第57話 晩餐とディアクロード殿下の悩み
席に着いたお父様が集まった皆に挨拶し、晩餐が開かれる。給仕が次々と出来立ての料理を運んでくる。新鮮なサラダやスープ。そしてメインとなる高級魚のソテー。レモンとバター風味のソースがかかり、食欲をそそる香りだ。
注がれた果実水を口にし、周りを見る。テーブルを隔て目の前にいるのは隣家のおじ様夫妻。その隣にお父様。従兄のディア様は私の横に座っている。
身重のお母様は流石に椅子に座るのは大変とのことで、今夜は寝室で食事をとると聞いている。恐らく夕食の献立もこことは違う食べやすい物を用意されているのだと思う。
「ふっ、リィリィ。それ以上小さくしたら小鳥用になってしまうぞ」
「えっ」
パンを千切りながらぼんやり色々考えていたら、隣からディア様の声が落とされる。目が合うとクスクス肩を揺らしていた。慌てて指摘された手元を見ると細かくなったパン屑がスープ皿に散らばっている。
「ご、ごめんなさい」
「考え事かな? リリアナちゃん?」
カールトンおじ様とおば様が軽く首を傾げている。私はそっと残りのパンを置いた。
「……その、お母様のお体は大丈夫なのでしょうか?」
「そうだな。リリアナが心配するのも分かる。だが妊婦とはそういうもの。彼女も今夜は念のため休むと聞いた。……だが私も後で様子を見に行こう」
お父様の冷静な言葉に私は少し胸を撫で下ろす。そうだった。お母様は二人目の出産だ。するとそんな私達のやり取りを聞いていたおば様がふふと笑った。
「そうね。私は経験者では無いけれど。エレノア様は大丈夫よ。確かに妊婦としては高齢だけれど初産ではないしね」
「初産。……やっぱりそれは大変ですか?」
「そうねぇ」
少し考える素振りを見せ、おば様がお産について教えてくれる。だがこれはあくまでも人から聞いた話との事だ。食事をしながら皆で興味津々に聞いた。
「――という感じなの」
「おば様、ありがとうございます。少し安心しました」
出産に関する話が終わり、私が礼を言うと彼女が茶化すように口に手をあてた。
「ふふ、だからリリアナちゃんも初めは色々不安かも知れないけれど心配いらないわ。それに出産や育児は若さと勢いでどうにかなるものよ」
「……!? い、勢い、ですか?」
唐突にこちらに話を振られ、思わずこの先の自分を想像してしまった。出産はとにかく体力を使う。けれど何とかなるものだ。おば様はきっとそう言いたいのだ。
「ああそうだ。リリアナの時は安産だったぞ。産婆がそう話していた。確かにあの時、エレノアが産気付いてから赤子が産まれるまでそれ程時間は経たなかったな」
「そうなのですか」
今度はお父様が私の赤子の頃を思い出したのか、当時の話を楽しそうにし始めた。何にでも興味を示して口に入れようとする子だったとか、夜泣きが酷かったとか。ちょっと恥ずかしい。
ディア様は興味深そうに相槌を打ち聞いている。何だか頬が緩んでいる。
「さて、そろそろお開きだな」
賑やかな晩餐が終わり、おじ様夫婦はお隣にある屋敷に帰っていった。お父様もお母様の様子をうかがいに自室へ戻っていく。
残ったのは私とディア様の二人。お互いの部屋は二階にあるため一緒に食堂を出て階段を上がる。
やはり夜は静かだ。先程迄の賑やかさは去り、廊下はシンと静寂に包まれている。元々、物静かな従兄もそれにつられるように口を閉じていた。
自室に着き私は扉の前で振り返る。
「ディア様、今日はすごく楽しかったです。それではお休みなさ――」
「待ってくれリィリィ。その……少し、良いだろうか?」
見かけはいつもと変わらない穏やかな雰囲気のディア様だ。けれど気のせいだろうか。今の彼は何だかちょっと違っていた。
ふと昼間、お母様と話した事が頭によぎる。
「ディア様、どうしました?」
「……前にリィリィは目立ちたくないと言っていただろう。それは今も変わらないのか?」
「それは、」
いつの間にか真剣な眼差しを浮かべた彼に一瞬息が止まる。
「君はエレノア様の娘。それは我が国にとって特別な意味を持つ。男子として生を受けた私には絶対に手にする事が出来ない。稀有なものだ。にも関わらず君は何故――」
「ま、待ってください!」
あまり廊下でこの手の話はしたくない。例え自分の屋敷であってもだ。慌てて私は部屋の扉を開け、そのまま中に入るよう彼の手をひいた。本当は婚約者であるシオン以外の男性を自室に入れるのは良くないが――仕方ない。
い、従兄だから平気……よね?
