眠りゆく
高層ビルの欠片。
コンクリートの跡。
バラバラになった看板の文字。
瓦礫に埋もれた車。
折れた標識、信号機。
それら文明のあとを覆い尽くす、豊かな緑。
人間の世界はまたもや滅んでしまった。
「また、滅亡しちゃったね」
「…そうだな」
とっくのとうに全ての人類が退場した世界を歩く、
二人の。角を生やした二柱の、青年。
裸足でざく、ざく、と地面を踏み締め、
世界を噛み締める姿は、
まるで戯れに道を歩く子供のようで。
しかし彼らは、子供よりも大人よりも、
人間から遠い存在だった。
「前回は疫病で、今回は戦争か。なかなか続かないね?」
黒い角を生やした白髪の青年は、残念そうに溜息を吐く。
「…それを選択したのは人類種だ」
白い角を生やした黒髪の青年は、いつもの事だと言わんばかりに淡々としている。
彼らの足跡からは、草木や花々の芽が現れる。
硝子の上からでも、鉄の上からでも、プラスチックの上からでも。
様々な植物が芽吹いていく。
しかし二柱がそれを気に留める事は無く、ただただ歩みを進めている。
「でも今回は…あれ、核と生物兵器が原因だから、前回とあまり変わらないと言えば変わらないよね」
「…歴史の継承を怠るから過ちを繰り返す。単なる怠慢と傲りだ」
「残念だなあ」
黒い角を生やした白髪の青年は、空を仰ぎ見る。
そこには橙色と紅が入り混じった黄昏が広がっており、小さな雲が次々と夕陽を目掛けて流れている。
まるで魂達が、沈みゆく太陽へと還っているかのように。
この空を愛でる人間は既に存在しないのに、
この空はどこまでも惨たらしく美しい。
「今回の人間達は、結構面白かったんだけど」
「…どこがだ」
「宗教、娯楽、社会。どれも僕達には無い発想で、見ていて楽しかったよ」
黒い角を生やした白髪の青年は、想いを馳せるように眼を閉じる。
浮かぶのは、狭い箱庭の中を懸命に生きる、小さい者達の姿。
泣きながら産まれ落ち、笑い、怒り、悩み、苦しみ、楽しみ、疲れ、遊び、働き、……未来を繋ぎ、死んでいく、小さな生命達。
彼ら、彼女らの生み出すものは、いつだって魂が込められていた。
どんなに低俗だと、幼稚だと言われるものでも、光り輝いていた。
しかし、悲しいかなそれらを生み出す当の存在達は、その尊さに殆ど気が付かないままだった。
だから擦り切れた果てに戦争を起こし、
皆この世界を見捨てて去ってしまった。
前回もそうだった。
文明の果てに誰一人抗えない疫病を作り出し、
皆かつての世界を見放して行ってしまった。
その度に二柱の青年は、こうして滅んだ世界を歩む。
それは生きた世界の名残を惜しむ事によく似た、
弔いに相当する行為。
「僕はカラオケとか、やってみたかったかな。狭い箱の中で絶叫して歌うのって可愛らしいよね。鳥籠の中の鳥みたいで」
「…やれば良いだろう」
「兄上は、何かなかったの?」
「…。さあな」
二柱は言葉を交わしながら、やがて足元に粉々になった墓石を感じていく。
死者を尊ぶ人間達の習慣であり、
叫ぶような祈りの意思の塊。
名前を刻み、生きた時間を刻み、
そうして花を想いを供える、連綿と受け継がれていたもののひとつ。
今は何も無く。
誰も居ない世界の遺跡のひとつとなった。
その中を二柱は、進む。
進む、進む。
足跡からは、植物が芽吹く。
それは手向けの花だろうか。
「あと、添加物だらけのお菓子や、ご馳走を食べるとか」
「…無駄な物を食ってどうする」
「僕達の所には無いじゃない、そういうの」
「…必要が無い」
人間達の食も、とても楽しそうなものだった。
自然界に存在しない化学製品から、無農薬の新鮮野菜まで、色々な食品が存在していた。
どちらが良いか、あちらは駄目でこちらが安全だ、
そういう議論はあったみたいだが、色とりどりの虹にも通じた美しさが彼ら、彼女らの食にはあった。
食だけではない。
この世界は彩りに満ちていた。
闇色から虹色まで、何もかもが揃っていた。
悪魔から天使まで、何もかもが。
悪神から善神まで、何もかもが。
「次は、…上手くいくのかな」
「…。八度目の岩戸開きは成らなかった」
「うん。この世界に許されてるのは、次だけ。次が、最後」
「…もう世界を支える星が保たん」
人間の度重なる破壊。
世界の生態系は継ぎ接ぎで何とか保っている。
次に滅亡が起きれば、
星そのものが崩れ堕ちてしまう。
それでも。
「また、ーーーー僕は夢を見たい」
ふ、と。
その言葉が紡がれた瞬間、花弁のような雪が舞い降りてきた。
ひとひら。
ひとひら。
また、ひとひら、と。
二柱の青年が沈黙の中で立ち尽くす間、
雪は次第に強く振り始めてきた。
緑に覆われた文明の廃虚を、更に白銀が優しく包もうとしているかのように。
黄昏はいつの間にか、曇天へと変わり。
漂う空気も、凛とした冷たさを孕んでいる。
次に見守る人間達は、
この世界で何を成すだろう。
何を生み出し、作り出し、築き、壊すだろう。
喩えまた…九度目の滅亡を迎え、そうとは知らずに、世界を完全に閉ざしてしまうとしても。
彼らの、彼女らの光を、二柱は見てみたかった。
「…期待はしない」
「それが良いんだと思うよ、きっと」
雪が降り続き、世界の色彩が漂白されていく中。
二柱の青年は、歩き続けていく。
それは、かつての世界に、人間に別れを告げ。
再び生まれる新しい世界を、人間を見守り。
期待をせず、夢を見る、道のり。
しかし二柱の青年は、今までの世界を、人間を、
忘れる事は決して無い。
その全ての足跡を記憶に綴り続けていく。
降り続く雪。
冷えゆく空気。
永い冬が明け、春が訪れた時。
また、全ての始まりとなる生命が産まれる。
(それは永い夢か。)
(瞬きの光か。)
(全てを見守り終えるのは、)
【 了 】