第十話
北村 宗吾は紗弥の兄弟子である。例のドラマ撮影以来、あれよあれよと仕事が舞い込む忙しい毎日を送り続けている。どうやら轟監督が宗吾の芝居を賞賛し、それを各方面にバラ撒いた事で「轟が言うのなら」と、まるで味見をするかのように仕事の依頼をしてくる輩が増えた。
仕事が増えるのは良い事だ。劇団もコロナ過で軽く存続の危機、これまで紗弥の母親の援助もあってなんとかやってこれたが、彼女が脱退した事でそれも受けれなくなった。これからは劇団員それぞれが身の振り方を考えなければならない。劇団の存続以前に、団員達は自分の生活を守らねばならないのだ。
宗吾も当然ながらその中の一人。今は稼ぎの大半を劇団の運営に割り当てていた。正直な所、紗弥が抜けた時点で今の劇団は存続が難しくなったと言わざるを得ない。客の大半は紗弥の芝居に魅了され、まるで依存するかのようにリピーターになる者ばかりだったからだ。紗弥が抜けたと正式に発表すれば、劇団へと足を運ぶ者も少なくなるだろう。
だからと言って、彼女を無理に引き留めるのは危険だ。紗弥の母親である燈子と、全く同じ感想を宗吾は感じていた。紗弥の演技はメソッド演技だと一言で片づけれる物ではない。轟大地は言った、生まれて初めて幽霊を見たと。
突然、仮装もしていない、前情報も無い状態で幽霊を演じた所で、それを幽霊だと認識させる事など不可能に近い、いや、絶対に不可能だ。一応紗弥は大地へと「これから幽霊をやる」と宣言したらしいが、果たして轟少年の思考はついていけただろうか。いきなり幽霊を演じると言われても、ただ訳も分からず首を傾げるのが精一杯だろう。
しかし紗弥は見事に轟大地へと、これは幽霊だと認識させた。それどころか、彼を怯えさせ、眠れる才能を引き起こした。メソッド演技とは、あくまで追憶の再生だ。過去に感じた、体験した感情を元に芝居をする。呼び起こした記憶を場面場面で微調整、加工して適合させるのがプロだ。仮に宗吾が幽霊を演じるのであれば、それに適した舞台装置や演出、共演者の存在が不可欠。役者単体で、突然そこに幽霊が現れたと思わせるのは無理があるのだ。
それはもはや技術どうこうの話ではない。超能力だと言われた方がまだ説得力がある。紗弥の芝居の根本は一体何なのか。十年以上同じ劇団で活動してきた宗吾でも、それは結局分からずじまいだった。
これまで宗吾は様々な役者と出会ってきた。それこそ、轟のような役に飲まれやすい人間にも。だが紗弥は飲まれる所ではない、その存在すら消えてしまう、そんな怖さがあった。燈子から紗弥をこの業界から距離を置かせると相談された時、宗吾は迷う事なく承諾した。心のどこかで惜しいと感じつつも、最優先すべきは可愛い妹弟子の生命なのだから。
「まるで坊さんだな。それとも戦に向かう侍か何かか?」
今、宗吾はCMの撮影現場、その山中の高い木の根元で立ち尽くしながら、瞑想するように思考を巡らせていた。そんな宗吾に声を掛けるのは、共演者の男。三十台半ばの、黒いライダージャケットに黒いジーンズという出で立ち。それに対し宗吾は白スーツにトレンチコート。
「木寺さん……なかなかワイルドで似合ってますよ。それで咥えたばこでもすれば、男性のファンが増えそうだ」
木寺は鼻で笑いつつ、宗吾の隣、巨木へともたれるように。
宗吾は衣装が汚れてしまうではないか、と思ったが、木寺にそんな事を言っても無駄だと早々に諦める。
「まさかお前がこっちに来るとはな。ずっと劇団でお姫様のお守りしてるのかと思ってたぜ」
「そのお姫様が抜けてしまったので。お役御免ですよ」
「ほー。母親の差し金か?」
「ええ」
木寺は元々は宗吾や紗弥と同じ劇団に所属していた俳優だった。しかし劇団の他の面々と上手く嚙み合わず去ったという経緯。しかしその後も宗吾とは交流があった。一緒に居酒屋に行く程度の付き合いだが。
「本当に大人しく辞めてくれればいんだがなぁ」