多分それもいけない事だと思うがこれは緊急事態なのだと自身に言い聞かせる。何よりこんな風に必死な顔をした彼が心配だ。
ディア様と私はソファーに座った。
「ディア様。急に、どうしたんですか?」
「……すまない。このような事、口にするつもりはなかった。リィリィのせいではないんだ。全ては私が未熟ゆえ……力が無い私が悪いのだ」
いいえと私は首を振る。だが続く私の慰めの言葉を先読みしたのか、ディア様は悲しげに小さく笑いその先を止めた。
「違う。リィリィ。そもそも私はあの国に於いて何の価値も無い存在。いくら国の為に尽くしたいと願っても、力無き者は所詮無能――」
「それは違います。無能とかそんな言葉……。ディア様がそんなわけないです!」
彼の瞳を見て断言する。どうして彼はそんな風に思ったのだろう。自分でそう思ったのか、それとも何処かから耳にしたのか。とにかく無能だなんて絶対に違う。
それにこの人はシオン同様ゲームの攻略対象。謂わば主人公の一人。この世界、物語においてなくてはならない存在なのだ。
私のようなモブとは違う。
思ってもみない強い口調に驚いたのか、ディア様が目を見開く。私は尚も続けた。
「国の特殊な事情からディア様のお立場はきっと複雑なのでしょう。ですが母国を大切に思う気持ちは巫女姫、いえ――おば様にも伝わっていると私は思います」
「リィリィ」
無我夢中に言葉を吐き出しディア様の手をとった。
「私はお母様やおば様とは違います。癒しの力があると言っても、それはほんの僅かです。彼女達に比べれば私の力なんて無いに等しい」
それにこの力の代替えはある。病や怪我を治す薬。栄養のとれた食事と休息。それらは決して万能ではないが、大抵は人々の身近にあり必要とすれば手が届く。
「お母様方は別として、私ごとき小さな力では皆を救う事は出来ません。……ですがディア様なら癒しの力など無くても民を助ける事が出来る。私はそう思います」
「力を持たない私が、か?」
「はい」
癒しの力の効果はあくまで身体や精神に作用するのみ。だがそれだけで民の暮らしが向上する訳ではない。正しい政を行い、国を発展させ豊かにする。これは為政者、ある程度の身分のある者にしか出来ない。
「ディア様にならその力があります。これから先、貴方様にしか出来ないお役目がきっとある筈です。だからどうかご自分を卑下しないで」
ディア様が瞠目する。やがてその瞳は自身の手に向かっていった。
「私は……」
彼が落ち着いてきたのが分かった。そして私は様々な話を聞いた。王宮や神殿における彼の公務、役割。周囲との関わりや摩擦。彼はエドワルド学園を卒業してからずっと、王族としての役目を堅実にこなしていた。
癒しの力が無い彼は主に領地の視察や来賓との謁見等。また状況により領主の嘆願を聞きその場で沙汰を下す。
「それでもやはり男は軽んじられる傾向だ。どうしても皆、私の意見より母上や巫女達の言葉を聞きたがる。それは仕方がないと割りきってはいるが……」
「確かにそれは二度手間ですね」
何も全ての案件をディアクロードが判断している訳ではない。難しい案件に関しては議会に上げ、有識者や各署大臣と共に検討し採択している。だがそれでは時間がかかる。よって簡単な案件に関しては彼が即座に採択していた。
「これは今に始まった事ではない。だがあまりにもあの国の民は巫女の力を頼りにし過ぎる。それに時に彼女達の力はあてにならない事がある」
「? それは判断を間違えるという事ですか?」
「そうだ。まぁ彼女達の場合、判断というより予知や予感と言った方が正しいのだが……」
ディア様の国は基本的に政は巫女達の持つ力で進めていくらしい。それを初めて耳にし私はううむと唸った。
「それは……すごい国ですね。つまり極端に言うと問題を解決する為の情報や知識、根拠は必要無いという事。民は巫女様方の言葉を絶対に正しいと思っているのですね」
「ああ。自ら判断する能力があるにも関わらず、大臣や官僚など地位のある者。領主ですら巫女の力や言葉を必要以上に恐れている。それ故か、たまに彼らの判断が鈍る時があるのだ」
――たまに。それがいつか国の大事に繋がらなければ良いが。とにかく巫女達の纏める筆頭であるおば様に現状だけでも伝えておくべきと口にする。
けれど彼が嘆息した。
「リィリィもそう思うか。実はこの事は母上の耳に入れている。だが長老らが煩くてね。この事を知った彼らは彼女達の力を妨害するなと騒ぎ立てた。それ以来、私は中々口を出せなくなってね」
