第十七話
紗弥にとっては、この舞台は長谷川 唯から役者の道を奪う事を目的としている。宗吾から本当にそれだけだろうかと疑念を抱かれたが、迷いは邪魔だ。それ以上に、今は自分の芝居に没頭していたい気持ちの方が勝っていた。
稽古の時間は十分に取れず、共演者との擦り合わせも不十分。そもそも、紗弥は劇団真祖の面々とは初対面。それを我儘でカバーする。せめて自分が潜りやすい状況化で。
今、ステージには要と芽衣子が立ち尽くしていた。本来なら二人去った後、一拍置いての登場だった。だが紗弥はあえて二人がステージに残っている状況で、その場で自分の芝居を、深海へと潜り込む。
裏方の椚の面々が急遽照明を変更。要へと合図を送り、芽衣子と紗弥だけに照明を当てる。要は一歩下がり、闇に溶け込むように。そして芽衣子と紗弥が、まるで果し合いのようにステージ上へ取り残された。
『花音、私はずっと一緒に過ごしたかった。最後の時まで、ずっとずっと。でも花音はこの街で死を選んだ。それを責める事なんて出来やしない。私は花音の苦しみを知ってる。地獄さえ生ぬるいと感じる程の投薬治療の日々を。それ以上に、家族が貴方から逃げて行った、その悲しみを知ってる』
紗弥の突然の登場。最初は面食らった芽衣子だったが、すぐに紗弥に合わせるように芝居を開始する。
(紗弥たんなんで……出番を間違えた? いや、でも……)
劇団真祖の最後の舞台。ミスは許されない。そんな場で堂々と、意図的な登場をした紗弥。本来ならば怒って良い。だが芽衣子は全く真逆の感情を抱いていた。ここでの紗弥の登場は
(イイ……っ! すごくイイっ!)
芽衣子はまるで空を飛んでるかのような浮遊感、それに似た快感を得た。どこまでも飛んでいけそうな幸せな気分。そこは空では無く、海の底だったと知っても、彼女は嬉々として存分に自分の空を駆け巡るだろう。それほどに紗弥の独断を芽衣子は賞賛した。心の中で思い切り紗弥に抱き着いた。なんだったら今すぐにでも抱き着きたい。
『お姉ちゃん……私は幸せだったよ。私のために警察も辞めて、一緒に居てくれて、いろんな所に遊びに行って……。この街に来たいって私が行ったとき、お姉ちゃんは最初、すごい渋い顔したよね。あの時から、私の意図なんてお姉ちゃんに気付かれてた。でも、私にはそうせざるを得なかった。だって、私は幸せだったから。どうせなら、最後も幸せのまま終わりたいって思っちゃったから』
そして再び照明が操作され、今度は紗弥と要のやり取りが始まる。要も芽衣子と同様の感情を抱いていた。だが彼は芽衣子とは違い冷静にその場を分析する。
(客の集中が突然の照明操作で途切れてる。ここは一度意識を纏めるべき……しかし椚がその事に気付いていなかったら……)
そんな要の心配など既にお見通しだと言わんばかりに、ステージ全体に照明が。客の視線は嫌でもステージ上に注がれる。
そしてここから、ラストシーンまで紗弥の独壇場だ。「ほころぶ、春」は数年前に公開された映画。その中で紗弥演じるヒロインの姉役は、もう一人の主人公と言わしめる程の芝居をやってみせた。勿論制作側の意図もあるだろう。だがその映画俳優の演技に、誰もが魅了された事は間違いない。
勿論、紗弥もその映画は視聴済み。怪物のようなその女優の芝居に魅了された一人でもある。だからこそ、紗弥は全力で潜る事が出来る。目標とする物があるのだから。
※
病室でタブレットを手に舞台を見守る唯と燈子。唯は先程から涙が止まらない。それは舞台に感動したからか、それともその場に立てていない自分の不甲斐なさか、それとも、後悔の念か。
またはそれら全てかもしれない。燈子にタブレットを支えて貰いながらも、唯は右手を動かし紗弥を捕まえるような動作をする。
「どうしたの……?」
そんな唯へと声を掛ける燈子。
「……わかりません……わからないけど……紗弥さんが消えてしまいそうで……」
同様の感情を燈子は持っていた。今自分があの劇場にいたなら、すぐにでも芝居を中止させてしまいそうな、そんな危機感を覚えた。だが何故か今は見ていられる。
「大丈夫よ。貴方の仲間がいるから」
劇団真祖の面々、そして裏方は確かな腕を持ったプロだとタブレット越しでも理解出来た。紗弥が代役として指名されたのは、ほんの一週間前。にもかかわらず、共演者も裏方もムラを感じさせない舞台を完成させている。違和感など一切感じさせない、一本の美しい吊り橋。渡れば揺れると分かっているのに、不安を一切感じさせない。