「……紗弥さんは辞めましたよ。もう劇団の名簿に彼女の名前はありませんから」
「だがあの爺はそんな簡単に離さねえだろ」
それはそうだ、現に紗弥へと轟大地をけし掛けたのは団長の爺なのだから。
「っていうかそういう事じゃなくてな、お姫様本人は……またこっちの世界に戻ってくると思うぜ、俺は」
「木寺さん……そんなに仲良くなかったでしょう、良く泣かせてたじゃないですか」
「その度にお前が俺を叱りつけてきたからな。あんなガキの何処がいいんだか」
別に紗弥に対して恋愛対象があって庇っていたわけではないのだが。宗吾はそう心の中で反論しつつも、口では否定しない。
「で、何で紗弥さんがこちらに戻ってくると?」
「聞きたいか?」
怪しい笑みを浮かべる木寺。宗吾は小さく溜息を吐きつつ「いいえ」と答えて、その場を離れようとする。それを木寺は慌てて止めつつ、話の続きを。
「なんですか、喋りたくないなら別に聞きたくないんですが」
「空気読めお前! 察しろ! 先輩に少しは付き合え!」
「で、なんなんですか」
木寺は「まったく、最近の若い奴はまったく」とブツブツ言いつつ、宗吾へと自分の考えを喋り出した。
「才能っていうのは、木の枝みたいなもんだ。このデカい木からも無数の枝が生えてるだろ」
木寺は背にある巨木を顎で指しつつ、見上げる。同じように宗吾もその木を見上げた。その巨大なクスノキを。
「このデカい木本体が、人間の根本の才能だ。そこから枝が生えて、小さな才能がいくつもあるのよ。鉛筆削りが上手いとかな」
「木寺さん上手そうですね、確か前にナイフ持ってましたよね」
「鉛筆削りには使わねえけどな。んで、そうやって人間は小さな才能を生かして色々な職種に就くのよ。サラリーマンだったり、警察だったり、技術者だったり」
木寺は名前に木が入っているから、木で例えているのだろうか……と宗吾は考えつつ、黙って木寺の話を聞く。
「でも世の中には、枝が生えてねえ奴もいる。もう生まれた時から、このぶっとい才能しか持ってねえ奴がいる。そう言うやつは総じてバケモンさ」
「木寺さんはどうなんです?」
「俺は平々凡々の、その辺に生えてる木だよ。お前は……まあ、そこそこの木だな」
「どうも」
「だがよ、あのお姫様やその母親……それに大活躍してるスポーツ選手とか、そのあたりは枝の生えてないぶっとい木だ。そういう奴らは……もう道が一つしかない。もう人生決まってるようなもんだ」
「……つまり?」
「あのお姫様は他がねえのさ。他に生きる道なんて無数にある筈なのに、枝が生えてねえから選ぶ道がねえ」
「紗弥さんが……サヴァン症候群だと?」
ある一つの事柄に特化した人間、一度見聞きした音楽を再現したり、辞書の内容を全て一瞬で暗記する。そんな才能を持つ人間は、他の事柄をやらせると段々とその能力を失っていく。サヴァン症候群と言っても様々だが。
「そうじゃねえよ。俺が言いたいのは……もっとこう、運命とか人生観の話だよ」
「成程、確かに……私は俳優で生きていきたいとは思っていますが、無理なら別の道を選びます。しかし紗弥さんがそうでない理由は? 別に木寺さん、あの子にアンケートを取ったわけではないでしょう」
「理由? んなもん、勘だよ」
「……大変参考になりました。中々面白かったですよ」
「お前、馬鹿にしてんだろ」
とんでもない、と返す宗吾。するとトレンチコートのポケットに忍ばせておいたスマホが着信を知らせてきた。その画面には紗弥の名前が。
「噂をするとなんとやらですか。紗弥さんです」
宗吾は電話を受ける。耳元に当て、木寺から目線を外しつつ会話をするが……その内容は
『今劇団真祖ってとこで女優の代理してるんですけど……ちょっと相談したい事があって……また時間ある時に会えますか?』
若干……呆然とした顔で木寺を見る宗吾。
そんな宗吾を見て、木寺は「な?」と得意げに返した。




