第二話
親友を殺してしまった、ささいな理由で。
それが彼の演じる高校生の、このドラマのテーマとも言える設定。きっとこの話を考えた奴は、こんないたいけな少年が演じる事になるなんて思いもしなかっただろう。ハッキリ言って悪手だ。彼のこれからの役者人生を考えるならば、もっと明るいラブコメやらせた方が絶対いい。だって初心者なんだから。
「おはよー、どうしたの? 顔色わるいね」
クラスメイトの女子、そしてこのドラマのヒロイン役。その役者の名は坂之上 美衣。彼女も元々は某アイドルグループの一員だったが、なんと役者になりたくてアイドルを辞めてしまった。誰もがこのまま消えていくと思っただろう。しかし今この場に立っているのは紛れもない事実。グループを抜けてここまで来るのに、その若さで世間の荒波に揉まれまくったに違いない。出会った悪人の数で言えば、彼女の方が私より勝っている可能性すらある。
「……別に」
たった一言の、彼の台詞。轟 大地のその台詞だけで私は背筋を凍らせた。何故そんな事が出来る? 轟 大地は、まさに人を殺した人間だ。別に殺人歴のある人間を見た事があるわけじゃない、そんな事を言いたいわけでは無い。見ている人間に「あ、こいつ人殺したな?」と思わせるだけでいい。このドラマの主軸がそれなんだから。
でも今の演技は……果たして私に出来るか? やるなら潜らないと、普段よりもっと深く。自分では戻ってこれない深さまで。
「紗弥さん、気づきましたか」
今現在、私達はドラマのスタッフさんと、ステージの上で読み合わせをする二人を見守っていた。何故に私がこの場に居る事が出来るのかと言えば、ここは元々私が居た劇団のマイホームだから……としか言いようがない。
そして私に小声で話しかけてくる兄弟子。私は生唾を飲み込みながら、兄弟子へと
「……すいません、おしっこしてくる」
「逃げ出そうたってそうは行きませんよ」
ガシっと手首を掴まれ捕獲される私。
ひぃ! 漏れるなり!
「紗弥さん、貴方……彼に何をしたんです」
「何って……何が?」
しまった、これは……バレてる?
私が厄介事を簡単に済ませようと、鼻をほじるくらいの軽い気持ちでメソッド演技をしろ、と言ってしまった事を。
待ってくれ、言い訳させてくれ! 演劇の初心者に「メソッド演技」とか言うても、普通チンプンカンプンやん! 何その専門用語、ちょっと日本語で話してもらえます? みたいに思われるだけやん! まさか彼があそこまで潜れるなんて知らなかったんだ、こっちは!
しかしこの状況……兄弟子が私を逃がさんと手首を握ってて、意外と悪くないかもしれない。そのままいつまでも握っていてほしい……。
……いや、だんだん痛くなってきた。もしかしてマジで怒ってる? ギリギリと握ってくる! ちょっと、いつまでも握ってないで! 離して痛い!
「ご、ごめんなさい……」
しゅん……と、イタズラのしすぎでオヤツが貰えない猫のように謝る私。兄弟子は溜息を吐きつつ、手首を放してくれた。ちょっと痛くしすぎたと思ったのか、頭をポン、と軽く撫でてくる。
「別に……怒って無いですよ」
嘘つけ、手首危うく骨折するところだったわ。
「それで……彼の演技はどう思いますか?」
「まあ、傍から見ればいい演技ですよね。ちゃんと入り込んでるし……監督も驚いてるじゃないですか。あの監督、たしか似たような映画作ってましたよね」
「ええ。義理の父親を殺す高校生の話ですね。あの映画の役者は皆歴戦の勇者でした。今監督は、その勇者達と一見変わらぬ演技をする彼を見て……」
喜んでいる……だろうか。それとも彼の違和感に気付いているだろうか。私の目からは驚きの表情しか見て取れない。
「しかし彼は演技しているわけではありません、心底怯えているんです。自分が殺した親友の怨念に」
「サラっとメソッド演技批判ですか」
「違いますよ。見ていてください、彼をこちらに引き戻してきます」
兄弟子がステージへと台本片手に上がっていく。ちなみに若手二人は台本事態持っていなかった。恐らく既に全て暗記して臨んでいるのだろう。兄弟子も当然暗記しているだろうが、あえて台本を持って行ったのは、若い子に対する大人の余裕を見せつけるため……では無く、二人の緊張をほぐすためだ。
「君、ちょっといいかい?」
兄弟子の声のトーンが、普段よりも一段と高くなる。無茶苦茶好青年なお兄さんだ。ちなみに兄弟子の役は警察官。最終的に轟少年を逮捕する役だ。
セーターの、無い筈の胸ポケットから警察手帳を取り出す動きをする兄弟子。その瞬間、轟の体が一瞬跳ねる。ほんの一瞬だ。舞台では観客に伝えにくい表現だが、ドラマなら抜群の威力を発揮するだろう。なんといってもカメラがある。役者のささいな動きをピンポイントで伝える事が出来る。
話はズレるが、ならば舞台ではどうするか。轟のビクっ! を、舞台では全員で表現する。舞台に立っている役者だけではない、音響やスポットライト、大道具から小道具に至るまで、全員でシーンの一つ一つを作り上げていく。役者一人の演技では到底観客の意識を一点に集中させることなど出来ないだろう。一部の化物を除いて。
「……なんですか?」
警察官に話しかけられても、轟少年は臆さない。決して殺人を犯した事を悟られてはならないと、一瞬で持ち直す……という演技。それを彼は見事に……いや
「……ぁ、あれ?」
彼が戻ってきた。潜っていた場所から。
突然涙を流し始めた轟少年。スタッフさんは慌ててハンカチを手渡しつつ、どうしたどうしたと、どよめきはじめた。しかしそこで兄弟子の、手を叩く小気味いい音が響いた。
「轟君、その涙はどういった感情ですか?」
「え? いや、これは勝手に……演技とは関係ないです……」
「いいえ、その涙は君の感情そのものです。そして今君は演技中だった筈です。答えられませんか? それが答えられないようでは、君を舞台に立たせるわけにはいきません」
いや、あんた何様ですか、と誰もが思ってるに違いない。しかし監督は何も言わない。
「僕はただ……えっと……」
「別に叱っているわけではありません。むしろ貴方の演技は想像以上です、アイドルだと軽く見ていた私を許してください」
何故わざわざそんな事言うよ。アイドルとそのファンを敵に回す気か。
っていうか、ヒロイン役の女の子……可哀想に、完全に今ボッチじゃないか。
いや、兄弟子をすっごい見つめてる。あの目はまさか……恋する乙女の目!
確かあの子、まだ高校生? だったよな? 君にとっては兄弟子なんてオッサンの筈だ! 悪い事は言わんからやめておけ! っていうか私の兄弟子なのに……!
「……すみません、一度……気持ちの整理をしてきます」
「そうしてください。本日はアドバイザーも用意しましたから。きっと相談に乗ってくれますよ」
いいつつ私へと視線を移してくる兄弟子。
そして今初めて私が居た事に気付いたのか、轟少年の目が輝き、ギラっと私を捕捉する!
「……来てたんですね! アドバイスお願いします!」
「ごめん、お腹痛いから帰るわ……」
逃げようとした私を兄弟子が捕獲するまで、およそコンマ一秒。
出来る役者は光の速さで動けるのだと、若手二人は驚いたに違いない。