言ってくる母に……子供扱いされてる気がして」
「仕方ないじゃない。正真正銘、紗弥はあの人の子供だもの」
「そうなんだよな……」
その事実に気が付くまでに時間がかかった。母のお礼を素直に受け入れるようになったのは、高校に入ってからだ。自分は子供だと素直に受け入れる事が出来た。
そしてその頃からだ。私は自然と母の全盛期の芝居を模倣し始めたのは。あの深海の舞台には母が立っている。私はそれを眺めて真似する。それが私の芝居の根本。でもそれもだんだん……悪い言い方をすると飽きてきた。
「私は私の芝居がしたい。だから要君や芽衣子ちゃんが羨ましく思えちゃうんだな。あの二人は自分でちゃんと役柄を作り上げてるから」
「紗弥なら出来るよ、でもあの二人のように……って思っちゃうと、今度はそれを真似しちゃうから紗弥の芝居ではなくなるのか……どうすればいいんだろう」
「ほんとにそれよ……私は一体どうすれば……」
「もう分かってるだろ、いいとこ取りすればいいんだよ」
……? 突然、椿の声が年寄りの声になった。
そっとそちらへと目を向けると、いつのまにかそこにはワイシャツの爺さんが。
「ぎゃあぁぁぁああ! い、いつのまに!」
「今さっきだよ。ブツブツと真っ暗な中で独り言言いやがって。何年寄りみたいな事してんだお前」
そこに座っていたのは、この劇団の座長。
白髪の妙に背の高い爺さん。いつものワイシャツにスラックス姿。
「で、ここに戻ってくる気になったのか?」
「戻らないわよ、なんでそうなるのよ。私はただ集中してただけよ」
「……轟大地はお前の刺激になっただろ」
あぁ……そうだった。元々、大地君を私にけしかけたのは、この爺の仕業だった。
それに対して文句をいってやらないと。
「……なったわ。色々と気付けた」
でも私の口からは何故かそんな言葉が出てきた。
大地君を見ていると、自分に足らない所が見えてきたようで……ちょっとワクワクしてしまった。あの時は冷や汗が止まらなかったが。
「あの動画みたよ。劇団真祖の奴らはお前に面喰ってただろ。久々にスカっとしたよ」
「何それ……あの劇団と昔何かあったの? 喧嘩したとか?」
「あそこを作ったのは俺だ。んで、お前の母親が俺を追い出した。でも無くなっちまうとなると寂しく感じるんだな」
……あ?
「ちょ、劇団真祖って……もともと貴方が作ったの? っていうかうちのオカンもまさか……」
「あの劇団の舞台俳優だったよ。でも俺のやり方が気に食わねえって農民一揆されてな。この老人を追い出しやがったんだ。そしたら今度は自分の娘を預かってくれとかぬかしやがる。最初は門前払いしようと思ったが、お前を見て気が変わったんだ」
農民一揆て。
それって団員から追い出されたってこと? 可哀想に。
「お前は俺の懐刀……と言いたい所だが、やっぱりあの女の娘だな。予想外に妖刀になっちまった」
「それ褒めてないわよね」
「ベタ褒めしてるよ。で……今度は何やらかすつもりだ? 舞台だって母親に止められてる筈だろ」
人に大地君を差し向けておいて何いってんだ、この爺。
思い切りシワシワのほっぺを抓ってやりたいところだが、見た目通りの老体だ。優しくあつかってやろう。
「今度、オーディションに出るの。アス重工がスポンサーの……アレよ、知ってるでしょ?」
「あぁ、あれか。それでここに来るってことは……本気なんだな」
「当たり前じゃない。出る以上は……」
「頑張れよ」
それだけ言って立ち去ってしまう爺。
相変わらずあっさりとしたマイペースだ。というかどこから聞かれてたんだろ。まあ別にいいけども。
そろそろ私も出よう。オーディションは明日だ。家に帰って早めに寝て体調を万全にしなければ。
するとその時、私スマホが一瞬震える。メールだ。
そっとスマホを覗くと要君からだった。明日、唯さんの手術らしい。
……要君に明日オーディションを受けるとメールを送り返す私。
私も頑張る、そう送ると、すぐに要君から返信が。
『頑張れ』
シンプル過ぎる返信に、思わず笑ってしまった。
火に油を注がれた気分。
頑張るさ、私にはそれしか出来ないんだから。




