第53話 ハートランド寮長の悩みとシオンへの手紙
買い物を終え女子寮に戻ってきた。
今日購入した物は明日、長距離用の馬車に積み直す。荷物を自室に運ぶのは手間がかかるので、玄関から近い事務室に一旦置かせてもらうことにした。
事務室の扉を叩こうとすると、中から話し声が漏れてくる。見るとわずかに扉が開いていた。そこからそっと覗くとハートランド寮長の姿がある。すぐそばには女の子も。
彼女の髪はゆるふわのピンクブロンド。とても可愛らしい顔の子だ。ただ気になるのは妙にキラキラしていたことだ。
それに気づいた瞬間、私の呼吸が止まる。
「……」
あれってもしかして。
胸のざわめきを抑え、もう少しはっきり見ようと瞳を凝らすと、突如扉が開かれた。
「ひゃ、」
「ああ、誰かと思えばメロゥ伯爵令嬢でしたか。外出から戻られたんですね」
眼前にいるのは寮長。驚く私とは対称的に彼は何処かホッとしたような顔をしていた。
チラリと向こう側にいるピンクブロンドの女生徒に目をやると、憮然とした表情をしていた。
どうしよう、気まずい。二人は何か込み入った話でもしていたのだろうか。
とにかく早々に用件を伝えて部屋に戻ろう。他にもシオン宛に手紙も書かなければならないのだ。
「あの私。外出から戻りましたのでその報告と、明日馬車に積む荷物を置かせていただきたくて――」
「わかりました。ご実家に帰られるんですよね。ああ、そこの荷物ですね。運ぶの手伝いますよ」
彼は入り口近くに置いていた荷物に視線をやると理解したと頷き、事務室を出ようとした。
「あっ、大丈夫です。それは私がやりますから!」
「それなら二人でやりましょうか。その方が早いですし」
さりげなく断ったのに寮長はそこにあった荷物を軽々と運び入れてくれる。よくわからないけれど、事務室いや女生徒から離れたそうだった。
一瞬ピンクブロンドの子の視線が強くなった気がした。
二人で全ての荷物を運び終えたところで、彼女が寮長に近づいてくる。
「それではハートランド様、私はこれで失礼致します。あと先程のお話ですが、どうか前向きにお考えください」
「……」
女生徒は彼の返事を待たずに去っていく。その瞬間ふわりと花の香りが舞った。鼻腔をくすぐる麗しい香りに思わずくらりとした。
やっぱりあの人――ヒロイン?
彼女が消えると寮長は私がいるにもかかわらず、疲れたようにふぅと息を吐いた。私は内心同情する。正直私達のようなモブにあの手の人種はキツい。
「それでは寮長、私も戻りますね。明日はよろしくお願いします」
「わかりました。……あの、メロゥ伯爵令嬢。ちょっと聞いても良いですか?」
「はい」
事務室を出ようとしたら寮長に呼び止められる。どこか必死な様相だ。
「女性からの誘いを穏便に断るにはどうしたら良いと思いますか?」
「……え?」
何故それを非モテ部類に属するモブに尋ねるのか。せめて男性の友人に聞くとかしてほしい。
「あー、私では何とも……」
そうは言っても彼の悩ましげな姿を見ているうちに段々可哀想になってきてしまった。とりあえず話だけでも聞きますと言うと「ありがとうございます」と泣きそうな声で返された。
長くなりそうなのでと椅子に座るよう促され、お茶をどうぞと勧められる。
「その女性というのは先程の方のことなんです」
「あのピンクブロンドの可愛らしい方ですね」
「はい」
やっぱり。そんな気はしていた。
彼の話によると、三年生に上がってからピンクブロンドの女生徒が寮長のいる事務室にやって来るようになったらしい。
はじめはたまに顔を見せる程度だったが、その頻度は段々増えていき話をするたび菓子を持ってきたり、やがて週末どこかへ行かないかと誘ってくるようになった。
女性から男性を誘う。この国の娘にしては実に積極的な性格のようだ。
「彼女は今年転入してきた男爵令嬢です。組は違うのですが私と同学年。接点は特に無いはずなのに」
「そうですか。所でハートランド寮長に婚約者の方はいらっしゃるんですか?」
男爵令嬢のヒロイン。モブに執着するなんて、ゲームの攻略に関わる何かがあるのだろうか。『2』はプレイしたことがないのでよく分からない。
私の問いに彼は首を横に振る。
「いません。勿論、いずれは決めなければと思っていますが」
現在寮長に婚約者や想う方はいないらしい。彼が頭を抱えた。
「正直どうして彼女が私などに執着するのか、理由が分からない。今年の三年生は昨年同様、家柄が良く将来有望な男子が大勢いるのに。――私には茶化されているとしか到底思えないんです」
確かに彼の言う事は理解できる。寮長は攻略対象でなくただのモブ。そんな彼をゲームのヒロインが果たして相手にするだろうか。
私はふむと口許に手を当て考える。
まぁ、前作のヒロインも最終的にイケメンモブと仲良くなっていたし。可能性は無い訳じゃない。
