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第十一話

 紗弥から相談したい事があると呼び出された宗吾。電話のあと、メールで指定された場所は新宿のカフェバー。時刻は既に夜中の九時を回っている。もしかしたら既に自宅に帰っているかもしれない、いや、むしろそうであってほしいと思う宗吾。紗弥は大学生に入りたての十九歳。

 法的に酒が飲める年齢ではないし、こんな時間までカフェバーで待たせていたと思うと、宗吾は少し恐怖を感じる。よからぬ輩に掴まってしまうかもしれない。紗弥の見た目は母親に似て、男なら誰でも魅力的だと感じるだろう、と宗吾は親バカ思考を爆発させている。


 カフェバーへと入店し、カウベルの音を響かせるとカウンターのマスターが「いらっしゃい」と声をかけてくる。客はまばらで、そこまで繁盛しているようには見えないが、落ち着いた雰囲気の店で宗吾は少し安心する。そして店を見渡すが、紗弥の姿は無い。


 宗吾は自分が遅刻してしまったから、やはり紗弥は先に帰宅したのだろう、そう思った。そしてここで踵を返して帰るのもマスターに失礼だと思った宗吾は、カウンターへと座る。


「ご注文は?」


「赤霧ロックで」


 マスターは軽く頷きつつ、特大ジョッキへと赤霧島を……


「あの、すみません、それ大きくないですか?」


「いいえ?」


「いいえって……なんでジョッキで……それ居酒屋で生大とか頼んだ時に出てくるレベルの奴ですよね? 確実にロックで飲もうとしてる客に出す物ではないですよね?」


「おまちどうさま」


「サラっと出さないでください。これ全部飲んだら私死にますよ、絶対ぶっ倒れますよ」


 口髭が象徴的なダンディーなマスターは、笑顔を浮かべながら何事も無かったかのように氷を砕き始めた。宗吾は諦めつつ、一口ずつ飲み始める。今の自分の姿を俯瞰してみたら、かなりシュールだと思いつつ。


 落ち着いた雰囲気のカフェバー。ボックス席には体格のいい男達三人組とパンダ。そしてその壁際には金髪のポニーテールに、バーテン服を着た女性が腕を組みつつ咥えたばこ。そして自分の目の前には特大ジョッキに注がれた赤霧ロック。


 宗吾は今更ながら気が付いた。自分が入店してしまった、この店のヤバさに。マスターに気を遣う必要など無かった、紗弥が居ない時点で帰るべきだった。というか何故この店を指定した、紗弥……と若干妹弟子を恨みつつ、特大ジョッキに口を付け続ける宗吾。かなり重い。いろんな意味で。


 そんな宗吾の隣へと、巨大な人影が。ボックス席に座っていたパンダだ。それが突然、宗吾の隣へと座り始めた。


「…………」


「…………」


 何故突然隣へと座るのだ。これだけカウンターが空いているのだから、別に隣でなくてもいい。隣に座ると言う事は、何か自分に用があるのだろう、しかしパンダは無言。そこに座るのなら何か言え、と宗吾は内心若干キレ気味で赤霧ロック大ジョッキを飲み続ける。


 すると突然、隣のパンダが片腕を掲げ、マスターを呼び出した。マスターは相変わらずの笑顔で答え、パンダの目の前に。


「ジンジャーエール」


「……紗弥さん?!」


 ビビる宗吾。パンダの中から聞こえてきた、そのこもった声は確実に紗弥だ。

 パンダは一度宗吾の方へと顔を向け、そのまま何事も無かったかのように


「……お兄さん、紗弥、というのはお知り合いかな?」


「……なんの遊びですか……。というか何故そんな恰好を……」


「どうやらお兄さんは酔っているようだ。そんな大きなジョッキにお酒注いで」


 これはマスターの仕業だ、と宗吾は訴えたかったが、それよりも今は目の前の紗弥だ。何故こんな時間、この店で、そんなパンダの着ぐるみを着ているのか。


「お兄さん、今日はどうしたんだい? 何か悩み事でも?」


「マスター、お会計を。あとこのパンダの分もお願いします。連れて帰りますから」


「ぁ、ちょ、まって! ごめんて! これには事情が!」


「……一体、何があったらそうなるんですか。奇跡としか思えませんよ」


「実は……」


 紗弥は予め、話せば長くなると言いながら、事の経緯を説明しだした。

 時は遡り……八時間前。午後一時頃の出来事。




 ※




 宗吾との約束を取り付けた紗弥は、とりあえずと大学へと急ぐ。まだ目当ての講義には間に合う筈だと、電車へと飛び乗り、妊婦へと席を譲り、大学の最寄り駅で降りた時……事件は起きた。


