第49話 レオナルド・タウンゼント侯爵への調査書と奏者達の楽しいひととき
「侯爵、これが我々で確認し作成した調査書です。ご一読下さい」
応接室に案内されたシオンは鞄から分厚い書類を取り出すとレオナルド・タウンゼント侯爵に見えるようテーブルの上に置いた。
「うむ、」
補佐官の制服を着た彼は今日は王城内にある、とある部署の名代で来た。訪問する旨は事前に連絡しておいたのだが、婚約者である彼女の用と被ったのは本当に偶然だった。
侯爵が書類を読んでいる間、使用人が紅茶をトレイに乗せ運んでくる。茶葉はリリアナの友人フィオナ・パルモンド伯爵令嬢が持参した物だ。
シオンはカップに口をつける。
やがて書類を読み終えた侯爵が目頭をおさえ、大きく息を吐いた。
「……そうか、やはりな」
「そのご様子。侯爵もお気づきでしたか」
「ああ、最近そう吹聴している者が領内にもいたとの報告を受けている」
内容は侯爵の亡き姉マリアベルのことについてだ。彼女が昔王族の一人と親密な関係であったという噂が、最近になって突如流れ出した。
そしてそれは王都でも同様だった。
勿論、彼女の子であるジルはこの事を知らない。知っているのは侯爵と側近である執事頭だけだ。侯爵が書類をテーブルに置く。
「これは同一人物かね?」
「それについてはまだ不明です。ですが内密に調査を進めています」
単独での企みならその人物を捕縛することで解決する。だがもし相手が複数人となれば厄介だ。今はまだ酒場で面白おかしく噂する程度だが、そのうち広範囲に渡って噂が広まるだろう。
噂が全くの出鱈目なら良い。だが、そうでない場合――
シオンが侯爵を見る。
「それについて、侯爵に幾つかお聞きしたい事があるのですが、よろしいでしょうか」
「ああ、構わんよ」
「噂について何か思い当たることはありますか?」
「…………」
補佐官になりたての自分が何故ここへ派遣されたのか。それは今回の件はまだ様子見段階であり、事情聴取のため侯爵を王城に呼び、事を荒立てたくなかったのが一つ。
そして自分はタウンゼント侯爵と過去面識があり、ある事件を通して僅かだが親交があった。それ故、シオンがタウンゼント侯爵家への使いに選ばれたのだ。
本音としては、上司を含めた城の者達が彼を異常な程恐れている。よって確たる証拠もなく彼を取り調べる訳にはいかない。もし間違いであった場合、担当者が降格又は左遷となるのは確実だ。
だがきちんと話せば理解できる方であるとシオンは思っている。
昔の侯爵は何に対しても非常に気難しく堅物だと有名だった。城に来るたび侍女や使用人に怒鳴る姿がよく目撃されていたと耳にした事がある。
だがそんな彼も甥のジルが現れたことですっかり変わってしまった。これまでの気難しい面は消え周りの行動に理解を示し、時折笑うことさえあるらしい。
やがて侯爵が暫しの沈黙の後、口を開いた。
「心当たり、か。……もしあると儂が頷けば、君はどうするかね?」
「それは私が判断する事ではありません。内容を精査し、沙汰を出すのは上が行うことです」
真っ直ぐな言葉。裏表のない、補佐官としての正しい答えだった。
これまでの侯爵であったなら一蹴しただろう。就任して一年にも満たない若い補佐官ごときに意見を求める等あり得ないことだった。
だがこの目の前にいるシオン・リュミエールという青年はかつて窮地にいたジリアンをそこから救った。そして侯爵に甥の成長を見守るという生き甲斐を与えてくれた。
それだけで十分。侯爵の顔から自然と笑みが溢れる。
「良かろう。儂の知り得る事を全て教えよう。だがそれはもう既に君が知っている事やも知れんがな」
そうして侯爵はゆっくりと語りだした。
◇◇◇
タウンゼント家の広間にあるピアノを私達は交代で弾いた。途中からフィオナとジルが連弾をし始める。この二人は学年は違えど、ピアノの腕を認められ学園に入った同じ特待生。やはり上手い。
ケイトと二人で聴き入っていると、視界の端に楽器が立て掛けてあるのが見えた。見覚えのある形。あれは――ギターだ。
私はそれを手に取るとソファーに腰をおろし弾き始めた。それは広間を満たすピアノの音色に馴染み重なっていく。
「……!」
二人の奏者が一瞬手を止め、驚いたように反応する。そしてギターを弾く私の姿に気がつくと、お互い理解したように微笑み再び鍵盤を叩きだした。
これは即興のセッション。
美しく広がる旋律。個々の奏者の音が一つになる感覚。空間が、心が震える。この瞬間が煌めき満たされていく。
曲が終わり、隣でケイトが頬を紅潮させ手を叩いている。私は笑った。
「ふふっ、面白かったですね」
「もう、リリアナさんたら、すごいわ!こんな見たことのない楽器をいきなり弾いてしまうんですもの」
ジルとフィオナもこちらへやって来る。心底驚いた様子のジルが訊ねてくる。
「それはビウエラという異国の楽器なんだけど。よく弾き方がわかったね」
「えっ、ビウエラ?」
彼の思わぬ指摘に私は驚いた。