それに目の前にいるハートランド寮長もキラキラが無いだけで、中々に整った顔をしている。
「断り方を教えるという事ですが、本当のところ寮長は彼女の事をどう思っているんですか?もし嫌でなければ少し考えてみるのも良いのでは」
「! それは困ります! 正直、その……ああいった方は苦手で気を遣うというか。あととても目立つ方ですし、落ち着かなくなるんです」
うん、分かる。分かるよ。私も心の中で激しく同意する。不意に銀髪の青年の姿が頭に浮かぶ。
今でこそ婚約者のシオンに慣れてきたけど、彼の発するキラキラオーラは私には眩しすぎて結構大変だったりする。
ハートランド寮長もヒロインの発する輝きに日々困っているようで、シュンと肩を落としていた。
「もし本当にお嫌なら寮長の方が爵位は上ですし、こちらからハッキリお断りしても大丈夫そうですけど……」
「それは私も考えました。ですがこの仕事柄、彼女と顔を合わせないわけにはいかないんです。きっと気まずくなる。私達が卒業するまでまだ半年以上あるし、どうにか向こうが私に興味を無くしてくれたら良いのですが」
気まずくなるのが嫌、か。寮長は優しい人だ。でもハッキリとお断りするのも優しさだと思う。
あとふと思うのは寮長は彼女のキラキラオーラに当てられて、自分の意思を上手く伝えられない状態になってしまうのかも。
「ううん、ありきたりですけど。寮長のご友人や妹のシャーロットさんの名を使わせてもらって、彼らと約束があると言うのはどうでしょう?あと事務仕事が忙しくて、とか」
「はぁ、……やっぱりそう言って断るしかないですかね」
本当の事を言うと、一番効果がありそうなのは彼に意中の女性がいると彼女に伝える事だ。だが現時点でそういう女性はいない。
その場しのぎで嘘を吐くことも出来るが、その後面倒な展開になりそうなので黙っておいた。
「当面はその方法で誘いを回避してみます」
そう彼はまた大きく溜め息を吐いた。
◇◇◇
翌日早朝、待機していた馬車に荷物を運び込みメロゥ領へ向け出発する。
でもその前に寄らなきゃいけない場所があるのよね。
昨日、ヴィムという御者からジル先輩の母マリアベルについて聞いた事を手紙に書いてシオンに送ろうと思ったが、やはりこの件は急いだ方が良いと考え直したのだ。
郵便だと王都内とはいえ多少時間がかかる。幸いなことに丁度リュミエール家はメロゥ領へ行く道すがらにある。その為、ついでに立ち寄り手紙を渡す事にした。
上手くいけばシオンに直接伝えられるかも知れないし。
ただ少し心配なのは事前の連絡がない。所謂アポ無しという事。門を通してくれるかなぁ。
駄目なら使用人に頼んで手紙だけ渡してもらおう。
リュミエール家に着き守衛に自分の名と用件を伝える。私がシオンの婚約者というのは分かっているようで、彼は「少しお待ちください」と言って手紙を持ち邸に入っていった。
すぐに向こうから補佐官姿の銀髪の青年がやって来る。シオンだ。手紙を持っているのが見える。
「おはようシオン。お仕事前なのに急に来てごめんなさい」
「いや、寧ろ嬉しい。こうして君に会えるなら朝だろうと夜だろうと構わない」
優しく微笑み、髪に触れてくる。向こうで庭師が私達を見ている。ちょっと恥ずかしい。
彼の手にある手紙はすでに開封されている。もう読み終えたのだろう。
「手紙は読んだ。教えてくれてありがとう。その御者には後日俺から再度事情を聞いてみる事にする。所でリリアナ、今日はメロゥ領へ帰る日だろう?」
「うん。手紙を送ろうかと思ったんだけど、やっぱり早い方が良いかと思って直接持ってきたの」
手紙には御者のヴィムから聞いた内容とマリアベルがピアノを教えに訪問していた商家や貴族の情報を書いておいた。
シオンが感心したような、だがちょっと複雑そうな表情を浮かべている。
「あまり無茶しないでくれ。短時間でここまで調べてくれたのは有難いが……寝不足なんじゃないか?」
目の下にある僅かなクマに気づき、彼が心配している。馬車で寝るから平気よと答えたら頭の上に口づけられた。そのまま耳元で囁かれる。
「君も気づいているとは思うが、この間タウンゼント家に行った理由はそれだ。報告を元にもう上は動き出している。だから心配いらない」
「うん」
きっとそうだろうと思っていた。御者のヴィムには早く安心してもらいたくて敢えて伝えたけれど、それはあくまで憶測だ。本人の口から聞くまでは確かとは言えない。
だからシオンの落ち着いた言葉と声音を直に聞いてホッとする。
「無理しないでね、シオン」
「ああ、大丈夫だよ。今回の件は俺一人で動く訳じゃない。あと、もう少ししたら俺も休暇に入る。そうしたら君の所に行くから待ってて」
日々多忙な彼だけど、いくらか纏まったお休みは貰えるようだ。私は頷き馬車に乗り込む。
「それじゃあリリアナ、気をつけて」
「ええ、シオンも」
私はシオンに暫しの別れを告げ、リュミエール家を後にした。