第十四話
医者から長谷川 唯の現状を聞かされ顔面蒼白になる宗吾と燈子。
まさかそんな事になっているとは思わず、言葉も出ない。そんな二人を見て、医者は慌てて
「あ、いや、癌と言っても良性の脳腫瘍なんだけど」
「ちょっと待って、私には絶望的に聞こえるんだけど……それって治るの?」
「手術で全摘出すれば治癒できますよ」
ホっと肩を落とす二人。宗吾も燈子も背中にまで冷や汗をかいていた。
「でもね……ちょっと困った事に……」
「何、まさかまだ別の病気が……」
「あ、いや、彼女の問題なんだけどね、実は……手術しないって言ってるのよ」
顔を見合わせる二人。手術をしない? と疑問しか浮かんでこない。
「どうして……。まさかお金が足りないとか?」
「いえいえ」
「じゃあなんで……」
医者は手癖のようにカルテを捲りつつ、まるでこの先は言っても良いのかと言葉を濁らせている。
燈子とて無理に聞き出そうとは思っていない。しかし宗吾には心当たりがあった。
「自殺、ですか」
「は?」
思わず間抜けな声を出してしまう燈子。一体何を言ってるんだと宗吾を睨みつけるように。しかし医者は否定しない。
「彼女、元々自殺するつもりだったようで……入院してからも、幾度も自分の手首を……」
※
長谷川 唯の病室の前で、宗吾と燈子は言葉を失っていた。元々、彼女は役に呑まれ飛んだと思っていた。だから芝居云々を知らない人間にとっては自殺だと思われるだろう、くらいにしか考えてなかった。だが彼女は未だに自身を傷付け続けている。
躊躇いがちに燈子は病室の扉をノックし、返事が返ってくると静かに扉を開けた。
ベッドのカーテンは開け放たれていた。窓も開け放たれており、カーテンが静かに揺れている。
見舞いの品だろうか。棚には果物類にぬいぐるみ、小説や漫画。しかし手が付けられているようには見えない。
「こんにちは」
燈子は宗吾を廊下に置いたまま、自分一人で入室。宗吾は突然知らない人間が二人も入ってきたら怖いだろうと待機している。
「……? ぁ、もしかして……漆原 燈子さん?」
「あら、一撃でバレちゃったわ」
唯は来訪者が、かつての名女優だと見破った。しかし彼女は漆原 燈子の直撃世代ではない。燈子は紗弥を妊娠した時、引退したのだから。それ以来舞台にもテレビにも一切出ていない。しかし燈子が出演した映画やドラマは未だに高い人気を誇っている。役者を志す者ならそれらを見ていても不思議ではない。
「自己紹介は必要なさそうだけど……私の事は燈子ちゃんって呼んでくれると助かるわ」
外で会話を盗み聞きしている宗吾は、思わず吹き出しそうになってしまった。それは唯も同じようで、満面の笑みを見せてくれる。
「はい、燈子ちゃんさん……」
「さんは要らないわ。突然ごめんなさいね、貴方の知り合いに……髭ヅラのおっさんが居るでしょ? 私はそれの友達よ」
「あぁ、轟さんの……。あれ? ってことは……もしかして燈子さんも、劇団真祖のOBなんですか?」
「そうよ。貴方は私の後輩ってことになるわね」
燈子は自身のプロフィールを明かした。紗弥すら知らない事実を。それどころか、轟監督も、紗弥が在籍していた劇団の座長も、元々は劇団真祖の関係者。
「すごい……私、すごい所に入ってたんだ……歴史ある劇団とは聞いてましたけど……」
「今じゃ、ただ古いだけの劇団よ。それに、もう無くなっちゃうんでしょ? 残念だけど仕方無いわね」
「えぇ、まあ……明日、最後の舞台なんです。その……燈子さんの娘さんが私の代役に名乗り出て下さったみたいで……」
「まだ若輩も若輩だから申し訳ないわ。貴方も早く元気になって、舞台に戻れると良いわね」
しかしそこで黙ってしまう唯。燈子は躊躇いがちに「医者から聞いた」と言いつつ
「貴方、手術……受けないそうね」
「……はい」
「なんで?」
「……これは、私への罰だからです……」
罰、そうか、なら仕方ないと引き下がれるわけがない。
燈子は今まで入手した長谷川 唯についての情報を整理する。宗吾を締め上げ、彼女には弟が居る事、その弟との間にあった出来事などを絞り出していた。
長谷川 唯がそう罪悪感を抱く理由、それは弟である大地に『父と母を返せ』という旨の置手紙を置いて姿を消してしまった事。
「……私、弟に酷い事して……だから、これは罰なんです……」
「唯さんは、神様は居ると思ってる?」
「……え? えっと……」
突然の質問に首を傾げる唯。神が存在するか否か。特にそれを考えた事は無かった。居ても居なくても、さほど自分には関係ない。日本人の八割は無神論者。しかし世界で一番神が多い国。
回答につまる唯へと、燈子は