名前が違う。ギターではなかったのか。形が少し似ていたから、懐かしくてつい弾いてしまった。でも弦の位置や数はそっくりだし、音もイメージ通り。もしかしてこれはギターの仲間なのかな。
ジルが続けた。
「この楽器は弾き方が分からなくて。今まで君のように弾けた人は誰もいなかった。……一体どこでそれを――」
「あっ、これは。……その、昔、旅の人と知り合ってその方に教えてもらったんです。随分前でうろ覚えで……。何となく適当に弾いただけなので、きっと正しい弾き方ではないと思いますよ」
慌てて適当な理由をつけて誤魔化した。
本当はギターの音の出し方を理解し、五線譜が読めれば大体弾くことは可能だ。難しい箇所は曖昧に飛ばせばどうにでもなる。
そしていつもの魔法の言葉を私は口にした。
「とにかく、何となく雰囲気で弾いただけなので」
「まぁリリアナ様ったら」
「ふふ、リリアナさんらしいわ」
「…………」
お決まりの台詞にケイトとフィオナはクスクス笑っている。彼女達には上手く誤魔化せたようだ。でもジルはどうだろう。こと音楽に関してこの人に誤魔化しは効かないような気がした。
不安になって彼を見る。だがジルはそんな私を見て苦笑しているようだった。
「全くリリアナ嬢、君は不思議な人だな。でもそんな所も俺は――」
「リリアナ、」
突如広間に響く声。いつの間にか私のよく知る声の主がジルの背後からやって来た。シオンだ。
何だか一瞬、ジル先輩の表情が険しくなった気がした。ううん、気のせい、かな。
シオンが飄々とした顔で言った。
「こちらの用は終わった。君達もとても楽しんでいたようだね。美しい音色が外まで聴こえていたよ。でももうじき陽が暮れる。寮まで送ろう」
彼の言う通りだ。窓の外を見ると陽が傾き始めている。そろそろ帰らないと。
フィオナが頷き、ジルに微笑んだ。
「そうですわね。タウンゼント様、今日は本当に楽しい時間をありがとうございます。私達はそろそろお暇致しますわ」
「ああ。残念だけどもう時間だね。こちらこそとても楽しかったよ。君達も気をつけて」
私達は帰る支度をし、シオンの馬車に乗り込む。来た時と同じようにジルと使用人達が見送ってくれた。
「それじゃあ、ジル先輩。また来週学園で」
「ああ、リリアナ嬢もまたね」
「はい」
馬車は学園の寮へ向かい走り出す。今日一日何だかんだで疲れたのだろう。少し時間が経った所でフィオナとケイトは肩を並べ眠っていた。
シオンが椅子の下から大きめの膝掛けを出し、彼女達にかけてくれる。
「ありがとう」
小声でそっと彼に礼を言う。返事の代わりに空色の瞳が優しく細められた。
彼女達を起こすのは忍びないので、私とシオンはお互い何も話さず静かにしていた。この沈黙は嫌いじゃないし、落ち着く。
でもやっぱり少し退屈だ。
寮に着くまで私も同じように眠っていようかな。そう思ったら急に左手が温かくなった。見ると大きな手がそこにある。シオンのだ。
「……っ、」
びっくりした。あまり大きな声は出せないので目で訴える。隣でちょっと意地悪そうな笑みをしているシオン。これはたまに見せる表情だ。
こういう時の彼は絶対に手を離してくれない。ちょっとした嫌がらせだ。心なしかさらにぎゅうと力を込められている気がした。
もう、と俯いたら、こめかみに唇を寄せてきた。そうして宥めるように「少しだけ、」と耳元で囁かれる。
私はただ黙ってその手を握り返す。寮に着くまで私達はそのままでいた。
「……ん、」
馬車の揺れが止まる。私は僅かに目蓋を揺らす。どうやら私も眠ってしまったらしい。いつの間にやら左手にあった温もりはすっかり消えていた。
フィオナとケイトの姿が見えない。もう馬車を降りてしまったようだ。
リリアナ、と呼ぶ声。振り向くとシオンが馬車の扉を開けてこちらを見ていた。
「着いたよ。もう夜だ。外は冷える。早く邸に入ろう」
「……邸?」
寝起きで頭がぼうっとする。そのせいかシオンが笑みを堪えているのに私は気づかなかった。
手を引かれ促されるまま馬車から降りると、そこは――
「ここって……あなたのお屋敷!」
ああそうだよ、と隣で彼が悪びれもせず答える。その微笑み。憎らしい程美しい。この瞬間、私の目は完全に覚めた。
「彼女達は寮にきちんと送り届けたよ。でも君はあれから全然起きなくてね。だから急遽俺の所に連れてきた」
「!」
絶対嘘だ。直感的にそう思った。彼はわざと私を起こさなかったのだ。
今日はリュミエール邸に泊まる約束はしていなかった。だから久しぶりに寮でのんびりしようと思っていたのに。
「リリアナ、折角だから泊まっていくと良い。退屈なら俺が一晩中かまってあげる」
「!? 違うの、私はゆっくり……、ひゃ、」
危うく卒倒しそうな台詞に思わず反応すると、シオンがさも可笑しそうに私を抱えあげた。
「じゃあゆっくりしよう。君の気が済むまで」
何を言っても優しく言いくるめられる。そのまま私はリュミエール邸に連れて行かれ、泊まる事となった。