「た、大変よ! 近くの動物園からゴリラが逃げ出したわ!」


 騒然とする駅構内。紗弥は慌てふためく人々の波に流されるがまま、目的の方向とは逆の方向へと。しかしゴリラが逃げ出したと聞けば致し方ない気もする。相手は人間よりも明らかに筋肉量で勝る生き物。もし暴れ出したら、プロの格闘家が幼児へ本気で向かってくるような物だ。勝ち目など無い。


 しかし紗弥は大学の講義の事に遅れてはならないと、自らにプレッシャー(教授に叱られる)をかける。

 そして勇気を出し、再び駅の中へと飛び込んだ。目的は反対側の出口。


「女の子が入ってったぞ! 何考えてんだ!」


 そんな声が紗弥の耳に届いた。だが構うまい。ゴリラと相まみえたなら、全力で逃げ切ってやると、五十メートルを十六秒で駆け抜ける自慢の脚力を信じる。


 だが目的の出口へと、ちょうど折り返し地点までたどり着いた紗弥が見たのは、先程席を譲った妊婦の目の前に佇む一匹のゴリラ。妊婦は怯え、柱に体を預けながら動けない状態。見るからに危険なシチュエーション。


「……っ! ゴリラでか……っ!」


 思わず声に出してしまった。それほど巨大に感じた。檻も柵も無い状態で見るゴリラが、まるでいつか映画で見た自由の女神に取りつく猛獣のように思えた。


「何か……武器は無いの!?」


 あたりを見渡す紗弥。妊婦が危ない、これを見ぬフリをして通りすぎる事など出来ない。紗弥は駅構内を見渡す。すると目の中に段ボール箱が飛び込んで来た。藁にもすがる気持ちで段ボール箱を開け放つ紗弥。そこに入っていたのは……妙にリアルなパンダの着ぐるみ。


「……やるしかないっ!」


 紗弥はパンダの着ぐるみを取り出し、静まり返る駅構内で着ぐるみへと着替え始めた。そしてその重厚感溢れる、まるでガ〇ダムのモビルスーツへと搭乗したかのような信頼感を得て、紗弥は妊婦とゴリラの間へと割って入った。


「下がりなさい、ゴリラ!」


「……ウホゥ!」


 しかしゴリラは下がらない。むしろパンダに興味を示したのか、テンションが上がりドラミングをしだした。このままではいけないと、紗弥は潜る。深海の舞台へと。そして引き出した、最強のパンダを。


「……ッカ! 私は最強のパンダ……そう、酔拳パンダ……!」


 まるで水滸伝に登場する酔拳使いのような動きを見せる紗弥。するとそこへ、三人の体格のいいタンクトップの男と、金髪ポニーテールバーテンダーの女が現れた!


「まてまてぃ! その勝負、我々が見届けさせてもらう!」


 男達は都内のレスリングジムへと通う、屈強な三人組。見るからに筋肉の塊で、ゴリラと並べばどちらが猛獣か分からない程。紗弥はその男達を見るが否や


「ぁ、お姉さん、避難しましょう。こっちです」


 なんと男達にゴリラを任せ、紗弥とバーテンダーの女性は妊婦へと肩を貸し戦線離脱。

 男達はガクっと肩を落とすが、声からしてパンダの中身はまだ若い女性。ここは男を見せる所だと、ゴリラに対抗すべく三人でドラミングを。


 そこから男達とゴリラの、壮絶な熱い戦いの火ぶたが切って落とされたのだった。




 ※




「マスター、帰ります」


「あぁ! まだ最後まで話して無いのに!」


「黙りなさい。あのボックス席に座ってる男達が、そのゴリラに立ち向かった方々ですか。マスター、彼らの分も私が持ちます」


 宗吾は妹弟子を救ってくれた男達へと礼を言いつつ、パンダの二の腕を掴みながら店を出た。

 そして首を傾げるタクシーの運転手へと紗弥の家の住所を告げつつ、連行する。


 紗弥には問いただしたい事が山ほどある。

 決して先程のエピソードの事ではない。


「……宗吾さん……怒ってます?」


「…………」


 無言を貫く宗吾。しかし優しく、紗弥の、パンダの頭を撫でる。

 予想以上にモフモフな感触に、宗吾はいつまでも撫でまわしていた。






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