「神様なんて目に見えないもの。居ても無くても、さして私達の生活には関係ないわ。でも、神様なんて居ないって……言っちゃわない? たまに」
「言っちゃいます……」
「でも彼は確かに存在するわ。長年の孤独で狂ってしまったけど」
「……そうなんですね……」
一体何の話をされているんだと、唯は首を傾げ続ける。
燈子はそんな唯を見ながら微笑みつつ
「私も二十年くらい前に罰を受けたわ。両親のお葬式に出なかったの。舞台の仕事を優先して……」
身内の葬式よりも優先すべきことがある。燈子は少なくともそう感じた故の行動だった。しかしそれが本当に正しかったのか、恐らく答えが出る日は来ないだろう。だが燈子は答えを求め続けた、その結果
「そしたら、夫を連れていかれたわ。交通事故で」
「……いや、それは……」
「そう、罰なんかじゃないわ。たまたまよ。でもそれまで神様を信じてなかった私は、神様のせいにして恨んだわ。理不尽な話よね。神様にとっては」
しかし神を恨む事で心は救われた気がする、と燈子は続ける。
紗弥を舞台から降ろす時も、その時の事を思い出して号泣してしまった。今度は娘まで奪うつもりかと、感極まってしまった。
「ね? 神様は存在するでしょ。少し損な役回りだけど」
「……私は……」
燈子は布団の上から唯の右手を抑え、それ以上は口に出すなと首を振る。
「私の娘にチャンスをくれない?」
「……チャンス……?」
「私もここで、明日貴方と一緒に舞台を見るわ。手術をするかしないかは、その後に決めればいい。どう?」
「……はぃ」
燈子は布団の中、唯の手を握る。その包帯まみれの痛々しい手を。
唯もまた、燈子の手を握り返した。その手は、少し震えていた。
燈子は背中を押したに過ぎない。彼女の中では既に答えは出ていた。ただし別の恐怖が押し寄せてくる。
※
明日、最後の公演と言う事で、紗弥は大学を午前中に脱走し、劇団真祖の面々と最後の打ち合わせを行っていた。元々、紗弥の稽古の時間など雀の涙程。しかしそれをカバーできる強力な面々が、今ここに集っている。
「ンフフ、あとでサインください、未来の大女優さん」
「……ごめんなさい、なんとなくお断りします……」
裏方専門派遣会社『椚』。劇団の裏方などが足りない場合、急遽人数が不足した場合などに駆け付けるプロフェッショナル。総勢五十名程の社員が、それぞれ異なる劇団で経験を積んで来た。だからこそ、どんな事態にも対処できる強みを持っている、というのがアピールポイント。
「ンフフフフフ……断られた……もう俺けえる……」
「マテコラ、公演は明日だっつーの。もう契約分の料金は払っただろ」
帰ろうとする椚の社長。その首根っこを摑まえる劇団真祖の団長。そのやり取りを見ていると、まるで同級生のような関係性を感じる。ちょうど歳も近そうだ。
「ンフフフフ、んで、芝居に不安があるのは代役の君だけ? 君だけ気を付けてればいい?」
「あ、はい、お願いします……」
照明装置や音響で、紗弥の芝居を可能な限りサポートすると言い放つ椚の面々。
頼もしい事この上ないが、社長の雰囲気はどこか怪しい。根拠は無いが。
「ンフフフ、当日はネットでも中継するんでしょ? カメラワークもお任せあれ。テレビで働いてた社員もいるし」
「その話し出しに不気味に笑うのはなんなんですか……」
紗弥意外の真祖のメンバーは特に気にしていない。どうやらいつもの事らしい。だが気になる。
しかし、今はそれどころではない。明日、泣いても笑っても最後の公演。そう、その舞台は一日しか公演しない。何もかもが一発勝負なのだ。
「じゃあ……みんな集合」
団長の元へと集う劇団真祖の面々。要、芽衣子、紗弥、ウサミミメイド、知恵の輪少年。それぞれが紗弥とは異なる芝居のプロフェッショナル。歴史ある劇団真祖の最後のメンバーというのは、伊達ではない。
「ンフフフフ、じゃあついでに俺達も集合しようか、いいねえ、青春みたいだ」
ついでに椚の面々も集いだした。全員で舞台の上へと集い、肩を組んで輪を作る。
思わず、何をしているんだと吹き出してしまうメンバーもいるが、それは団長の涙で搔き消された。
「ンッグ……明日……おわっちまうんだなぁ……だのしがっだよ゛ぉぉぉ」
「ンフフフフ、しまらないねぇ」
いい歳した大の大人が泣くと、ここまで何も言えなくなるのか……とそこに居る全員が思う。しかし団長の涙は本物だ。それがだんだんと心に浸透するように、全員の胸に炎が宿り始める。
「最後の舞台……やるぞぉぉぉぉ!」
「応!」
全員の声で劇場が震える。
この場に長谷川が居ない事が悔しい。
要は見つめる。長谷川の代役である紗弥を。
絶対に、失敗は許されない。