長老……。話を聞いている内にまた新たな者が登場する。この話、聞いている限り巫女もそうだがその長老といわれる存在も中々に厄介なようだ。
因みに巫女は王族からもそうだが貴族や庶民からも選出される。持つ力や程度は様々で夢で予知したり道具を使用し物事の善し悪しを判断する。
「本来、巫女は神殿で神々に祈りを捧げるのが仕事だ。また人々の悩みに耳を傾け、癒しの言葉で憂いを祓う。これが彼女達のあるべき姿と母上がよく話していた」
「耳を、傾ける」
「ああ。それと癒しは、あらゆる命の中にあるとも。我々はその中に眠る力をうまく引き出してやれば良いだけだと」
私は眉を寄せた。おば様は巫女は本来の役目に立ち返るべきだと言いたいのだろう。でもそれでは――
考えを巡らせ、やがてポツリと口を開く。
「巫女が政に関わるのは王宮内の分断を避けるためにも決して悪くないと思います。ただ、占いや予知の精度を高める必要がありますね。あと統計を録って……巫女様方には申し訳ないですが、格付けし各々の力の程を知ってもらう他ないでしょう。あ、あと国の情勢や領地について学んで頂くのも必要かも」
長老達の手前、巫女が全く政務に口を出さないというのはまずい。というかディア様の立場上それは出来ないと予想する。それよりは巫女にもっと母国について学びの機会を与え、違う方向で判断する力をつけてもらう。
「占いは別として例え専門家であっても答えを絶対に間違えないとは言い切れません。それに国の律を急に変えようとすれば均衡が崩れます。当面は巫女様方に相応の知識を持って頂くのが妥当かと」
ふと巫女の中に庶民もいると聞いたのが少し引っ掛かったのだ。もしかすると学校にも行けないまま、幼くして巫女に選出された可能性だってある。
「確かに彼女達は巫女修行はするが文字の読み書き以外ほとんど勉強する事はないと聞いた。まぁ身分のある者は実家から教育係が付いてくるが」
「それならエドワルド学園で学ぶような事も?」
「ああ、そこまで学ぶ事はない」
「! 分かりました。それなら私に良い案があります」
この案が通るかどうかは分からない。けれどそうなるようお母様にも伝えておくつもりだ。私は思い付いた事をディア様に耳打ちした。
◇◇◇
『――……ほぇ、ほぎゃぁああ……』
遠くで美しい女性に抱かれた赤子が元気に泣いている。僅かに見えた髪は金。
「……。 赤、ちゃん?」
パチリと目が開いた。ふと見るとカーテンの隙間から光が差している。朝だ。
どうやら侍女がやって来る前に目が覚めてしまったようだ。
不思議な夢だった。あの赤ん坊。あれはきっと男の子だ。
辺りを見渡す。普段なら侍女が起床の声かけに来るのだが今日に限って遅い。もしかするとお母様の出産準備で忙しいのかも知れない。
急いで着替えを済ませ、お母様の部屋に行くと案の定使用人が慌ただしく駆け回っていた。急遽、廊下に用意された椅子には何処か落ち着かない様子のお父様がいた。すぐ側にディア様もいる。紺色の髪を首元で纏めた姿は相変わらず麗しい。お父様とは対称的に静かに腕を組んでいた。
彼はやって来た私に気がつくとこちらを向いた。
「おはよう、リィリィ」
「おはようございます。ディア様、お父様」
「ああ、リリアナか。エレノアが……お母様が今朝早くに産気づいてな。すぐに産婆が来て私は部屋を出された。こうして言われた通り、待っているのだが遅い。出産は二回目だし、分かっているつもりだが甘かった。……どうにも落ち着かん」
苛立たしげに嘆息し、お父様が呻く。
昨夜、お父様の様子から二人目の出産だから慣れているのかと思っていたが、やはり内心相当緊張していたようだ。
二人と同じように私も廊下で待機しているとお母様のいる部屋の扉が開き、侍女が顔を出した。
「お嬢様、どうぞこちらにお入りください。あっ、旦那様方はもう少しそこでお待ちを」
「!」
侍女が現れた瞬間、お父様がガタンと椅子から立ち上がる。そのまま足早に扉に近づくのを彼女は慌てて止めた。
「すみません。ちょっと行ってきますね」
私は二人に軽く頭を下げると侍女の後について部屋に入っていく。これは万が一、出産に伴いお母様の体調が悪化した時、癒しの力を使う為だ。事前にお母様付きの侍女に話していたので割とあっさり呼ばれてホッとする。
こうして私はお母様の出産に立ち会う事になった。