そして舞台はラストシーンを迎える。ヒロインへと桜を見せ、そのまま病院のベッドへと運ぶシーン。もうヒロインはまともに喋る事すら出来ない。その状態でベッドを取り囲む面々は、笑顔を絶やさまいと必死になる。これから旅立とうとするヒロインを、笑顔で送るために。
『花音……花音……!』
ヒロインが旅立った後、ベッドへとしがみ付くように、呻き声を殺すように顔をシーツに押し付けて悲しむ紗弥。その時、少しだけ吊り橋が危うく揺れる。その紗弥の泣き声が、唯と燈子の心を揺さぶる。
「紗弥さん……?」
舞台が終わり、幕が下りていく。それでも紗弥の泣き声が聞こえてきた。
いつまでも、いつまでも……タブレットのスピーカーから音が聞こえなくなっても、いつまでもその泣き声が頭の中に響いている。
「……まだまだね。力の入れ所が違うのよ、何やってんだか」
燈子の突然の感想にハッとする唯。それでようやく舞台が終わったのだと理解する事が出来た。
「あの、紗弥さん大丈夫でしょうか……」
「何が?」
「あ、いえ、その……なんというか……」
「心配なら、明日ここに来させるようにするわ。あ、でも私がここに来たってことは秘密にしておいてね。私達にも色々あるのよ」
「あ、はぃ……」
そのまま帰り支度を始める燈子。やけにあっさりしていると唯は感じた。舞台に関してこれから語りあうのかとも思ったが、それも無さそうだ。
「タブレットはあげるわ。あんまり夜更かしはしないようにね」
「え? いや、そんな……こんな高価そうな物……」
「大丈夫よ。ポイント全部使ってそんなに現金は払ってないから。じゃ」
あっさりと病室から出て行ってしまう燈子。舞台を見終わったら、手術を受けるかどうかの返事を聞かせろと言われると思ったのに。唯は若干、不完全燃焼といった感じに、誰もいなくなった病室で天井を見つめる。
今一番したい事。今一番会いたい人。
不意にそのワードが頭の中に浮かんだ。唯の中では手術を受けるという意思は固まっていた。だがどうしても、手術と聞くと別の恐怖が迫ってくる。医者は手術を受ければ治ると説得してきた。しかし失敗する可能性も……無くはない。
少し前の自分なら、むしろそれを望んでいた筈だと唯は情けなくなる。死など怖くない、それを望んで自分は飛んだ筈だ。でも今はそれが怖くて仕方ない。
せめて手術を受ける前に会いたい。
このまま死ぬなんて絶対に嫌だと、矛盾した自分に腹を立てる。
その時、病室の扉がノックされた。
「……? 燈子さん?」
何か忘れ物だろうか。やっぱりタブレットは惜しくなったのだろうかと、唯は扉へと視線を向ける。
そして静かに扉を入ってきた人物。唯は目を見開き、本格的に泣き出した。
その泣き声は、芝居をしている紗弥のそれに、少しだけ似ているような気がした。
「……姉さん……」
※
パンダが見える。暗闇の中、私へと手を差し伸べてくれるパンダ。
私はそっと、そのフワフワな手を取り、肉球の柔らかさを確認。むにゅむにゅな肉球が気持ちい。
「パンダさん……」
思わず抱き着いた。もふもふな毛皮、暖かい体、この抱き心地、そしてこの何とも言えない、年上とは思えない小ささ。全てが恋しい……
ん? あれ? このサイズ感……
「紗弥たん……紗弥たん!」
「ふぉぉぉぉぉ! 芽衣子ちゃん……!」
思い切り芽衣子ちゃんに抱き着いてた。なんという抱き心地。出来れば抱き枕にしたい。
「だいじょぶ?」
「ん? 何が?」
「何がって……」
むむ、なんか舞台袖にみんな集まってる。どうしたの?
「ほら、しっかりして。行くよ」
要君に首根っこを掴まれ、そのまま引きずられる私。
え、行くってどこに!? もしかして警察?! 芽衣子ちゃんに痴漢行為した罪で投獄!?
「カーテンコールだよ」
「え、あ、そっか……」
皆と手を繋いで、ステージへと並ぶ。
これで最後。劇団真祖の舞台は、本当にこれで最後。
その最後に果たして私で良かったのだろうか。
この疑問はいつまでも私の中に残り続けるだろう。そしてこれが私の原動力になる。そんな気がする。
「紗弥たん……」
むむ、芽衣子ちゃん。どうしたんだい?
「……ありがとう」
屈託のないその笑顔で……私の原動力が搔き消えそうな気がした。
眩しい、眩しすぎる……。
このまま消えてしまいそうだ……。




